(3)みんなあつまれ かみしばいがいっぱい~見て!作って!演じてみよう!~ | トンボの日記

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ある日っ紙芝居師が臨死体験すると占い師になったとさっ!

 

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前回の記事↓

2017.12.26

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2018.2.25

 

 さて、「みんなあつまれ かみしばいがいっぱい~見て!作って!演じてみよう!~」の紙芝居ワークショップにご参加された皆様、スタッフの皆様、紙芝居師の皆様本日は有難う御座いました!

 

 

 さて2月10日に20年ぶりに「ロックンロールを好きになった人は、やりたいことしかやれなくなる」https://ameblo.jp/mushisan-kamishibai/entry-12352101578.htmlで約20年振りにヴォーカルさせてもらって、かなり喉を痛めてしまいました。

出ない事はないのですが、声帯がおかしい。まだ、休めたほうがいい。
生姜水でのうがいの他は蜂蜜大根を飲む、これがかなりいい。

 

 

 ワークショップは始まる45分前から僕たち演者が呼び込みをする。
これがかなり喉に負担が掛かる。

普段だったら全然問題はないんだけれど今日の喉の感じだと油断は禁物だ。

 


 さて僕の紙芝居人生で3回目のミニ紙芝居ワークショップで超満員の90名のお子様にさせて頂きました。
そして今回は旧正月の影響かアジアの方がかなり多くて驚きました。

 


 20年前に一年間だけアメリカに語学留学をさせてもらった。
ほんの少しだけ英語が喋れる。ほとんど忘れている。それを思い出しながらワークショップを進めていく。
当たり前だけど言葉が通じなくても、こちらの何とかサポートに回りますという気持ちは伝わるもので、そこに「

笑顔」があればどうにでもなると思った。

そして説明の日本語は通じていないけれど「絵」で示すという表現は本当に世界共通の表現なのだと思った。 

 

 

 今回の60分の尺のミニワークショップは、実際の製作時間は30分になる。
時間は余裕があった方がいいので、自己紹介をかねての自分の紙芝居の紹介は1分紙芝居にしている。
又、実演時間1分でも、絵には約100時間ほど掛かっているという対比も子供には面白いと思う。

 

 

 今回、1分の紙芝居に選んだのはキオナ紙芝居「にゅ~」だった。
もう何年も使っていない。

 

キオナ紙芝居「にゅ~」
久しぶりに練習してみると使い難い。台詞がない擬態語だけの紙芝居。
新しく使いたいので、台詞をつけた。アテレコ気分。これで決行する事にした。

お蔵入りの作品って結構押入れに眠っている。
それを復活させる為に絵を減らしたり、足したりする作業も確かに必要だけど、単純に台詞をどうするか?

で改良される場合もあるのだと今回気がついた。
いや、結構前から気がついていたけれど出来なかった。
製作、当初は自分のイメージに引っ張られるのが原因だろう。
けれど製作してから時間が経って、その頃の主観から開放されて、初めて客観的に見れる。

だからアテレコ気分で構えられたのかもしれない。
そして時間が経つ間に自分自身も変わると自分の目も変わる。それが大事なのだと思った。 

 

 キオナ紙芝居「にゅ~」


 そして今回、一番嬉しかったのはこのキオナ紙芝居「にゅ~」を観たある女の子がそれにインスパイヤされて作った作品が出来上がった事だった。

 この紙芝居はナンセンスな話で、鹿さんが謎の手につれて行かれる話し。
その女の子は題名を「にょき」に変えて、オリジナルアレンジまでしていた。

 


「影響化」凄いなって思った。
僕のこの紙芝居の発想は、幼児体験にあって、5歳くらいの時に悪ガキ三人でスーパーで万引きをした。
その時にマジックハンドを先に盗んでおいたら、何でも盗れるという話しになって、マジックハンドを盗んだ瞬間に万引きGメンのおっちゃんのジャスティスハンドにむんずと捕まった。
そんな体験があって、謎の手が出てくる。

 


絵本「にゅーっするするする」作 長新太さんの絵本が好きで好きで、影響されて作ったのがキオナ紙芝居「にゅ~」だった。
動物と擬音語とナンセンスって、本当に子供こそがもっとも受け入れる世界なのだと思いました。

 

 

 今日のワークショップで、椅子に仰向けになって寝ている子がいた。
正直、ワークショップは難しいんじゃないかと思った。

けれどこの館内にいる何百人という子供の中から整理券を手に入れて、せっかく来てくれている訳で、

どうやったらこの子が紙芝居を描き始めるか?は最低、紙芝居師として勤めなければならないと思っている。

 

 

思い切って、その子に向かって「ウンコでもオナラの紙芝居でもええか作ってみぃひん?」と言ってみた。
横にいるお父さんも一緒にそう仕向けてくれるとみるみる表情が変わり描き始めていった。
この時、その子の中の「面白い」という何かとリンクしたのかもしれないし、単純に気持ちが切り替わったのかもしれない。

何だろう。

その子と僕だけの関係性の中で進むものというのか、形骸的にワークショップどおりの4コマ紙芝居が出来たという以上の何かは分からないけれど、一人一人に出来るだけ向き合う事が大事だと思った。

決して、一生懸命に仕向けない。まともに一生懸命向かうと反発されるから違う方向からのアプローチ。

こちら側の姿勢としては、守護天使ぐらいに近い気持ち。

 

 

 そして今回、特に思ったのはスマホを使う子もいて、それでキャラクターを呼び出して、描いている子も沢山いた。

これは本当に難しい問題だ。それがいいか?悪いか?は分からない。

下手でもいいので素直に気持ちのまま描き殴って欲しいと思ってしまう。

前回のワークショップでも年齢が高くなるにつれて、間違うのが嫌?恥ずかしいという気持ちが強くなってくると思う。

そこで僕ら講師が、はみ出す程の力の絵を認め、こころから感動する事がとっても大事なのだと思った。

 

 

 さて、この紙芝居のワークショップは発表したい子はみんなの前で演ってもらってもいい。

けれど「絶対に演らなければならない」と思い込んでる子が一人だけいて、そのプレッシャーで泣いてしまってる子がいた。

その子に気がつかなかったのが少し心残りだった。

もちろん発表は演ってもいいし、演らなくてもいい。
もしその子に早く気がついていたらどんな対応が出来たのだろうか?そんな事を思った。