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さて、去る 5月18日(土)の「親戚からの突然の電話連絡・続報62・後編」のブログの上段に、
「(前略)姉によりますと、仙台に旅行したとのことでありました。
(中略)
新緑が綺麗で いい所とのことでありました。(後略)」と記させて頂きました。それで、以下のことを思い出しました。すなわち、去る 9年前の12月7日(月)の「紅葉」のブログの上段に、
「(前略)楓に因ませて頂きますと、高校生時代の夏、京都の貴船神社に参りましたときに、新緑の楓が綺麗だったことが思い出されます。機会がありまして 宜敷ければ、この旅のことを記させて頂きます。(後略)」と記させて頂きました。
また、去る 4月16日(火)の「庭の花・続報47(楓の木)(令和6年)」のブログの下段に、
「(前略)前述致しましたように、当家の庭の 楓の緑が美しいと思いました。 因みに、去る 一昨年の3月11日(金)の『父親の転帰』のブログに記させて頂きましたように、父親が 母親に続いて 亡くなりました。なお、上記のように、以前 来ていた 生前の両親の為に委託していた宅食の おかずの配達員によりますと、誠に有り難いことに、当家の庭の楓の木が綺麗とのことでした。
庭の楓の木
(後略)」と記させて頂きました。
ならびに、楓の木の若葉は、下の画像のように 形が違うのであることを 発見致しました。
当家の庭の楓の木の若葉(夕方であり 被写界深度が浅くなっていますので、周囲がボケています)
そこで、フラッシュを焚いた写真が 下の画像でありますが、焚かない方が、若葉の色 そのものは 現物に近いのかもしれません。
当家の庭の楓の木の若葉(上記のように、フラッシュを焚いた画像)
ときに、仙台と言えば、平成9年1月17日~18日に 医学部の後輩で 母親が信仰していた 宗教の信者でもあった 医師に呼ばれて、彼の披露宴に出席する為に 仙台に行きました。
仙台(平成9年[1997年]1月18日[土]の日付が記されています)
脳神経外科医と一緒に
1学年 後輩と 一緒に
1学年 後輩の 二人
また、そのときに 序でに、電車を利用して 日本三景である 松島に行きました。
松島(平成9年[1997年]1月17日[金]の夕方)
松島(平成9年[1997年]1月17日[金]の日付が記されています)
松島(平成9年[1997年]1月17日[金]の夕方)
松島(平成9年[1997年]1月17日[金]の夕方)
松島(平成9年[1997年]1月17日[金]の日付が記されています)
松島(平成9年[1997年]1月17日[金]の日付が記されています)
ところで、去る 6年前の3月14日(水)の「告別式[家族葬]での挨拶」のブログの中段やや上に、
「(前略)心ばかりの御恩返しで御座いますが、生前 母親が 自分が亡くなったときには 流して欲しいと話していた エーデルワイスのC.D.を 急遽 昨日買って来まして、昨日の お通夜から 流させて頂いております。
急遽 購入した エーデルワイスのC.D.(告別式後、姉に あげました)
(後略)」と記させて頂きました。
ならびに、去る 5年前の2月24日(日)の「母親の一周忌の挨拶」のブログの中段やや上に、
「(前略)心ばかりの御恩返しで御座いますが、生前 母親が 自分が亡くなったときには 供えて欲しい と言っていた 海苔巻を初め 母親の好物を揃え、自分が亡くなったときには 流して欲しいと話していた エーデルワイスの曲を流させて頂いております。(後略)」と記させて頂きました。
および、去る 5年前の7月11日(木)の「盂蘭盆会・中編」のブログの中段やや下に、
「(前略)去る2月24日(日)の『母親の一周忌の挨拶』のブログの中段やや上に、
『(前略)心ばかりの御恩返しで御座いますが、生前 母親が 自分が亡くなったときには 供えて欲しい と言っていた 海苔巻を初め 母親の好物を揃え、自分が亡くなったときには 流して欲しいと話していた エーデルワイスの曲を流させて頂いております。(後略)』と記させて頂きました。今回の 盂蘭盆会でも、上記のように 母親の遺言通り、下の画像のように 母親の好物の海苔巻を お供え致しました。更に、上記のように エーデルワイスの曲を流しました。
母親の遺言通り 八度 お供えした 好物の海苔巻
(後略)」と記させて頂きました。
また、去る 5年前の2月24日(月)の「三回忌・後編」のブログの上段に、
「(前略)今回の三回忌でも、上記のように 母親の遺言通り、下の画像の如く 母親の好物の海苔巻を 初め 母親の好物を揃え、お供え致しました。更に、上記のように エーデルワイスの曲を流す準備をしました。
母親の遺言通り 十度 お供えした 好物の海苔巻
(後略)」と記させて頂きました。
しかも、去る 昨年の3月3日(日)の「父親の三回忌・母親の七回忌・続報・中編・6」のブログの中段やや上に、
「(前略)『生前 父親は 訪問看護師の前でも 全国高等学校野球選手権大会の歌であり 甲子園で流れる【栄冠は君に輝く】を 急に流して欲しいと言い、慌てて流したことがありました。また、母親からは、【自分が死んだら、エーデルワイスを流して欲しい。】とのことでありました。それで、本日は、その【栄冠は君に輝く】 そして 【エーデルワイス】を流させて頂いております。』と伝えました。(後略)」と記させて頂きました。
次に、平成18年(2006年)11月15日に 伯父が亡くなったときにも、仙台に行きました。 因みに、このときも 上記の披露宴のときと同様に、前日 ビジネス ホテルで 一泊致しました。なお、上記のように 母親から 「自分が死んだら、エーデルワイスを流して欲しい。」と言われたのは、この伯父の告別式のときでありました。序で乍ら、伯父が亡くなったのも、母親が亡くなったのも、戌年でありました。すなわち、母親が亡くなったのは、干支で 一回り 後ということになります。因みに、伯父と母親とは 5人の兄弟姉妹の兄 そして 妹であり、直ぐ 続いた兄弟姉妹でありました。
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)