私はこの御文を拝するとおもうんですね。 

 『この崇高すうこうなるお姿にくらべて、今の宗門の坊主達はいかにらくをしてるか』ということ
 そうでしょう、だいしょうにんさまが、もしもあの佐渡さどからかえりになった時に、鎌倉かまくらばくだいしょうにんさまに対してかいじゅうしようとしたんですよ。
 それはもうだいしょうにんさまを殺そうとしても殺せない」「そして、界叛かいほんぎゃくおおせの通りに起きてきた」ということほうじょう時宗ときむねは恐れたんですね。そして、さらにこく侵逼しんぴつが今だいしょうにんさまおおせのままにせまりつつあるあるじゃないか。それを恐れて佐渡さどからかえねがった。
 で、だいしょうにんさまほどの御方を「何とかばくの中にくわわってもらいたい」ということでもってその時に何とったかというと

広大こうだいなる土地とちに、だいしょうにんさまがお住まいになる坊舎ぼうしゃを建てる。きょうゆうにして結構けっこうです。
 そして、どうか一つ、国のいのりのために、もう調ちょうぶくのために真言しんごん念仏ねんぶつ等のしょしゅうと共に国をいのってもらいたい」

ということったんです。
 どうですか、普通の僧侶そうりょならこれを喜ぶじゃないですか。けんの人も何とも不思議ふしぎに思わんでしょう。
 『ああ何とえらことになったものだ。流罪になったけれども今はかいはすっかりけて、安房あわみなとでもってお生まれになった日蓮にちれんさまは、何と、ばくまでも尊敬そんけいするえら僧侶そうりょにおなりになった。大したものだ』とみんながおもうじゃないですか。
 しかも、ばくがそのように後ろだてになれば、だいしょうにんさまのお暮らしはどれほど安楽あんらくになるであろうか。こういうことけんの者のじょうしきであります。
 ただし、だいしょうにんさま佐渡さどから御帰りになった時に、ほうじょう時宗ときむねの使いのようなごとくなるへいの左衛さえもんに対して、そのばく執着しゅうちゃくしておる真言しんごんきびしくしゃくあそばした。

 「真言しんごんが国のわざわいになるんだ。これを捨てなければいけない。そして、三大さんだいほう帰依きえせよ」

ということをしたたかにおおせになった。
 しかし、へいの左衛さえもんはそれを捨てる気配はなかった。
 だから、そこでだいしょうにんさまもうしゅうらいについて

「よもとしはすごしそうらはじ」

とこうおおせになってのぶの山にはいりになったんでしょう。
 のぶの山にはいればどれほどさむいか」「どれほどなん生活せいかつが待っているか」とそれをかくの上でもって、真に一切いっさいしゅじょうじょうぶつせしめんがために、真に日本にっぽん仏国ぶっこくにするためにえてなんの道をのぶの山におえらびになられた。


平成20年 12月14日 浅井先生指導