啓蟄(令和6年) | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

 このブログ(英語:blog)に御訪問頂き、誠にありがとうございます。

 リンクを らせて頂いております。紫色のブログ・タイトルをクリック(英語:click)(もしくはタップ[英語:tap])して頂きますと、過去のブログ記事に移行します。(^O^)

 

 さて、去る 昨年の3月6日(月)の「啓蟄けいちつ(令和5年)」のブログの上段に、

「(前略)去る 昨年の3月5日(土)の『啓蟄けいちつ(母親の祥月命日)(令和4年)』のブログの上段に、

『(前略)去る 昨年の3月5日(金)の【啓蟄けいちつ(母親の祥月命日)】のブログの上段に、

【(前略)去る 一昨々年さきおととしの3月6日(火)の〖理容店 ・続報 13(啓蟄けいちつ・父親の食事)〗のブログの上段に、

〖(前略)去る 一昨々年さきおととしの3月28日(土)の〔お墓参り〕のブログ の上段に、

〔(前略)去る3月6日〘金〙は、二十四節気の第3の啓蟄けいちつでした。〘冬籠ふゆごもりの虫がい出る〙(広辞苑)という意味を示します。寒さがゆるんで、冬眠していた虫やかえる、そして、ヘビたちが起き出してくる時期とされています。但し、カマキリのような昆虫が出てくるのは、もう少し後ですので、虫というのは、虫偏むしへんのついた かえる や ヘビのこととされるという説があります。(後略)〕と記させて頂きました。本日は、この啓蟄けいちつですね。(後略)〗と記させて頂きました。本日も、この啓蟄けいちつですね。ちなみに、本日が 啓蟄けいちつであり、そのことにつきまして 家政婦に話しました。すると、家政婦によりますと、啓蟄けいちつは 2月だと思ったとのことでした。そして、本を読まないとのことでした。おまけに、ヘビ こわいとのことでした。(後略)】と記させて頂きました。本日も、この啓蟄けいちつですね。(後略)』と記させて頂きました。本日も、この啓蟄けいちつですね。(後略)」と記させて頂きました。本日も、この啓蟄けいちつですね。

 

 ときに、去る 6年前の10月29日(月)の「父親からの連絡・62・後編」のブログの下段に、

「(前略)本日の午前中の 父親の食事の準備をして、食べ終わるまで 付き添いました。それから、事務作業をするために戻って来て 午後4時16分頃にも、父親から 連絡がありました。ちなみに、毎度のように 『ぐに来てくれ』とのことでした。そこで、ぐに 父親のところに行きました。すると、父親によりますと、寂しい とのことでした。しかも、一昨日おととい すなわち 11月20日(火)の『訪問看護(父親)・16・前編』のブログなどに記させて頂きました 訪問看護にも 『寂しい。』 とのことで 電話したようであり、この訪問看護のかたから 電話連絡が入りました。そのうえ、処置中だったので 電話に出るのがおくれました とのことでした。なお、訪問看護は身体的な処置なので、父親の『寂しい。』 との訴えには どうにもならないこととでありますね。ちなみに、去る8月10日(金)の『庭木の剪定せんてい・4(父親の食事)(山の日[祭日])』のブログの上段に、

『(前略)去る7月5日(木)の【物語に基づいた医療(父親の食事)】のブログの上段に、

【(前略)去る6月21日(木)の〖ケア・マネージャー(父親)の来訪・12〗のブログの中段やや上に、

〖(前略)去る6月13日(水)の〔父親の訴え(うなぎ蒲焼かばやき・137[父親の食事])〕のブログの中段やや下に、

〔(前略)昨日も、父親によりますと、寂しい とのことでした。(後略)〕と記させて頂きました。そして、誠に有り難いことに、そのケア・マネージャー(男性)のかたが、父親が寂しいということは 人に会いたい ということではない ということを うなずいて 納得してくれました。すなわち、上記のように、父親が寂しいということは 母親を喪失したから なのであります。(後略)〗と記させて頂きました。ならびに、去る6月29日(金)の〖家政婦への贈り物(理容店 ・続報 15[父親の食事])〗のブログの中段に、

〖(前略)昨日も、父親によりますと、寂しい とのことでした。(後略)〗と記させて頂きました。父親によりますと、〖ママ、戻って来ない?〗とのことでありました。本日は、母親の月命日つきめいにち祥月命日しょうつきめいにち[御承知のように、また、去る 一昨年おととしの4月25日(月)の〖祖母の三十三回忌〗のブログ そして 去る 4年前の12月4日(木)の〖神社参拝〗のブログ のそれぞれ上段に記させて頂きましたように、一周忌いっしゅうき以後の当月の命日のことです]を のぞき 1年に 11回ある日のこと)です。

 上記のように、父親によりますと、〖何故なぜ、ママ、死んじゃったの?〗とのことでした。ちなみに、上記のように “Why” すなわち 〖何故なぜ〗という問いと、“How” すなわち 〖どのように〗という問いがあります。一般的に、この前者の“Why” すなわち 〖何故なぜ〗に答えるのが 哲学であり、この後者の“How” すなわち 〖どのように〗に答えるのが 科学であるとされています。なお、一般的な 自然科学を修めている医者は この前者の“Why” すなわち 〖何故なぜ〗には答えてくれない とされています。つまり、この後者の“How” すなわち 〖どのように〗に答えるのです。たとえば、死に至った疾患名について答える ということです。一方いっぽう、〖心の医者〗は、この前者の“Why” すなわち 〖何故なぜ〗という問いに向き合います。

 ときに、去る 一昨々年さきおととしの1月2日(金)の〖古事記の物語にもとづいた医療〗のブログ の中段に、

〖(前略)後者の〖主観的・相互交流的な事象〗を対象とするのは、N.B.M.(英語: narrative-based medicine)です。放送用語にナレーション(英語:narration)(物語ること)という言葉がありますね。"narrative"は物語という意味です。物語にもとづいた医療です。クライエントが体験し、そして、かたる物語があります。

 一方いっぽう、心理療法では、脚本分析というのがあり、クライエントがどのような脚本を持っているか、どのようなシナリオを持っているか、これがその人の人生に重大な影響を与えるということが言われています。医療者とクライエントとの結びがあって、相互交流する中からまれて来る、かび上がって来る、え上がって来る、そして、き上がって来る、新しい物語をつくるように目指めざす医療です。(後略)〗と記させて頂きました。上記の“Why” すなわち 〖何故なぜ〗という問いに答えるのは、このようにして つくられた 物語なのです。(後略)】と記させて頂きました。昨日も 父親によりますと、【なんで、ママ、死んじゃったの?】とのことでした。(後略)』と記させて頂きました。(後略)」と記させて頂きました。なお、前述の 去る 昨年の3月6日(月)の「啓蟄けいちつ(令和5年)」のブログの下段に、

「(前略)去る 昨年の3月5日(土)の『啓蟄けいちつ(母親の祥月命日)(令和4年)』のブログの下段に、

『(前略)去る 昨年の3月5日(金)の【啓蟄けいちつ(母親の祥月命日)】のブログの下段に、

【(前略)去る 一昨々年さきおととしの3月6日(火)の〖母親の転帰〗のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。そして、本日は、母親の祥月命日しょうつきめいにちでもあります。 ちな みに、去る2月24日(水)の〖母親の三回忌さんかいき一周忌いっしゅうきのこと〗のブログに、母親の三回忌さんかいき一周忌いっしゅうきのことを記させて頂きました。(後略)】と記させて頂きました。(後略)』と記させて頂きました。

 そして、去る 昨年の3月11日(金)の『父親の転帰』のブログに記させて頂きましたように、父親が 母親に続いて 亡くなりました。ちなみに、このブログの中段やや下に、

『(前略)姉夫婦 と 家政婦には、父親は、母親のところに行けたねと話しました。(後略)』と記させて頂きました。なお、昨日 すなわち 3月5日(日)の『父親の一周忌・前編』のブログ そして 昨日 すなわち 3月5日(日)の『父親の一周忌・後編』のブログなどに記させて頂きましたように、昨日 すなわち 3月5日(日)は 父親の一周忌でありました。(後略)」と記させて頂きました。ついながら、一昨日おととい すなわち 3月3日(日)の「父親の三回忌・母親の七回忌・続報・前編」のブログ そして 一昨日おととい すなわち 3月3日(日)の「父親の三回忌・母親の七回忌・続報・後編」のブログなどに記させて頂きましたように、一昨日おととい すなわち 3月3日(日)は、父親の三回忌・母親の七回忌でありました。

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)