トンボの日記

トンボの日記

ある日っ紙芝居師が臨死体験すると占い師になったとさっ!

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今年も夏は暑い。エアコンはもう十年以上、常備していない。毎年、毎年何とか扇風機で夏越えしている。でも本当に健康に良い。しかし睡眠時、寝汗で飛び起きてしまうので睡眠不足が一番の大敵になる。

しかし、しかしだ。今年の夏本番の今。寝る時に全く全く扇風機を使っていないのに気がついた。思い当たるのはそう言えば先月から自分の飲料水をガイヤの水に変えたからではないだろうか?一日の水分摂取量は年中3ℓ以上は取る。それを全部変えたのが原因じゃないだろうか?後、神代文字など祝詞や経を唱える事が体内の水分に何か影響しているんじゃないだろうか。凄い反応だと思う。こんな話も通じない人に言うと案の定、熱中症がどうたらこうたら要らぬおせっかいが飛んでくるけれどそれも面白くなってきたなあ。


#ガイヤの水135

#神代文字

#カタカムナ

#龍体文字

#ホメミ文字

#阿比留草文字

#ヒフミ祝詞

#アワウタ

#いろは歌

#大祓詞

#般若心経


 もう一昔前、絵本の読み聞かせボランティアをやっていた時に、読み方を追求していた。

ある本に「読み方はなく、それを何回も何回も練習すれば、自ずとその作品にあった読み方が出来上がる」と書かれていた。

それを徹底的に声出しで練習するとこうかなとか、こうじゃないとかで本当に仕上がってくる。

感性と違和感が大事になってくる。もちろんこれは個人練習だから本番でどうなるかは分からない。
練習と実践は全然違うし、練習が足りなければ実践で力は出せないし、実践で力が出なかったら練習のやり方が違ったのだと堂々巡りになる。

常に主観と客観の立場の入れ替わりだ。

混乱すれば迷ってしまう。

だから型(カタチ)がいる。

迷えば最初の型に戻ればいいのだ。

何はともあれ自問自答は続くのだからそれを放棄したものは一切いらないという事だ。

 本当に三年前にあらゆる事がストップしてしまった。
特にこのコロ○以後の三年は事故や大怪我などが続いた。
動いていないと「不安」が先走る。
何かしなければいけない、何かしなければいけない。
でも何をしなければいけない?
強迫観念からか禁断症状のように狂ったように自分を追い立てた。
残ったのは傷だった。

 もう辞めたっと肚を括ったつもりの仕事。
3年ぶりに声が掛かった。今の自分を奮い立たしたい。
過去の自分が今の自分に吼えつける声のよう。
少しだけでも、少しだけでも再開していこう。
藝の道。彌榮。魂が千切れるその瞬間まで。

NEW!

 

☆『占い』 2020年~2021年

占い師トンボの出演・出展情報!

兵庫県尼崎市 阪急武庫之荘駅近く「パレット」阪急オアシス武庫之荘店2F バックSANWA内占い館プレアディス 11:00~19:00

毎週曜出演!
 

以下の活動は終了いたしました。有難う御座いました。

 

https://ameblo.jp/mushisan-kamishibai/entry-12370689254.html

 

 

 

(4)みんなあつまれ かみしばいがいっぱい~見て!作って!演じてみよう!~

 https://ameblo.jp/mushisan-kamishibai/entry-12361633353.html

 

 

(3)みんなあつまれ かみしばいがいっぱい~見て!作って!演じてみよう!~

https://ameblo.jp/mushisan-kamishibai/entry-12353698109.html

 

「ロックンロールを好きになった人は、やりたいことしかやれなくなる

 https://ameblo.jp/mushisan-kamishibai/entry-12352101578.html

 

 

過去の活動履歴↓

https://ameblo.jp/mushisan-kamishibai/entry-11285108888.html?frm_id=v.mypage-checklist--article--blog----mushisan-kamishibai_11285108888

 

 

2019.7.27

 

 この日は北堀江の美容室uttaさんで紙芝居をさせてもらいました。
オーナーの青松さんとは実は小中学の頃の同級生です。FBで繋がった縁でした。
単身、田舎から都会に出てきて激戦区でお店を構えている。そのエネルギーにこちらも刺激を受けます。
昨晩は難波で占いの現場があったのでその前にカットしてもらいました。

 

 

 そして本日、台風の影響で大雨でしたが紙芝居をさせてもらいました。
大阪の西区は去年から縁があって、何度か単独でもワークショップを開催させてもらったりしていました。

そこにもお声かけできていたらもっと集客はできていたかもしれません。

 

わざわざ和歌山の田舎から同級生も駆けつけてくれました。有難う御座います。久しぶりの再会。

自分の彼の見方が変わっていました。波動からみてしまうというのか?前回あった時は自分が自覚なくスピに入っていく頃だった。

さて、いつものようにクイズ紙芝居をしてヘンテコな紙芝居をしてあっという間に終わりました。
オーナーありがとう!紙芝居はワークショップも面白いし、僕には占いという武器もあるからまたコラボさせてもらおうと思っています。

 

 そしてこの後、布施で占いの現場があって4時間の現場だったのですが集客が今までで最高記録の22人もお客様が来てくれました。
行列が出来てしまいました。春から始めた占い業で通算鑑定人数がちょうど100人で打ち止め。

舌が筋肉痛なのか呂律が回らなくなってくる。

 


昔、紙芝居で何時間も声を出していたけれどこんな事にはならなかった。
これはきっと細やかな言葉を長時間、使うという新しい「喋り方」の壁にぶつかったのだろう。

舌が回らないから頭の回転も回らない。これも克服していかなければならない。

 

 

1日の中で紙芝居と占いが重なる日は本当に喉のケアやその発声の仕方までを考えておかなければならない。
この後にMBS「ミント」という番組で自分の事を取り上げて頂きました。(2019年8月8日に放送されました)
その時、自分が喋る言葉を噛み倒した。

 

 

 今の所、占いはフリマの出店が殆どです。
お客様がゼロの日もありました。同業に圧力を掛けられた事もあった。
そんな事はどうでも良かった。1日1日出てくる課題に向き合った。

 この日、行列が出来る程、お客様が並んでくれた。
100人越えは一つの区切りです。タロットの師匠ラビリンス灯子先生とクンダリーニヨガの中山くみこ先生ありがとうございます。

 

 

2019.7.24 勝山天神祭
今年もやってまいりました。もう何年目になるのか?
今日はお祭りで残った景品を主催者さんから沢山もらったのでクイズ紙芝居で沢山子供にあげました。

今日は紙芝居が始まる前に食べたかき氷で喉が冷えたのか、それが反省。終わってから喉が枯れてしまった。

 

 

 今年の春から紙芝居以外でも「タロット占い師」の活動も始めました。
自分の中で明確に「紙芝居」と「占い」を分けておかなければならないし、また共通点を見つけねばなりません。
また「紙芝居視点」で自分の占いを見なければいけないし、「占い師視点」で自分の紙芝居を見なければいけません。
どちらも共通しているのは「絵を見て語る」という共通点があって、その「普遍」にどれだけ深く突っ込んでいけるかです。

 

 

 僕の場合、紙芝居では台詞の字数は短くその分、声量が出せて「間」が命になってくる。
そして台詞が長くなってくると「謡うように語り、語るように謡う」を意識する。

 占いでの言葉は字数が多くなってくるし、カードの展開でアドリブ的になってくる。お客様のご相談によってはトーンも下がったりする。

ただやや多く喋り過ぎてしまってお客様がどの言葉を持って帰っていいかにもっと意識を向けなければならない。

もっと意識するのはアドリブの中だけどその言葉の使い方は、演出的でもっと脚本的に練れたような説明がお客様には分かりやすくなる。

でも技術的な事よりも自分が心で向かい合えているのか?生の肉声でその人と向かい合えているのか?

自分のその声を心から引き出してこない限り響かないと思う。だから本当は技術は後でいい。
タロットカードも紙芝居の絵もその心の媒体であると思っている。
一切、このお祭りの紙芝居とは関係ないような記事ですが・・・

 

 

 

 

2019.6.4

 

 紙芝居の話。
今日の現場に集まっていただいたお客様有難うございます。
さて最近、新作紙芝居というのが全然作れていない。
ここの現場では結構同じネタばかりをやらせてもらっています。
大阪のマッチャ町にいって紙を裁断してもらわなければいけないと思いつつ中々、行けていない。

 

 

 最近、違う活動も始めました。
紙芝居とは全く違うジャンル。
けれどそれは自分の中では「紙芝居」であって絵を主体するもの。
この絵を主体する事は紙芝居の本質だと思う。

それは「タロット占い師」。

 

 

 紙芝居は手作りのオリジナル作品に今まで拘ってきたけれど、この際図書館から他人が作ったものを借りようと思う。

それを演じるのも勉強になるかもしれない。実際、タロット占いだって自分の絵ではない。
自分では考えつかない文章や絵を主として仕えるか?「絵使い」という言葉があるけれどひょっとしたらそれは「絵に仕える」という事かもしれない。

 

 占いの活動はフリーマーケットの現場が多く、こんな現場を見た。

ある若いアーティストが自分の作品はどこの学校で教えてもらったんでも習ったのでもなくオリジナルなんですっとあるご年配の方に名刺交換している時に意気込んでいた。

「あのね。絵はね。オリジナルであろうと学校で習おうと心で描くんやで」というような事をその年配の方は返されていた。

 オリジナルだからなんだって言うんだろう。

オリジナルであれコピーであれ、それを教わったものであれ、その本質はもっと心にある。

その心に届かないから表現の方法がいくつも増えるだけで結局器用貧乏になってしまう。

自戒を込めて、一昔前の自分を観ているようだった。

 

 

 さて先日、日暮里の街角で落語を見ました。
演目へ入るまでの枕。枕で場を暖めて物語りへ入っていく。
自分は紙芝居師です。そんな事がきちんと出来ているのだろうか?と振り返った。
その時の印象ですが噺家さんはお客さんと対話しているつもりでもこちらに心を残していない。

心を残すという言葉が当てはまるのかわからないけれど。
最期まで客に心を飲まれないようにしているというか。
客を目の前にした時の影響で自分の進め方が狂うのを阻止するようないでたち。
そこに本体としての噺家さんはいるのだけれど紙芝居で言えばそこに「紙」だけが存在しているようだった。

演者が白紙の紙。そこに言葉で絵が展開していくような印象。
目の前の落語家さんが消えて、自分という「白紙」に語り継がれてきた伝統の物語が写される。それが消えるという事なのかもしれない。

それが黒子になるという事だろう。

 

2019.4.7

 

 

 紙芝居わんぱく万博!!大大大成功でした。
当日お集まりのお客様、スタッフの皆様、そして全国の紙芝居師のたっちゃん、りさちゃん、たまちゃん、大谷さん、ガンちゃん、だんまるさん、なっちゃん、よしとさん、本当にありがとうございました。

 

大谷さんの紙芝居

 

 

「『絵』はものをいいます。
もしも皆さんが画廊等に飾られた『絵』を見られてもいろんな事を感じられるように私も感じます。

そしてじっと見ていますと『絵』が語りかけてくれます。 /坂本一房」
そんな「絵」が芝居する故に「絵芝居」と名づけれました。

 

 

たっちゃんの紙芝居


 僕が紙芝居師になって初めて他人の紙芝居を見た時に一人の演者さんに感動した。

その人の紙芝居の心に「絵芝居」を見たからだ。
それから僕は自分の中に「絵芝居」を完成させる事を誓った。
あの人の紙芝居は「絵が動いている」と言われたい。
その場所は手が届くのかもしれないし、未だ遠いのかもしれない。

たまちゃんの紙芝居


 さて今回は全国屈指の紙芝居師が大阪に集まり、朝10時から15時半まで交代交代で演目を披露していくお祭りでした。
ここからは自分の話になります。超、超個人的な主観的な感想や整理です。

 

 

 自分が用意した紙芝居にはクイズも用意していたのですが、全体の時間も押していたし、クイズ系が多いし、持ち時間が少なくなってもいいか。
クイズを止め、物語で勝負しよう!っと直前でクイズを止めました。
自分の紙芝居は「ピッピちゃん」「すっぽんぽん」「四次元はなの穴」の三本。

 

なっちゃんの紙芝居


 実感として自分の独特の世界観は異質で他の演者さんにはないものだと改めて思いました。
実は今日で紙芝居師キオナとしては最期の舞台。以後は改名して再活動しますが最期の最期に気づいた事が沢山ありました。
自分の作風の道というのが今まで曇って見え難かったのですが、それが晴れて来たような感覚です。
だから「変な紙芝居」でいいのです。ガンちゃんが言ってくれた言葉で納得が行きました。
「怪しい~」それが僕の味です。それが僕の紙芝居です。
この作風でいい。もう迷わなくていいと実感しました。

 

 

ガンちゃんの紙芝居

 

 さて僕はマイクを使わない主義です。
お客さんに聞こえなかったら自分のしょぼさを自分に突きつけたらいい。
自分の体を楽器として捉えて、どうやったら声が出るのかを体考・体現していかなければならないハンディが増えます。
それでいいのです。苦労が増えた分、必死になれます。
このキ○ガイ染みたものがないと正直、僕なんか人を惹きつけられません。

 

 

「遠音をさす」
音楽にある言葉だそうです。楽器をただ闇雲に鳴らすんではなく、その楽器の性能を悟った鳴らし方で音を響かせるのだと僕は捉えています。それを自分の体に求めればいいのです。

 

 

キオナの紙芝居

 

 喉を壊してしまうと話にならない。
日ごろから大きな声を出せる環境がないのでカブにのっている時などに大きな声で歌うようにしている。
前日に稽古をしている時に「あれ?」と突然気づいた事があった。
どうしてそうなったのか分からないけれど台詞がゆっくりとメロディのように出始めたのだ。

んんん?精神状態も安定していて、台詞をせかせかとまくし立てるような状態ではなく、とってもゆっく。
その物語の主人公の声になったというのか?それに追いついたというのか?

その主人公本来の台詞のスピードってひょっとしたら今、語っているぐらいゆっくりな状態なんじゃないだろうか?

 

だんまるさんの紙芝居

 


「語るように謡い、謡うように語る」という言葉が伝統芸能には残されている。
え?その入り口が見えたのではないだろうか?
台詞は自分でちょうどゆっくりと思うぐらいが普通であるとも言う。
だからもっと自分が思うよりもゆっくり語る必要があると教えてもらった事がある。
そうか。今まで自分はただ台詞をスピード的にとらえ表面的にはゆっくりの「つもり」だった。

気持ちもゆっくりと地に足がついていなければ心の余裕というか本心からの「ゆっくり」は出せなかったんだ。

やっとそれに精神が追いついたという事かもしれない。

 

よしとさんの紙芝居

 

 

 今日の本番以外でお客さんの呼び込み時には声を6部ぐらいにセーブして出していた。

自分の本番以外でも他の演者さんやこのお祭りにちょっとでも協力したい。そうなると自分には呼び込みしかない。

売り声を飛ばしての集客。

あるインド絵巻物師の方を思い出した。その方はお祭りで自分の出番以外でも呼び込みや来る人々に挨拶などをしていた。

こういう人の事を縁の下の力持ちと呼ぶと思っている。その方はもうなくなってしまった。

その人の背中が見える。

僕は今、何が出来るのだろうか?そんな事を思いながら呼び込みをしては、立ち見のお客さんがいたりすると椅子を用意したりしていた。

真似をすればするだけその人の背中は遠く心からの行為ではないと自分の中でこれは嘘なのか?と問う。

 

 

 さて声の話しに戻って、本番には結構、大きな声が出た。
というか口演中に自分の体内の背骨。腰椎から仙骨部分が内観的に見えた。
その骨たちが動いて大きな力を口から出している。

「衆人は喉で、哲人は背骨で、信人は踵で呼吸する」。
という言葉が呼吸法に関する大事なポイントで残されています。
発声で大事なのは呼吸法だと思っています。この言葉を体現したいとも思っています。

ひょっとしたら僕が口演中に分かったのは哲人の呼吸のような状態ではないだろうか?
2015年の臨死体験後、独学で瞑想を日に30分から6時間程やっております。
独学で1年3ヶ月続けました。
独学での成長はここまでかと思い去年からクンダリーニヨガを習い始めた。
カリキュラム化された瞑想を日々繰り返しています。
要するに身体的に言えば尾骶骨からエネルギーを背骨に伝わせて脳天から出す。それを喉に出したという事だと思う。
発声時、尾骶骨のムーラダーラから喉のヴィシュッダにエネルギーが出たという事だろう。
瞑想を続けていけば身体に強張る力がもっと抜け、足の力も抜けていくのかもしれない。

それが信人の踵の呼吸法=発声法になると思っている。
これが絵を動かすという絵主体の紙芝居に繋がる一つの要素になると信じている。
そしてもっと台詞を削る事。
説明などの余分なものは絵に任せたらいいのだ。
字数が少なくなるとそのワンフレーズにもっと呼吸とエネルギーを乗せれる。
だからもっともっと僕自身、演技中は「動くな!」だ。
僕が動く限り絵は動かない。
僕が出しゃばるかぎり絵は生きない。
もっともっとそこを掘り下げて行こうと思います。
今後は紙芝居師トンボとして活動して行きます。
応援よろしくお願い致します。

 

「『絵』はものをいいます。
もしも皆さんが画廊等に飾られた『絵』を見られてもいろんな事を感じられるように私も感じます。

そしてじっと見ていますと『絵』が語りかけてくれます。 /坂本一房」
そんな「絵」が芝居する故に「絵芝居」と名づけれました。

 

 

2019.4.1

 

 新年号が発表されました。

令和という響きが美しく思いました。

終わりも始まりもきっとありません。

けれど自分の中の区切りとしての終わりや始まりはあって、丁度自分の生まれ月の春に重なりました。

 

 

 さて今日の現場で使った紙芝居はクイズと「鶯と蛙」という紙芝居でした。
今から約10年前ぐらいに絵本の読み聞かせボランティアの活動に嵌って、その頃からこの施設で各月に活動させてもらっていました。 
絵本の読み聞かせの活動を自分で出来ないか?と思い始めたのが紙芝居でした。この施設でデビューさせてもらったのを思い出します。
8年前に「紙芝居師キオナ」として活動をスタートさせてもらいました。

 

 

 さて日曜日の4月7日には自分にとって紙芝居で大きな大きな舞台があります。
何をもってプロと言っていいかわかりませんが、僕自身紙芝居でプロだった時期もありました。

今はセミプロに降格しても細々と活動を続けています。
2011年から「紙芝居師キオナ」と名乗って活動してきましたが、一旦この2019年4月7日で活動を終えます。
終えると言っても改名するという意味で続けてはいきます。
この8年間は一言で言えば色々なものを「ぶち壊してきた」8年だったと思います。
それは全部、自分の責。でもそれで良かった。嘘はなかったと思う。それらの経験が全部自分の礎になった。全部宝物である。

 

 その集大成が2015年に倒れてからの臨死体験だったと思う。
あの日から自分の中で何かが変わった。
その頃からもう紙芝居に興味がなくなった。本当に辞めようと思った。
けれど信念には「生まれ故郷の道成寺を紙芝居で創るまで辞めない」という志はあるし、ワークショップが何よりも今は楽しい。
何よりも絵と離れたくないし、絵を通して語るというコミュニケーションから離れたくなくなっている。
8年の区切りとして、たまたま新年号にもなるし、今年が本厄だし、紙芝居はやめませんが、また新しいジャンルにも飛び込もうとしています。
4月7日以降から改名し今まで通り細々と続けていきます。

 

2019.2.12

 

 今年からベジタリアンになりました。
魚介類と卵は食べるのですが、一気にしたので体が冷えます。

というか背中の古傷が関係していると思います。

背中が常にしびれているので血流的な流れが上手くいかないのではないかと思っています。

それと体についている余計な筋肉がかなり細くなってきてます。

 


 先日、紙芝居ワークショップがあって呼び込みで少し声が枯れています。
声帯も筋肉というので今後、声に変化が起きてくるのでしょうか?
それとも弱くなるので痛め易くなるのか?
力みが取れて張りのある冴え渡る声になるのか?体を使っての実験だ。

 

 

 

 今日は現場に行くまでに時間があったので随分と使っていない紙芝居を引っ張り出し選んでみた。
声出しの稽古をする。久しぶりに使う紙芝居。
いつもそうだけど今の感覚だったらその台詞は使わない。
ここが長過ぎると自分で突っ込みをいれる。
そうこういていると時間が経つのが早い。
とりあえず「ピッピちゃん」「包丁」「宝船」にした。
また引いたり足したりする作業が必要である。

 

キオナ紙芝居「宝船」

 

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キオナ紙芝居「ピッピちゃん」

 

 今日の現場はご年配の方が多く、比較的静かな場になりました。
対話しようとしてもあまり引っかかりません。

紙芝居だけになると時間が余ってしまう。場が持たないというか時間が持ちません。
こんな時は改まり口調の言葉より体験を喋る方がいい。
それを喋っている時、自分も時間を忘れている。
キャラが声に乗るというか自分の声で語る。

 

キオナ紙芝居「包丁」

 

 紙芝居の稽古をしない限り言葉を使うという事がかなり少なくなって来ている。
活舌もそうだし、説明する時に言葉が出なかったりする。
だから稽古は必要だ。当たり前の事である。