次に、寿量品を読誦する意についてですが、寿量品は釈尊一代五十の説法の中でも最も大事なお経ですね。
ゆえに、大聖人様は『開目抄』において
「一切経の中に此の寿量品ましまさずば、天に日月の無く、国に大王の無く、山河に珠の無く、人に神の無からんが如し」
と仰せになっておられる。
では、なぜ寿量品がそれほど大事なのかといえば、仏様の本地、根源がこの寿量品において初めて開顕されている。
この本地を開顕する事を「顕本」というんですよ。
いいですか、本門寿量品の説法を聞くまでは、一切の大衆(弟子一同)は皆『釈迦仏は十九歳で出家し、三十歳で成道(仏様の悟りを得た)始成正覚の仏である』とばかり思い込んでいたんですね。
『釈迦仏はインドで生まれて初めて仏になった』とこう思い込んでおった。
ところが、釈迦仏は寿量品においてそれまでの始成正覚を打ち消して「実は、我は五百塵点劫の大昔にすでに成仏を遂げた仏である」との本地を開顕されたんです。
これは全ての弟子にとって信じ難く解し難い。まさに驚天動地の事だったんですね。
始成正覚の固執が強きゆえに、今生においていろいろと難行苦行をして初めて三十歳で仏になったと思い込んでいた。
それがいきなり「始成正覚は真実ではない」という事で久遠五百塵点劫の大昔の成道を顕わされたんですね。
この本地開顕という重大事を深く信ぜしめるために寿量品の冒頭において、それまでの爾前迹門の諸経においては一切見られない三誡三唱・十唱十誡という厳重なる儀式(手続き)をお取りになっておられる。
どういう事かと申しますと、寿量品の冒頭に
「汝等當信解、如来誠諦之語」
「汝等當に如来の誠諦の言葉を信解すべし」
とありまするが、誠諦というのは仏様の誤りなき真実の言葉という事「この誠諦の言葉を深く信解せよ」とこう冒頭に言っておられる。
この「汝等當信解、如来誠諦之語」の誡めを三度繰り返しておられるからこれを「三誡」というんです。
これに対して弟子一同は弥勒菩薩を代表して
「唯願説之、我等當信受仏語。
(唯願わくは之を説き給え、我等當に仏の御言葉を信受し奉るべし)」
という事を三度繰り返して御説法を請い願った。
これが「三請(三度の請い)」という事なんです。
その上さらに弟子一同は「唯願説之、我等當信受仏語」と三請の後に重ねて請い奉った。
これを「重請(重ねて請い奉る)」というんです。
この重請を受けて釈尊は
「汝等諦聴、如来秘密、神通之力。
(汝等諦らかに聴け、如来の秘密神通の力を)」
と言って重ねて誡められた。これが重誡ですね。
このように「三誡三唱、重請重誡」の儀式を踏んだ。これは寿量品だけですね。
大事な事を説法するに当たって、このように「三誡三唱、重請重誡」の儀式をお執りになった後に大事な御説法をされる。これくらい寿量品の御説法は大事なのですね。
そして、釈尊はまず弟子一同が胸に抱いている『釈迦仏は今生で初めて仏になった』との思いを挙げられた後に、いよいよ本地開顕の重大事が次に説き出だされるわけであります。
「出釈氏宮、去伽耶城不遠、座於道場、得阿耨多羅三藐三菩提」の部分がそれなんですね。 釈尊は釈氏の宮(王宮)を出て、菩提樹の下において初めて「耨多羅三藐三菩提」という仏様の悟りを得た。みんながそう思っておった。
ところが、そこで重大な宣示をされ
「我實成仏以来、無量無辺、百千万億、那由佗劫。
(我実に成仏してより以来無量無辺百千万億那由佗劫なり)」
という事を言われたんです。
次いで、この「無量無辺、百千万億、那由佗劫」という年月はどれほど長遠の大昔であるかという事を五百塵点劫の比喩をもって示された。
これが「譬如五、百千万億、那由佗阿僧祇、三千大千世界」と続くその説明ですね。
このように「我は五百塵点劫の大昔にすでに成仏を遂げた」と明かされたのが迹仏の本地開顕であります。
さて、この本地開顕について文上顕本と文底顕本の2つの立て分けがある。これこそ種脱を立て分ける重大な御法門ですね。これが一番重大な「種脱相対」という御法門であります。
いいですか、文上顕本というのは久遠五百塵点劫の本果の成道(釈尊が始めて久遠の時に成仏したという事です)これをもって本地の自行と名づけ、この本果を顕わすのを文上顕本という。
ですから、釈尊の五百塵点劫の成道を本地として、それを顕わすのが文上顕本である。
(平成30年 10月13日 御大会式 浅井先生指導)