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(半角で 6万文字以内という字数制限に達しましたので、こちらのブログ記事に 前回 すなわち 2月24日(土)の「父親の三回忌・母親の七回忌・中編・1」のブログの続きを記させて頂きます。前回のブログから 話が 繋 がっておりますので、前回のブログも 御覧頂きますと おわかり頂け易い と存じ上げます)
さて、去る 一昨年の7月10日(日)の「盂蘭盆会(父親の初盆[新盆])・後編」のブログの上段に、
「(前略)去る7月1日(金)の『榊・51・後編』のブログの上段に、
『(前略)今回も その花屋の方に、上記の 自然の甘さの 人参が含まれた りんごの100%ジュースを 感謝の印として 下の画像のように それぞれ 三人分を用意しました。因みに、去る6月26日の午後4時2分に 電話があり、5分で行くとのことでした。すなわち、もう1件の準備が出来れば、出発出来る とのことでした。それで、約12分後 すなわち 午後4時14分頃に 来ました。つまり、もう1件の準備に 時間が掛かったようであります。なお、その花屋の方によりますと、商品にする為には、農家から 仕入れてきても、水を与えて 水が上がる迄 待たなければならない とのことでした。序で乍ら、価格は、いつもと同じ ¥1,800円でした。因みに、その花屋の方によりますと、花が 700円とのことでした。そして、榊 が、一対で ¥350円とのことでした。それで、三対 買っているので、¥1,050円ですね。それから、差額の¥50円は、当方からのチップ(英語:tip)であると思われました。なお、今回も、上記のように ワクチンの話をしました。序で乍ら、欧米では 既に終了しているのに、当市では 4回目のワクチン接種を勧めていると話しました。すなわち、日本では 4周遅れで、未だに ワクチン接種を推進していると伝えました。すると、その花屋の方によりますと、誠に有り難いことに、納得してくれて 頷いてくれました。
感謝の印として 上記の花屋の方に 手渡した、自然の甘さの 人参が含まれた りんごの100%ジュースを それぞれ 三人分
感謝の印として 上記の花屋の方に 持ち帰り易いように 袋に詰めて あげた、自然の甘さの 人参が含まれた りんごの100%ジュースを それぞれ 三人分
(後略)』と記させて頂きました。
そして、今回も その花屋の方に、上記の 自然の甘さの 人参が含まれた りんごの100%ジュースを 感謝の印として 下の画像のように それぞれ 三人分を用意しました。 因 みに、去る6月26日(日)に、菊の花を注文しました。なお、去る7月6日(水)の午後3時53分に、花屋の方から 電話が入りました。それで、この花屋の方によりますと 2束ですね とのことでしたが、4束で注文しました。すなわち、数を勘違いしていたようでした。それから、数分で 直ぐに来るとのことでしたが、15分以上 掛かりました。そこで、やはり 数を間違えていたのであることが分かりました。序で乍ら、今回も、上記のように ワクチンの話をしました。しかも、近年 日本では、隠れた テロが行なわれているとの話になりました。そのうえ、日本ではその花屋の方と 共にテレビは見ないという話になりました。のみならず、その花屋の方によりますと、当方の携帯電話のことを いいカメラだね とのことでした。それで、これは 携帯電話ですと回答しました。おまけに、直接 その花屋に行きますと、奥方は 店に居ても 出てきません。つまり、その奥方は 檀那を呼びに行って 代わりに 檀那が出るのです。
感謝の印として 上記の花屋の方に 手渡した、自然の甘さの 人参が含まれた りんごの100%ジュースを それぞれ 三人分
感謝の印として 上記の花屋の方に 持ち帰り易いように 袋に詰めて あげた、自然の甘さの 人参が含まれた りんごの100%ジュースを それぞれ 三人分(誠に有り難いことに、手渡したら 繰り返し 済みません と言われました)
仏花(菊の花)
上の仏花(菊の花)を冷蔵庫で保管
冷蔵庫で保管した麦茶
ときに、去る7月6日(水)の午前9時48分に、お寺の手伝いという女性から 当日の確認の電話が入りました。すなわち、本日の午前10時からであります。
なお、初盆が開かれる会場の案内を 事前に掲示しました。
ところで、下の画像の如く 僧侶に手渡す 御布施は 初盆なので 金5万円とのことでした。そして、御車代が 金1万円とのことでした。すなわち、合計で 金6万円を用意しました。
御布施
御車代
次 に、上記のように 本日の午前10時からでありますが、午前9時半頃 僧侶の黒の車が 当家の駐車場に停まりました。ところが、なかなか 訪ねてきません。それで、様子を 見に行きました。すると、家政婦によりますと、その僧侶は 車の中で寝ているとのことでした。 因みに、当初 家政婦は、車の中には 誰も居ないと思ったとのことでした。
お供えの和菓子
初盆終了後に 直会として 参列者に あげた 和菓子(左下は、家政婦の手であります。なお、この家政婦にも あげました)
お供えの りんご
参列者用の りんご
お供えの りんご・ジュース(初盆終了後に 直会として 参列者に あげました)
お仏壇
お仏壇
お花(仏花[菊の花])
お花(仏花[菊の花])
さて、去る 4年前の8月13日(月)の『初盆(新盆)(父親の食事)』のブログに、
『(前略)去る7月14日(土)の【初盆(家政婦への贈り物・父親の食事)】のブログの冒頭に、
【(前略)去る7月4日(水)の〖盂蘭盆会・(鰻の蒲焼・148[父親の食事])〗のブログの上段に、
〖(前略)去る5月8日(火)の〔収骨(分骨)〕のブログの上段に、某・本願寺の須弥壇に 母親の収骨(分骨)をしたことを記させて頂きました。そして、この某・本願寺から 郵便振替用紙が同封されて 盂蘭盆会の案内が来ました。それで、父親と相談して 金1万円の お布施を奉納しました。(後略)〗と記させて頂きました。お盆(正式には、上記のように 盂蘭盆会)は、7月 または 8月の13日から16日(地域によっては、15日)に行う祖先の霊を供養する行事です。 因みに、去る3月6日(火)の〖母親の転帰〗のブログ、去る3月9日(金)の〖鰻の蒲焼・74(告別式・父親の食事)〗のブログ そして 去る3月14日(水)の〖告別式での挨拶〗のブログなどに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。それで、今年のお盆は、初盆なのです。喪服を着用しました。
なお、盆棚(精霊棚 もしくは 先祖棚)の準備をしました。この盆棚の上に 下の画像の真菰を敷きました。この上には 初物の野菜 そして 果実などを供え、御先祖の霊を迎えます。因みに、馬牛は、御先祖様が 浄土の行き帰りに 馬に乗り 牛に荷物を引かせるに お使いになります。
それから、麻がら(麻幹 もしくは 箸木とも 云います)は、迎え火・送り火に焚きます。また、茄子・胡瓜で作った 馬牛の足に使い、箸としても利用するとされています。
真菰
馬牛
麻がら
序で乍ら、去る4月12日(木)の〖鰻の蒲焼・99(父親の食事)〗のブログの中段やや上に、
〖(前略)去る4月2日(月)の〔榊(父親の食事)・1〕のブログの中段やや上に、
〔(前略)去る3月29日(木)の〘鰻の蒲焼・90(お供え・父親の食事)〙のブログの中段やや下に、
〘(前略)上記のように 母親が 亡くなってから 毎日 仏壇に お供え物を置かせて頂いていますが、前述の母親の遺言通り 母親の好物の海苔巻を お供え致しております。
母親の遺言通り お供えした 好物の海苔巻
(後略)〙と記させて頂きました。そして、今回も、新たに 上記のように 母親の遺言通り 母親の好物の海苔巻を お供え致しております。
母親の遺言通り 再度 お供えした 好物の海苔巻
(後略)〕と記させて頂きました。そして、今回も、また 新たに 上記のように 母親の遺言通り 母親の好物の海苔巻を お供え致しております。
母親の遺言通り 再々度 お供えした 好物の海苔巻
(後略)〗と記させて頂きました。そして、今回も、また 新たに 上記のように 母親の遺言通り 母親の好物の海苔巻を お供え致しております。
母親の遺言通り 再々々度 お供えした 好物の海苔巻
(後略)】と記させて頂きました。そして、今回も、またまた 新たに 上記のように 母親の遺言通り 母親の好物の海苔巻を お供え致しております。
母親の遺言通り 五度 お供えした 好物の海苔巻
(後略)』と記させて頂きました。すなわち、上記の真菰と馬牛です。
真菰と馬牛
前述致しました 幼少の頃の 聖徳太子像
父親の遺影
両親の遺影
祖父母 そして 伯父の遺影
会場の様子
会場の様子
会場の様子
生前に 母親が 描いた仏画
生前に 母親が 描いた仏画
生前 母親が 写経した 膨大な 般若心経の一部
ときに、去る5月8日(日)の『埋蔵施設 使用許可証の登録(霊園管理事務所)』のブログの中段に、
『(前略)誠に有り難いことに、当家墓誌に記載されている 6柱が 全て、埋蔵(収蔵)事項に記載されることになりました。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、盂蘭盆会で 御先祖が 帰ってきていますので、上記のように 当家の6柱を含めた 人数の座布団を置きました。
なお、焼香が 開始される前に、焼香の為の火種が消えてしまいましたので、急いで 新たに 火種を用意しました。
しかも、家政婦が、僧侶に スリッパを用意することを忘れました。
ところで、写真を 撮影ることになるだろうと予想して、予め、プリンター(英語:printer)に 印画紙を 既に セット(英語:set)致しておりました。そして、撮影して 直ぐに、プリント(英語:print)致しました。
集合写真
集合写真
母親が 旅行して お土産として購入した 品物
家政婦が 持ち帰った、母親が お土産として購入した 品物
家政婦が 持ち帰った、母親が お土産として購入した 品物
次 に、引き出物は、上に記させて頂きましたように 二家族分を用意して、前述の 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 2箱)を 説明を添えて 手渡しました。
引き出物として、僧侶、家政婦 と 従兄弟の方々などに それぞれ 手渡した、減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 3箱)
引き出物として 熨斗紙を掛けて、僧侶、家政婦 と 従兄弟の方々などに それぞれ 手渡した、減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 3箱)
持ち帰り易いように 風呂敷で 包装した 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 3箱)
持ち帰り易いように 風呂敷で 包装して 手提げ袋に入れた 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 3箱)
用意した 二家族分の引き出物
さて、僧侶によりますと、若いころは ハワイに行っていたとのことでした。そして、ハワイから帰ってきて 日野の お寺を建てたとのことでした。 因みに、その僧侶によりますと、誠に有り難いことに、自分の お寺に 当家の かつての法事の写真があるとのことでした。なお、いろいろあるとのことでした。ないところにはないとのことでした。それで、般若心経に書かれてある如く、ない方がいいですね と回答しました。序で乍ら、その僧侶によりますと、誠に有り難いことに、当家とは 50年の付き合いがあるとのことでした。すなわち、実際には 約60年以上の関係があります。
それから、その僧侶の話しであります。すなわち、
『息が切れたそのとき、悲しい別れではありますが、悲しさが、寂しさが、切なさが、喜びに転ぜられていく道が 念仏の道です。大事な人との別れ こんな悲しいときに 喜べることなんか出来る筈ない、念仏の教えに出会わない人は 皆 そのように言うに違いありません。その別れのときが 何時 何処で どのようにして ぶつかってくるか 火に焼かれていくこともあれば 水に溺れていくこともある 苦しんで逝く人もあれば ぽっくり逝く人もある 人 それぞれでありますけれども どんな風にして逝っても 息が切れたときが お浄土だよ お浄土が約束されておる お念仏を申す身とならせて頂くということはそういうことだよ 教えられるのであります。辛い 悲しい 心がグラグラ グラグラ 揺れ動く別れでは ありますけれど 正に 逝く人も 残される人も そうであり そのグラグラ グラグラ 揺れ動く心の中に ですね お念仏が出て下さり そうなんだな 有り難いことだったな お浄土に生まれさせて頂くんだったな お浄土に生まれ 仏さまとなられて これからは 私たちを 何時でも 何処でも 見ておって下さり 私たちを救う働きをしておって下さるのだな お念仏というのは 永遠にと言ってもいいんでありましょうね そうして 受け継がれていくのでありましょう。永遠の生命を恵まれていく道が お念仏の道であると言ってもいいのでありましょう。いろいろな娑婆世界での 思い出が一杯ではある 懐かしい 楽しい ときには 悲しい ビックリした いろんなことが 一杯ある人生ではありますが、振り返ってみて いろんなことが あったな あの人も この人も 逝ってしまった いよいよ 今度は自分の番かな というときが 必ず 来るのであります。自分の番が 何時 何処で どうやって 来るのか分かりませんけれども、何時 何処で そのときが来ても お念仏と一緒だから 大丈夫 大安心を頂いていくことが出来る道が お念仏の道であると言ってもいいのでありましょう。苦しいことがないように、悲しいことがないように、辛いことがないように、一生懸命 お願いをする というのが 浄土真宗ではありません。どんなことにぶつかっても お念仏があるから 大丈夫と堂々と どんなことでも 真正面から ぶつかっていく 誰のせいにする迄 もなく 何のせいにする迄 もなく 自分のこととして そのまんまを受け止めていくことの出来る心を教えられる このお念仏の道であります。今日は ○○さんの初盆 招いて頂きましたこと 誠に嬉しく 有り難く思うことで 私の父も母も亡くなりましたけれど、誓願寺での御縁のときの写真を 一杯 ○○さん(当方のこと)から出して下さって 懐かしく 何か 私の父も一緒に居て下さるような 母も一緒に居て下さるような、また 奥様もお祖母ちゃん 私が小学校のときから このお祖母ちゃんには 誓願寺で お世話になっている 本当に50年どころじゃない 60年位の御縁が 今迄 ずっとある○○家であります。今日 お勤めさせて頂きましたこと 有り難く思うことであります。どうも 有り難う御座いました。』以上であります。そして、家政婦によりますと、いつもと同じ話とのことでした。
それから、当方が 写真のプリントをしている間に、その僧侶 と 参列者の話が始まったとのことでした。すなわち、家政婦が残りました。
つまり、その僧侶が 参列者の一人に 何処から来たのか 尋ねました。すると、その参列者(従兄弟)によりますと、木更津から とのことでした。そして、新宿迄 バスが来ているので 新宿迄 1時間位で、意外と 近いとのことでした。ならびに、その参列者の母親が 長女であり 五人兄弟(男 一人 そして 女 四人)とのことでした。四人姉妹は賑やかとのことでした。一緒に旅行に行きとのことでした。 因みに、その僧侶によりますと、木更津の證誠寺という 狸ばやしの伝説がある お寺が 同じ浄土真宗とのことでした。何回か 布教に言ったとのことでした。その参列者(従兄弟)によりますと、道路を 二本位 隔てた 光明寺(日蓮宗)とのことでした。すると、その僧侶によりますと、話を遮って 君津ではないねとのことでした。すると、その参列者(従兄弟)によりますと、君津にも 同じ系列の お寺があるとのことでした。そして、その僧侶によりますと、君津の お寺も よく知っているとのことでした。それから、その僧侶は 浄土真宗東本願寺派のお寺と思ったようですが、上記のように 日蓮宗ですね。なお、その参列者(従兄弟)によりますと、自分は 養子で行ったので、君津の方は 同じ光明寺で 母の方は 木更津の方の光明寺とのことでした。
その参列者(従兄弟)によりますと、遺影を見て 叔父さん(父親のこと)も 変わらないですね とのことでした。すると、家政婦によりますと、大分 若い頃の写真と答えました。
その参列者(従兄弟)によりますと、当方とは 従兄弟同士なのですけど あまり こう ちょっと とのことでした。すると、その僧侶が笑っていました。
その参列者(従兄弟)によりますと、姉とは 兄と 三人 仲が良くて、当方とは年齢が離れているから とのことでした。
その僧侶によりますと、八王子から とのことでした。それで、日曜日なので 車は空いてとのことでした。
その僧侶によりますと、今日は 選挙の日ですけれど、前・首相(元・総理のこと)が ああやって ビックリするような形で 撃たれて 亡くなった ちょっと信じられないような みんな ポワとして 亡くなったというような感じがしないとのことでした。その僧侶によりますと、酷いことをする人が居るもんだと思ってとのことでした。すると、その参列者(従兄弟)によりますと、奈良県警が 結構 いろいろ言われているとのことでした。その僧侶によりますと、あれは 必ず言われるとのことでした。八王子は 萩生田(衆議院議員のこと)さんが出たところで、前・首相(元・総理のこと)も いつも 八王子には来て いろいろ萩生田さんの話をして こられた 知っている方は 沢山 居られて あれは もう県警の本部長は みんな 飛ばされるとのことでした。その参列者(従兄弟)によりますと、そうですね 日本は 平和国みたいなところがあって、まさか ピストルで なんか思わないですからね。その僧侶によりますと、手製の 誰かが 言っていたけど カメラを持っていたと思ったとのことでした。猟銃だとか 最初は散弾銃なんて ニュースがあったが、散弾銃っていったら 長い奴だから 直ぐ分かるだろうけどね とのことでした。全くねとのことでした。その参列者(従兄弟)によりますと、鞄に入れておいて 鞄から取り出して 撃ったのですねとのことでした。まさか S.P.は 何人か居るのでしょうけれども、全然 そういう緊張感が無くて 居ますからねとのことでした。その僧侶によりますと、どうやって なかなか やっぱり 何処か 狙ってと言っていましたからね とのことでした。計画的に狙っていたんだね 恐ろしい ああいう人が居るか と思うと とのことでした。その僧侶によりますと、本当にね この娑婆世界は まさか ということが起こるのが 娑婆世界だ とのことでした。日本で ああゆう風にして 亡くなった政治家って 昔は 戦前 あったに違いないから あるんだけれども とのことでした。記憶にあるのは 浅沼 あの人が刺されたときに 僕は 小学生か中学生の頃でしたから あれは 何となく 覚えているとのことでした。その参列者(従兄弟)によりますと、衝撃が ありましたけどね とのことでした。その僧侶によりますと、世界中を駆け巡っていた 頑張っていた 前・首相(元・総理のこと)ですから、余計 何か 世界中の国々の人たちが 弔辞を アメリカでも 半旗というようなことでとのことでした。
すなわち、まず その僧侶から、元・総理 銃撃事件の話が挙がりました。その僧侶によりますと、銃を隠していて 何故 わからなかったのかとのことでした。そして、当方が 写真のプリントを終了して 家政婦に内線で連絡しましたら、当初の打ち合わせと違い 家政婦から戻るように言われて そうしました。それで、当方からは、 銃規制の厳しい日本で 撃たれたこと。総理大臣経験者が 銃撃されるのは、高橋是清 元 総理 以来であること。そして、ブラジルのボルソナーロ大統領は、7月8日 国として 3日間、喪に服すことを宣言したことなどを話しました。 因みに、その僧侶が 上記のように 昭和35年(1960年)に 浅沼(社会党委員長)が刺されたということを話したことを知りませんでした。それで、上記のように 高橋是清 元 総理 以来ですねと話してから、総理大臣経験者が と 不思議と付け加えています。これは、吾乍ら、誠に有り難い 勘であると思われました。
すると、その僧侶によりますと、何だろうかと 普通 誰しも 思うよね とのことでした。そして、ニュースで 道路に落ちている テープで巻いてある 筒みたいの まさか あれが 銃だとは思わないよね とのことでした。しかも、その僧侶によりますと、ああゆう亡くなり方をしなくても、亡くなったから ああゆうこと、世界中から ああゆう風にされる人っていうのは そんなに日本の政治家でも あんまり居ないんじゃないかと思いますね。そのうえ、亡くなったら どんどん 評価が 高くなっていくんだけれど とのことでした。なお、昨日 すなわち 7月9日(土)の『元・総理大臣のこと』のブログを記させて頂いたことを伝えました。
ときに、僧侶の尊父の生前の肉声を聞いてもらいました。また、そのとき すなわち 姉の結婚式で 祖母が 『恩徳讃』と『報恩講の歌』を歌いましたと伝えました。すると、誠に有り難いことに、その僧侶によりますと、その歌を聞くとのことでした。それで、祖母が歌った歌を レコーダーで流しました。すると、その僧侶の方から 聞くと言ったにもかかわらず 祖母の歌は 音が外れていたとのことでした。それで、数十人以上の披露宴で 歌ったのですから 緊張していたのでしょうと話しました。その後、家政婦には、浄土真宗の宗教団体の会場で歌うのではなく 一般の 会社役員が出席する場所で歌ったのであるから 凄いことと話しました。すると、誠に有り難いことに、その家政婦は、頷いてくれました。
ところで、午後10時50分頃、一番に僧侶が帰りました。家政婦が 上記の引き出物を渡そうとしましたが、危うく 両者を取り違えるところでした。それで、当方が伝えまして 事無きを得ました。その僧侶の黒の車のところ迄 家政婦が 上記の引き出物を運びましたら、その僧侶によりますと 上記の りんご・ジュースを 1本 車内で 飲んでいくとのことでした。 因みに、その家政婦も 上記の 麦茶を半分 飲んだとのことでした。なお、この家政婦によりますと、車が停まっていたので、自分の自転車は 奥に停めたとのことでした。
次 に、その後 7歳 年上の従兄弟によりますと、奥方が 駅の階段のところで 転んで 怪我をしたとのことでした。 因みに、足がもつれたとのことでした。それで、その従兄弟によりますと、奥方のところに見舞いに行くとのことでした。それで、現金書留で お見舞いを送りました。
また、その従兄弟によりますと、傘を持ってきてしまったが、暑くなったとのことでした。
その従兄弟に送った お見舞い
そして、僧侶が帰って その約20分後、その従兄弟が帰りました。 因みに、この従兄弟が帰った後で その家政婦によりますと、彼は よく話すので 女性的とのことでした。それで、上記のように 養子だからねとの話になりました。
なお、事前に打合せをしていたにもかかわらず、家政婦が 参列者の人数を勘違いしました。それで、急遽 来られなくなった 従兄弟の奥方の分の お菓子を渡し損ねました。そこで、その家政婦に あげました。
それから、後片付けのことがありました。 因みに、午後0時15分頃 その家政婦によりますと、その僧侶は お腹が 空いたのだろうとのことでした。それで、午前10時50分に帰ったので まだ その僧侶は お腹は空いていないだろうと答えました。それに、その僧侶は 檀家を回ることは 慣れているだろうしとの話になりました。そこで、その家政婦が 投影(英語:project)(心理学用語)して 自分の お腹が 空いているのであろうと思われました。それで、そのことを 直面化(精神分析[心理学]の用語です。簡単に言えば、指摘することです)しましたら、案の定 そうでした。そこで、休憩時間にして 食事を支給しました。
序で乍ら、その家政婦は 午後2時頃に帰りました。
さて、ヘルパー(日本語:家政婦)に 本日の給料と致しまして 6時間半分 すなわち 金12,960円を手渡しました。また、上記の お菓子などの おもてなし や 母親が 旅行して お土産として購入した 品物も添えました。ならびに、その家政婦に求められて、下の画像の 頂いた 初盆法要記念(龍の柄の風呂敷)も あげました。
家政婦に求められて あげた 初盆法要記念
家政婦に求められて あげた 初盆法要記念(龍の柄の風呂敷)
最後になりますが、去る6月24日(金)の『参議院議員総選挙(令和4年)(求む! 真の保守の台頭)』のブログの下段に、
『(前略)今回は 来る 7月10日(日)の投票日に 父親のことがあり、期日前投票をすることになりました。因みに、父親のことは、3ヶ月以上前から決まっていたのであります。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、ここ迄 記させて頂きましたように 父親の初盆(新盆)のことがありましたので、上記のように 期日前投票をしました。(後略)」と記させて頂きました。
(再度 半角で 6万文字以内という字数制限に達しましたので、次 のブログ記事に この続きを記させて頂きます。なお、義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございました。唯々感謝。(^-^)