で富木とき殿どのという方は鎌倉かまくらばくもんちゅうしょ裁判所さいばんしょのような所でありまするが)、そこにしゅっをしておった文官ぶんかんでありまするから、佐渡さどざいということがどれほどこくことか(およそ想像そうぞうがついたんでしょうね)それを心配しんぱいされた。
 そして、自分の下にいる一人のにゅうどうだいしょうにんさま佐渡さどにいらっしゃる時にそばにつけて「佐渡さど御供おんとももうげろ」ということ富木とき殿どのもうし付けたんですね。
 ところが、だいしょうにんさまてらどまりまでそのにゅうどうをお連れになられたけれども、てらどまりというのは新潟にいがたのいよいよこれからにっぽんかいを渡って佐渡さどに行くというさいの所でありまするが、そのてらどまりでもってそのにゅうどうかえされた。
 その時にお手紙をつかわされた。それがあの有名ゆうめいな『てらどまりしょ』でありまするが、でこのにゅうどうをつけてくださったそのこころざし感謝かんしゃしつつ「しかし、佐渡さどに渡ればかえってわずらいもある」とっておかえしになられたわけであります。
 そして、このざいを心から心配しんぱいするその富木とき殿どのに対しておがみくださった。
 それがこのしょでありまして、今のしょたいへんみじかいですね。ページ数にすると1ページもらない。
 そういうみじかもんでありまするが、たいへんじゅうだいことだいしょうにんさまおおせになっておられる。
 どういうことか。そのしゅはこういうことです。

 「しゃくそんめつせんひゃくねんあいだ、インド・ちゅうごくほん・全世界においてりゅうじゅ天親てんじん天台てんだいでんぎょう等のだいしゃいまひろめなかったいちだいほう
 (この「いちだいほう」ということ文底もんていじん大法だいほう、すなわち「本門ほんもん本尊ほんぞん」のことですね)
 このいちだいほうほんごくに初めてひろめ立った。日蓮にちれんだいしょうにんこそその人である」

とこうおおせになって、そして「前代ぜんだいもんしょうだい地震が起きたのも、実にこのこと前相ぜんそう大瑞相だいずいそうであったのだ」とことおおせになっておられる。
 そしてもう一つ、じゅっぽんきょうもんをお引きになっておられるんですね。

 「きょういわく『どうり。いち上行じょうぎょうづく』」

 これは、じゅっぽんにそのままのきょうもんがありまするが、こういうことですね。
 先般もじん大会たいかいでもって私はちょっと説明せつめいをいたしましたが、じゅっぽんの時にだい震列しんれつして、六万ろくまんごうじゃ地涌じゆさつしゅつげんした。
 その六万ろくまんごうじゃ地涌じゆさつに4人のどうがましました。
 それがどう(4人のどう)という意味いみですね。
 上行じょうぎょうさつへんぎょうさつ浄行じょうぎょうさつあん立行りゅうぎょうさつさつでありまするが、3人目の浄行じょうぎょうさつというのはさんずいのじょうすいじょうじょうという字を書くんですね。
 この上行じょうぎょうさつへんぎょうさつ浄行じょうぎょうさつあん立行りゅうぎょうさつさつ六万ろくまんごうじゃ地涌じゆさつどうの4人でありまするが、その中のただいちにんだいどうがすなわち上行じょうぎょうさつであります。
 ですから

きょういわく『どうり。いち上行じょうぎょうづく』」

とこれだけのもんでありまするが、これは暗に「だいしょうにんさまこそしゃくそんが『末法まっぽうしゅつげんして全人類ぜんじんるいを救う上行じょうぎょうさつである』というそのげんしょうめい上行じょうぎょうさつその人である」ということをお示しくだされたたいへんじゅうだいもんであります。


平成24年 10月7日 浅井先生指導