本日は、我等末法の一切衆生を現当二世にお救い下さる久遠元初の自受用身・末法下種の御本仏、大慈大悲の南無日蓮大聖人様が一切の御化導を終えられて、弘安5年10月13日武州池上宗仲の屋敷において安祥として御入滅あそばされてより737年の御正当であります。
よって、本日二百万顕正会を代表する支隊長・総班長以上の全幹部がただ御報恩の赤誠をもってここに馳せ参じ、只今謹んで御大会の儀式を奉修させて頂いたわけであります。
今謹んで大聖人様の一大御化導を偲び奉るに、まさに、身命も惜しみ給わず巨難を耐え忍ばれて、ついに三大秘法を成就された。
そして、これを全人類に授与して下さった。
この大慈大悲の大恩徳はたとえ私どもが香城に骨を砕き、雪嶺に身を投げるともどうして叶うべきかと思うばかりであります。
大聖人様がお受けになられた大難は全て、いつも私が申しておりますように第六天の魔王の仕業ですね。
釈尊の時ですら「法華経を何としても説かせない」として第六天の魔王が必死に妨害をしております。
その様を『上野抄』にはこう仰せになっておられる。
「第六天の魔王、無量の眷属を具足して打ち下り、摩竭提国の提婆・阿闍世・六大臣等の身に入りかはりしかば、形は人なれども力は第六天の力なり」
いわんや末法に下種の御本仏が御出現あそばす時においておやですね。
この時、第六天の魔王は国家権力者の平左衛門並びに悪僧の代表である良観並びに日本国中の邪法の坊主達の身に入って、何と大聖人様の御命を奪わんとした。
ここに、一人、二人、三人の悪口ではない、国中が大聖人様を「阿弥陀仏の敵」と言って心から罵り、悪口罵言が渦巻いた。
その中に、松葉ヶ谷草庵襲撃、伊豆の流罪、小松原の剣難、竜の口の死罪、佐渡の流罪、これらは私達凡夫だったら命がいくつあっても足りるものではない。
しかし、大聖人様は文字通り身命にも及ぶこれらの大難を忍ばれたのであります。まことに恐れ多い限りですね。
だが、竜の口の頸の座において大刀まさに振り下ろされんとしたその刹那、月のごとくなる光りたる者が出現し、太刀取り依智の三郎は眼眩んでその場に倒れ伏し、数百人の兵士達も皆ことごとく逃げ出してしまった。
その中に、大聖人様は宇宙法界を自身と開く久遠元初の自受用身となり給うて末法下種の本仏と顕われ給うたのであります。
全人類は誰一人として仏になる道を知らない。
その中に、日蓮大聖人ただ御一人が仏になり給うたという事は、やがて全人類が全て大聖人様のお力によって仏にならせて頂けるという事なのであります。
これを「一迷先達、以教余迷」というんですね。
全人類が迷いの中にある時に、一人の聖人が先に悟りに達して、もって他の迷いの衆生を教えて下さる。
これが、久遠元初における仏様の御化導の姿ですね。
ここに、久遠元初の自受用身たる日蓮大聖人は大慈悲を起こされ、御自身が竜の口で証得されたお悟りの全体を一幅の御本尊に図顕され、全人類に授与して下さった。
この大御本尊こそ弘安二年10月12日に御書顕あそばされた本門戒壇の大御本尊であられる。
この大御本尊こそ日蓮大聖人の出世の御本懐であり、全人類が成仏させて頂ける根源の法体ですね。
この大御本尊の無量無辺の功徳について日寛上人は『観心本尊抄』文段において次のように御指南下されている。
「此の本尊の功徳、無量無辺にして広大深遠の妙用有り。
故に、暫くも此の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるは無く、罪として滅せざるは無く、福として来らざるは無く、理として顕われざるは無きなり」
と仰せになっておられる。
すなわち、この戒壇の大御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉れば、現世には宿命が変わって幸せになり、臨終には成仏の相を現じ、死後の生命も大安楽を得るという事であります。これが、現当二世の大利益ですね。
(平成30年 10月13日 御大会式 浅井先生指導)