さらに、このだいほんぞんにっぽんいちどうが信じてこくりつかいだんこんりゅうすれば、にっぽんは真に安泰の仏国となって天変地夭もなく、他国にも犯されることがない。
 さらに、ぜんかいの人々が信ずるに至れば、この地球がじゃっこうとなって戦争も飢餓も疫病も消滅し、人類は皆いっしょうじょうぶつを遂げることができるのであります。
 まさに、ほんもんかいだんだいほんぞんは人を、国を、かいを根底からお救いくださるだいろうやくであられる。
 そして、だいしょうにんさまにゅうめつ近き弘安5年9月(にゅうめつの一月前ですね)、このだいほんぞんにっこうしょうにんに付嘱され、ほんもんづうだいどうに任じ給うてこうせんの時至れば富士山にこくりつかいだんこんりゅうすべし」ゆいめいあそばされた。
 ですから、このぞくじょうを拝見しますとこういうことでしょう。
 にちれんいちほうとはだいしょうにんさまの一期のほんがいであるかいだんだいほんぞん、これをにっこうしょうにんに付嘱してほんもんづうだいどうに任ぜられた。
 その次にただちにこうせんの時至ればこくりつかいだんこんりゅうせよ。富士山にほんもん寺のかいだんこんりゅうせよ」とこうおおせになっておられる。
 ですから、いかに国家意思にもとづくこくりつかいだんこんりゅうだいしょうにんさまの究極のねんがんであられるか。
 ぞくじょうにおいて直ちににっこうしょうにんかいだんだいほんぞんを付嘱して、ほんもんづうだいどうに任ぜられた。
 直ちにこくしゅほうてらるれば」おおせになっておられることは、こくりつかいだんがどれほどじゅうだいな唯一のゆいめいであられたかということかる。
 だから、だいろくてんおうがこれを狙うんですね。
 そして、いっさいどうを終えられただいしょうにんさまあんじょうとしてめつにあらざるめつを現じられた。
 ほとけさまにゅうめつというのはまさにしゅじょうを救わんがために方便してはんを現ずる。
 そして、だいしょうにんさまつねにここに住じて法を説いておられる。これが、めつにあらざるめつですよ。
 ゆえに、私達は信心の耳でだいしょうにんさませっぽうつねに聞いて、だいしょうにんおんを恐れてまっすぐすすまなければいけない。
 だいろくてんおうのたばかりを寄せ付けるような油断がある信心ではいけないということであります。
 このだいしょうにんさますうこうそんにして限りなくだいだいいを拝したてまつれば、ただ大地にひれ伏してがっしょうたてまつるのほかはありません。


(平成30年 10月13日 御大会式 浅井先生指導)