先生は「戒壇の大御本尊を出世の御本懐とする文証はない」とか「大聖人が顕わされた御本尊はどれも同じ」などという馬鹿げた愚論について次のごとく痛烈に破折しておられます。
「『出世本懐成就御書』を拝せば天日のごとく明らかではないか。
『去ぬる建長五年四月二十八日、乃至、此の法門申し始めて今に二十七年弘安二年なり。
仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う。其の中の大難申す計りなし、先々に申すが如し。
余は二十七年なり、其の間の大難は各々且知ろしめせり』と仰せあそばす。顕正会員ならこの御文を耳にするだけではっきりわかる。
この御文の冒頭に、建長5年の立宗より『今に二十七年弘安二年なり』と仰せられ、この年の重大さをまず表示されている。
次に、釈尊は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年とそれぞれが出世の本懐を遂げられた年数を挙げられた後、これと対比して『余は二十七年なり』と仰せられている。
この『余は二十七年なり』の御意はまさしく『余は立宗より27年の弘安2年に出世の本懐を遂げたり』との重大なる御宣言なる事一点の疑いの余地もない。
この太陽のごとく明らかな御文を見ても、例えば毒気深入にして怨嫉の心強き身延派の坊主などはこれを出世の本懐成就の仰せとは見ない。彼らは『日蓮上人遺文辞典』の中でこう言っている。
『本抄に二十七年とあるのは、日蓮の法華経弘通開始以来27年間、その間の大難は門下一同周知の通りであり、今度熱原の者達は不惜身命の強信をもって弾圧に耐えているが、退転の心無く法難に勝ち抜けと強盛の信を勧めたものである』と。
つまり『余は二十七年なり』とは『大聖人が大難を受けてきた年数に過ぎない』と言っているのである。
これでは、大聖人様は大難だけを受けて、出世の本懐をお遂げになっていないという事になる。出世の本懐をお遂げにならない仏様がどこにあるのか。
最も彼らは大聖人様が久遠元初の自受用身・末法下種の御本仏とは到底拝せない。
また、戒壇の大御本尊に大怨嫉を抱いている。
よって、出世の本懐成就を否定するのである。
しかし、驚いた事には、今学会はこの身延派と同じ事を言うようになってしまった。天魔が身に入れば皆同じようになると見える。
では、本抄に仰せの出世の本懐成就とは何を指し給うのか。
それは、大聖人究極の大願たる広宣流布の暁に建立される本門戒壇に安置し奉る大御本尊の御建立そのものであられる。
そして、その大御本尊は実に弘安2年10月12日に御図顕あそばされている。
今謹んでこの大御本尊を拝し奉るに、中央の下部に大聖人様の大いなる御判形がまします。
そして、その御判形の真下に『本門戒壇也』の五文字が厳然としたためられている。
このゆえにこの大御本尊を『本門戒壇の大御本尊』と富士大石寺では七百年来申し上げているのである。
大聖人御真筆の御本尊数多ましますといえども『本門戒壇也』とおしたためあそばされた御本尊が日本国のどこにあろうか。
ただ富士大石寺に七百年来秘蔵し奉る本門戒壇の大御本尊のみである。
今身延の真似をして『文証がない』などと嘯く池田大作一党よ『出世本懐成就御書』の聖文と、弘安二年の大御本尊の『本門戒壇也』の金文こそまさに紛う事なき重大なる文証ではないか。
これが信じられないのは師敵対の逆徒、第六天の魔王の眷属と言う以外にはない」と。
かかる先生の仰せを全学会員は深刻に受け止めるべきであります。
令和6年 1月24日 1月度 総幹部会 浅井会長指導