かつてせんせいだい聖人しょうにんさま忠誠ちゅうせいつらぬけば必ず不思議ふしぎしゅいただける」ことを命かけて佐渡に参詣した日妙殿にちみょうどのに賜わった『おと御前ごぜ消息しょうそく』をもってお教えくださいました。
 すなわち

 そもそも法華ほけきょうをよくよくしんじたらんもの男女なんにょをばかたになうべしよし経文きょうもんへてそうろううえ、くまらゑん三蔵さんぞうもうせしひとをば木像もくぞうしゃわせたまひてそうらひしぞかし。
 日蓮にちれんこうべにはだいかくそんわらせたまいぬ。むかしいまいちどうなり。おのおの日蓮にちれんだんなり。いかでかほとけにならせたまわざるべき」

という人が木像もくぞうしゃぶつに背負われて走っていたことが現証としてあるんです。
 「法華ほけきょうをよくよくしんじたらんものとは末法においては戒壇かいだんだい本尊ほんぞんしんじる。日蓮にちれんだい聖人しょうにんしんたてまつるということ
 よくよくとは薄っぺらなしんじんではない。いかなる苦境に立とうとも命ある限りとの透徹したしんじん。これを「よくよくしんじたらん」というのであります。
 その人を仏様ほとけさまが肩に担い、背に負って守ってくださるという経文がある。
 その実例として「くまらゑん三蔵さんぞうもうせしひとをば木像もくぞうしゃわせたまひてそうらひしぞかし」鳩摩羅くまらえん三蔵さんぞう故事こじげておられます。
 この鳩摩羅くまらえん三蔵さんぞうという人はインドの人で、きょうを翻訳したあの有名なじゅう三蔵さんぞうの父親であります。
 この家は代々宰相さいしょう、すなわち、代々国主を助ける総理大臣のような地位にあった家柄いえがらでありました。
 鳩摩羅くまらえん三蔵さんぞうは仏教を求める心が大変強く、宰相さいしょうの地位を辞任してしゅっした。
 しばらくして、仏法ぶっぽうを嫌う弗沙ほっしゃみっ多羅たらおうという悪王あくおうが出てきて、国内にある寺をすべて破壊しようとした。
 この時、鳩摩羅くまらえん三蔵さんぞうだいしゃ木像もくぞうを護持していた。
 当時においてはしゃ仏法ぶっぽうの時代であるから、その木像もくぞうに功徳があったのであります。
 鳩摩羅くまらえん三蔵さんぞうが「このとうとしゃ木像もくぞうを悪王によって壊されてなるものか。何としても命かけてこれを守りたてまつらなければならない。それには隣の国に逃げる以外にない」とインドの東にある亀茲きじこく(現在の新疆しんきょうウイグル)を目指して逃げたんです。
 鳩摩羅くまらえん三蔵さんぞうは「何としてもこの木像もくぞうしゃぶつを守りたてまつろう」と体力の続く限り夜を日に次いでけていった。
 ところが不思議ふしぎことに、昼間は鳩摩羅くまらえん三蔵さんぞう木像もくぞうしゃぶつを背負って駆けていたが、夜になると木像もくぞうしゃぶつ鳩摩羅くまらえん三蔵さんぞうを背負ってけていたという。
 この不思議ふしぎだい聖人しょうにんさま「くまらゑん三蔵さんぞうもうせしひとをば木像もくぞうしゃわせたまひてそうらひしぞかし」おおせ給うておられます。
 「日蓮にちれんこうべにはだいかくそんわらせたまいぬ」とのじん日蓮にちれんだい聖人しょうにんこそほんにんみょうの教主、すなわちおん元初がんじょじゅ用身ゆうじんであられる」ということであります。
 「むかしいまいちどうなり」とは「昔も今も仏法ぶっぽうの原理は変わらない」ということ
 「おのおの日蓮にちれんだんなり。いかでかほとけにならせたまわざるべき」とはだい聖人しょうにんさまを助けまいらせる人々がどうして一生成仏を遂げないことがあるであろうか」ということおおせになっておられる。
 このように、だい聖人しょうにんさまにお味方申し上げる者はかえってだい聖人しょうにんさまがお守りくださることをお教えくださっておられます。
 だから、仏法ぶっぽうには断じて犠牲がない。広宣こうせん流布るふの戦いには絶対ぜったいに犠牲がないのであります。
 せんせいはこの故事こじについてかくおおくださいました。

 「だい聖人しょうにんさま忠誠ちゅうせいを尽くしてだい奉公ほうこうにしているように見えて、実は振り返ってみればだい聖人しょうにんさまがかえってしゅくださっておられる。
 私は、だい遺命ゆいめいしゅの戦いにおいて身をもってこれを体験した。
 だい遺命ゆいめいを守りたてまつるように見えて、かえってだい聖人しょうにんさまに顕正会は守っていただいたことはだに感ずる体験をした」と。

 先程べた法廷ほうてい闘争とうそうにしてもそうですが、昭和45年3月にせんせいが宗門諌暁に立たれてよりにせ戒壇かいだん正本堂しょうほんどうが崩壊に至るまでの28年間の歴史は、まさにおもいもよらぬ不思議ふしぎの連続でありました。
 せんせいの諌暁を無視しても、あるいは「けしからん」と一刀両断いっとうりょうだん処分しょぶんしても何ら不思議ふしぎはなかったところ、がっかい・宗門共に首脳部が出てきて対応したこと
 ことに、せんせいの諌暁にほそにったつ自身が本山から東京の常泉寺、あるいは妙縁みょうえんに8回も下向してせんせいと対面し、宗門の最高指南たるくん訂正ていせいまで約束したこと
 がっかいは、副会長のあきえいすけもりかず並びにちょう和泉いずみさとる、教学部長の原島嵩はらしまたかしもんべんの山崎正友らがっかいを代表するメンバーが何度も何度も出ては対応し、戦時中の軍部のごとく驕っていたがっかいが二度も文書で誑惑おうわく訂正ていせいしたこと
 何より、せんせいの諌暁によりほそにったつにっけんのそれぞれの時代にがっかいと宗門との間に深刻な亀裂が生じ、ついには350億円もの巨費を投じて建設けんせつしたにせ戒壇かいだん正本堂しょうほんどうはわずか26年で打ち壊されたこと、これ凡慮を絶するだい不思議ふしぎであります。
 そして、死罪に等しき解散かいさん処分しょぶんこうむった上にがっかい・宗門が全力で潰さんとした顕正会は潰れもせず、かえって日本にっぽんで唯一のぶつの大集団となったこと
 だいだい遺命ゆいめいしゅたてまつり、一筋ひとすじ忠誠ちゅうせいつらぬき通されたせんせいの戦いに伴う数々の不思議ふしぎを拝見する時、だい聖人しょうにんさま金言きんげんにはいささかなりとも嘘偽りなきことを強く実感するものであります。
 そこに今、私達はかかる大忠誠だいちゅうせいせんせい御意思ごいしを継ぎ、せんせいが指さされたまま忠誠ちゅうせいつらぬいていくならばだい聖人しょうにんさまころもをもって覆いしゅくださり、だいだい遺命ゆいめい成就のだい奉公ほうこうげることが叶うことをよくよく大確信だいかくしんすべきであります。


山口会館御入仏式 浅井会長指導