で私は思うんですね。
『大聖人の弟子ならば、何よりも臨終が大事、成仏が大事だ』と思う。
ところが、今度の直近の顕正新聞に出てましたね。
最後のページでもって体験発表で「45年間学会を一筋にやってきた。2人の娘に顕正会を勧められて顕正会に入会して初めて分かってきた」と。
自分が45年間一筋にやっている時に、池田大作が1月2日の誕生日に「その時にはずーっと池田先生の健康長寿を祈って、5時間の題目を唱えさせるんだ」とそういう指導をしている。
私はこれを見て驚いたんですが、以前から学会の新聞にはみんな「池田名誉会長夫妻の健康長寿を願って御祈念せよ」なんていう言葉が方々に出てくるんです。
これは『学会でこういう事をやらせているのかなあ』と思うんですが、池田大作だけじゃない。女房の香峯子婦人までいつの間にか健康長寿の対象になっちゃって(笑)、こんな馬鹿な信心がありますか。
大聖人様は「命限り有り。惜む可からず」と仰せになっておられるのに、池田の方では健康長寿の祈りをしている(大爆笑)。
一度天魔がその身に入って信心が狂うとこういう具合に何もかも考えられずに狂っていくんです。成仏がどっかに行っちゃうんです。臨終の大事もどこかに行っちゃうんですよ。ただ『長く生きたい』と思うだけになる。
ですから、いいですか、天魔がその身に入って信心が狂ってくると、大事な御遺命の国立戒壇を憎んで、それから日本を脅かす中国が軍事大国になるというその道を開いたのも池田大作ですよ。
日中友好国交回復をやってODAを中国に渡る様にしたのは彼でしょう。
そして、今自分個人は「健康長寿」「健康長寿」とそればかりをみんなに祈らせておる。
そして、彼は今生ける屍のようになっているんですね。
このような姿を見た時に、これは大聖人の弟子ではない。
要するに、法華経の杖をついて地獄に堕ちるという事がありまするが、大聖人様の仏法に縁をしながら信心が狂ってくれば外れて、悪道に堕するわけであります。
で、顕正会は大聖人の仰せのままに信心を貫きたい。
大聖人様が「命限り有り。惜む可からず」と教えて下さった。
この大確信を持って、本当に肚を決め切って、広宣流布・国立戒壇建立の御奉公を貫いていきたい。
大聖人様の弟子として生き、大聖人様の弟子として死んで行く。
この中に一生成仏がある。この中に真の現世安穏があるのであります。
平成24年 10月7日 浅井先生指導
- 塚原三昧堂の実態
- 上行菩薩の再誕
- 釈尊の予言通りの大難
- 命限りあり、惜しむべからず。ついに願うべきは仏国なり。
- 延命治療の欠陥と妙法の医療の大事
- 一生成仏こそ人生の目的であり、臨終こそ人生の最大事である