本州最西部に位置するやまぐちけんにまことに立派な会館かいかんができました。
 そして、本日のにゅうぶつしきこうの大熱気に満ちあふれており、一人一人の情熱に心打たれました。
 この熱烈なるにゅうぶつしきせんせいは必ずや霊山より御覧になり、おうなずきくださっておられるものと確信かくしんいたします。
 このやまぐち会館かいかんあさせんせいが最後に建設けんせつ決断けつだんくだされた会館かいかんでもあれば感慨かんがいぶかいものがあります。
 せんせいは、このやまぐち会館かいかん建設けんせつを発表された際「やまぐち会館かいかんができれば、しまを除いて中国ちゅうごくほうの全県に会館かいかん建設けんせつされることになり、そして九州ともつながり、いよいよ西日本広宣こうせん流布るふに一段と拍車がかかる」ことべられましたが、せんせいは、にっぽん広宣こうせん流布るふの上からやまぐち会館かいかん建設けんせつを兼ねてから念願しておられました。
 ゆえにせんせいは、数ある候補地の中からすぐれた土地を選ばれ、会館かいかんの設計・管理をしているいっきゅうけんちくみぞぐちいくかんから上がってくる工こと進捗しんちょくほうこくと現場の写真を御覧になり、このやまぐち会館かいかん竣工しゅんこうするのを大変心待ちにしておられました。
 このことやまぐち会館かいかんに限らず、これまでに建設けんせつしたどのほう会館かいかんも同じであり、せんせいは一つ一つの会館かいかん建設けんせつに格別のおもいを込めておられました。
 せんせい逝去せいきょされる5か月前の昨年5月にひめ会館かいかんにゅうぶつしきおこなわれましたが、そこに臨まれるせんせいのお心を私は生涯しょうがい忘れるものではありません。
 これは今だからお話いたしますが、その頃すでにせんせいは体力のおとろえがうかがわれておりました。
 御自宅がある埼玉から遠方のひめまでにゅうぶつしきおもむことを心配した私の母が何度もせんせいに対し「リモートかビデオメッセージでどうなさってはいかがですか」としんげんしておりました。
 しかしせんせいは、四国の同志がひめ会館かいかんにゅうぶつしきを見つめて真剣勝負のはくで戦い、だいせいちょうをもってせんせいをお迎えせんとしていたその涙の出るような熱誠ねっせいを誰よりも御存知であったため、そのしんげんを退け「私は必ずひめに行く」との現地の同志との約束を果たさんとひめ行きを決行されたのでした。
 当日、にゅうぶつしきを終えてはねくうこうとうちゃくしました。
 こうとうちゃくぐちから送迎車そうげいしゃが停めてあるちゅうしゃしょまでは相当な距離があります。
 くうこうせつないには動く歩道が設置されてはいるものの、その長い距離を徒歩で移動するだけでもせんせいに置かれてはかなりのjふたんでありました。
 途中休憩をされながら歩まれ、ようやく送迎車そうげいしゃにお乗りになった時にせんせいは息を切らしておられ、私自身申し訳なさで身が縮むおもいでせんせいを御自宅までお送りしたことを今でもはっきりとおぼえております。
 その翌朝、にゅうぶつしきのお礼とその感激をせんせいに申し上げた際、かえってこちらの労をねぎらってくださったそのあいに私は胸が詰まりました。
 せんせいだい聖人しょうにんさまに対したてまつ大忠誠心だいちゅうせいしんから発する西日本にしにっぽんこうにかけられる大情熱、そして、健気けなげに戦う同志の真心を何より大切におもってくださる深きあいを痛いほど感じては「何という偉大な師匠にたのか」熱涙ねつるいがとめどなくあふれてまいりました。
 かかるせんせいが、これまで西日本にしにっぽんこうにいかなるおもいを込めておられたのか。そのお心が胸に去来きょらいいたします。
 東日本ひがしにっぽんの弘通に比べていまだ遅れていた西日本にしにっぽんの戦いにせんせいは「何としても火をつけん」と大阪おおさか会館かいかんを始めきょう会館かいかんひめ会館かいかん岡山おかやま会館かいかん広島ひろしま会館かいかん尾道おのみち会館かいかん鳥取とっとり会館かいかんひめ会館かいかんこう会館かいかん福岡ふくおか会館かいかん長崎ながさき会館かいかん熊本くまもと会館かいかん大分おおいた会館かいかん宮崎みやざき会館かいかん鹿児かごしま会館かいかん沖縄おきなわ会館かいかん建設けんせつされてはそれぞれのにゅうぶつしきおこなわれ、また、きんたいかいちゅうごくこくたいかいきゅうしゅうたいかい沖縄おきなわたいかい等を開催され、いくとなくこうくさびを打ち込んでくださいました。
 その際せんせいはかく叫ばれました。

 「東日本ひがしにっぽんに比べて西日本にしにっぽんが遅れている。
 もし東日本ひがしにっぽんと相呼応して西日本にしにっぽんこうの大潮流が起こるならば、日本にっぽん広宣こうせん流布るふは一気に進む。
 西日本にしにっぽんの奮起こそ一国こうの鍵である」と。

 あるいは

西日本にしにっぽんの全顕正会員が東日本ひがしにっぽんと肩を並べるのではなく、これをしのぐこうの大潮流を敢然かんぜんと巻き起こしてほしい」と。

 あるいは

「私は、西日本にしにっぽん東日本ひがしにっぽんと肩を並べて前進ぜんしんすること熱願ねつがんしている。
 西日本にしにっぽんの中では中国ちゅうごくほうもっとも広大である。
 ゆえに、この中国ちゅうごくほうに早くこうの潮流が起こることを願ってきたが、今しんじん強く、純粋で力ある人材が続々と中国ちゅうごくほうに出てきたことをまことにたのもしくかんじている。
 この中国ちゅうごくほうこくに大潮流が起これば九州とつながって、西日本にしにっぽんこう盤石ばんじゃくとなる」と。

 せんせいの、西日本にしにっぽん大前進だいぜんしんを強く念願されるお心が今だからこそより一層痛いほど伝わってまいります。
 私は、いずれのにゅうぶつしきほう大会に随行させていただきましたが、帰りの車中においてせんせいは皆の熱烈ねつれつしんじんをお褒めくださり、また、力ある人材が次々と台頭し、西日本にしにっぽんに力強いこうの潮流が巻き起きてきたことを心から喜ばれ、今後のせいちょうに強いたいを寄せておられました。
 その時のせんせいおんがんは今なお鮮明に脳裏に焼き付いております。
 このせんせい西日本にしにっぽんこうに対する熱情ねつじょうを胸に抱きながら、私は本日ここやまぐちにまいりました。
 ここに今、私は西日本にしにっぽんの同志に伝えたい。
 西日本にしにっぽん顕正会員はいよいよ東日本ひがしにっぽんをしのぐ戦いを断じて成し、もって、西日本にしにっぽん大前進だいぜんしん熱願ねつがんされたあさせんせいだい報恩ほうおんたてまつり、霊山にましますせんせいより「西日本にしにっぽん顕正会員はよくぞここまでせいちょうした」とお褒めをいただく戦いを成さなければならない。
 されば、本日こそ西日本にしにっぽん顕正会員がそうけっするその新たな出陣と心し、三百万の大陣構築までに顕正新聞新年号の列島分布図における西日本にしにっぽんの全県を真紅に染める戦いを成し、全員であさせんせいにおこたえしてまいろうではありませんか。


山口会館御入仏式 浅井会長指導