「法華ほけきょうは、女人にょにん御為おんためにはくらきにともしびうみふねおそろしきところにはまもりとなるべきよしちかはせたまへり」と。

 「法華ほけきょうは」ということ法華ほけきょう肝心かんじん文底もんていしゅ本尊ほんぞんということですね。
「この本尊ほんぞんさまくらきにともしびという風に『どう生きていったらいいのか分からない』というようなお先真っ暗な時に足元あしもとらしてくれる。自然と道が開けてくる。これが本尊ほんぞんのお力なのだ」ということ
 「うみふねというのは「海にぶつかったら人は行くことはできません。まってしまう。その時に、船となってくれるのだ」ということ
 またおそろしきところにはまもりとなる」と。
 これは「身の震えるほどの恐ろしい所では、本尊ほんぞんさまがその人を守ってくれるのだ」と。
 これは「どのようなまりの時にも、本尊ほんぞんさまが必ず強くしんずる者にはしゅしてくださる」ということですね。
 だから「何があってもだいじょうだ」というんです。
 ただし、本尊ほんぞんしんずるこころが固くなければいけない。フラフラしているようなよわい心ではいけない。
 ゆえに

ない、さればみょうらくだいのたまはく『かならこころかたきによりてかみまもすなわつよし』等云云とらうんぬんひとこころかたければ、かみまもかならつよしとこそそうらへ」

本尊ほんぞんしんずるこころが強くなければいけない」ということ

 これをみょうらくだい

こころかたきによりてかみまもすなわつよし」

「すなわち、諸天しょてん善神ぜんじんが必ずその人をまもるんだ」

おおせになった。
 だいしょうにんさまは、その意味をさらにやさしく

「人のこころが固ければ、本尊ほんぞんしんずるこころが固ければ、諸天しょてん善神ぜんじんは必ずその人をまもるのだ」

かみまもかならつよしとこそそうらへ」と。

 「これ御為おんためもうすぞ。いにしへのおんこころざしもうばかりなし。
 それよりも今一いまいちじゅうごうじょうおんこころざしあるべし。
 ときは、弥弥いよいよじゅう刹女せつじょおんまもりもつよかるべしとおぼすべし」

「これは誰のためでもない、にちみょう殿どののためにい置くのである」

これ御為おんためもうすぞ」にちみょう殿どののためにい置くのである」おおせになられた。
 これは、にちみょう殿どのが、守ってくれる夫もいないんですよ。
 おんな一つでもってぜんと立っていかなければいけない。
 よってだいしょうにんさまは本当に、いろいろと生活のこと心配しんぱいくださるんですね。

 「これ御為おんためもうすぞ。いにしへのおんこころざしもうばかりなし」

「3年前に、あの佐渡さどに命かけてわたってきたその信心しんじんは言葉もないほどりっである」

 しかし

それよりも今一いまいちじゅうごうじょうおんこころざしあるべし」

 「少しもだんする事なく、強き信心しんじん一段いちだんと立っていきなさい」とおおせになる。

 「ときは、弥弥いよいよじゅう刹女せつじょおんまもりもつよかるべしとおぼすべし」

 「その時は『いよいよ諸天しょてん善神ぜんじんまもりがおと御前ごぜの身にあるんだ』とこう確信かくしんしなさい」

 「ためしにはくべからず。『日蓮にちれんをばほんごく上一人かみいちにんより下万民しもばんみんいたるまで一人いちにんもなくあやまたんとせしかども、いままでかうてそうろうことは、一人いちにんなれどもこころつよゆえなるべし』とおぼすべし」

 「この『こころかたき時に諸天しょてん善神ぜんじんが必ず厳然げんぜんしゅする』ということは、例えを他に求める必要はない。自分をなさい」

とこうだいしょうにんさまは御自身の身業読誦しんごうどくじゅ身読体験しんどくたいけんの上からこれをおおせられるんですね。
 だいしょうにん御事おんことを、ほんごくじょう万民ばんみんいたるまで一人いちにんもなく、上は国主こくしゅから下は万民ばんみんいたるまでことごとく念仏ねんぶつ真言等しんごんとう邪法じゃほう煽動せんどうに乗って日蓮にちれんだいしょうにんを憎んでかいをしてころそうとしたんでしょう。

 しかしいままでかうてそうろうことは」

「このように、誰人だれびとだいしょうにんさまをあやますことはできなかったではないか。餓死がしさせることはできなかったではないか。だいしょうにんさま厳然げんぜんとしておられる。
 これは、何によるかというならば『たったひとであっても『こころの強きゆえなるべし』という風にだいしょうにんさまおんこころが強いからである」とおおせになっておられる。

 だいしょうにんさまのお心はどのように強いか。
 そうなんでしょう。

末法まっぽうにおいてじょうぶつを遂ぐべき大法だいほう南無なむみょう法蓮ほうれんきょう以外にはない。三大さんだいほう以外にはない」

という確信かくしん、そして「その三大さんだいほうをもって全人類ぜんじんるいを、一切いっさいしゅじょう現当げんとうせいに救わん」とこのこころかたこと大変たいへんことでしょう。
 いかなる者もこのかたきお心を壊すことができない。
 ゆえに、佐渡さどせっちゅうでは

せんずるところはてんたまへ、諸難しょなんにもえ、しんみょうとせん」

おおせになった。
 さらに、あの『佐渡さどしょ』でもって

師子ししおうのごとくなるこころてるものかならほとけになるべし」

おおせられた。
 これが、仏様のかたかたき大慈悲のお心ですよ。私達ぼんにそんな真似はできません。
 しかし、私達ができることは、この偉大なだいしょうにんさまを命かけてしんじまいらせようということなんです。

 「自分の人生に何が起ころうとも信心しんじんだけは破らない。だいしょうにんさまだけは裏切らない。命ある限り」

 このかた信心しんじんに立つこと、これがだいしょうにんさましゅいただく、本尊ほんぞんしゅいただく」ということなのであります。


平成21年 3月29日 浅井先生指導