植物が吸収する二酸化炭素が減少に転じた?
一般に、植物の光合成効率は高温なほど向上します(もちろん限度はありますよ)。また、現在の地球大気の二酸化炭素濃度は、過去(ここで言う過去とは数百万年といった単位の過去)に比べ低いため、植物にとってCO2は欠乏していると言ってもいい状態です。
図1:過去5.5億年の二酸化炭素濃度の推移。長い目で見ると、現代は二酸化炭素濃度が極めて低い時期であることが分かる。global warming art
より。
CO2濃度が低い状況でも効率よく光合成を行うことができる植物(C4植物 )が現代の植物界で有力なグループになっているのも、そのあたりに要因があるのでしょう。
そのため、今後しばらくは植物が二酸化炭素を吸収する効率が上昇するたろう、と見積もられていました。
表1:2080年までの森林の炭素固定量の変化を示す表。見にくいので拡大して見てもらいたい。
例えば2020年には5~15%ほど炭素固定が増加すると見積もられている。ただし、将来の炭素固定量予測はかなり不確実さが残る。IPCC AR4 WG2 chapter5より。
ところがScienceに、この10年、植物が炭素を固定する効率が低下しているという報告が掲載されました(DOI: 10.1126/science.1192666 )。ニュースでも取り上げられています。
http://mainichi.jp/select/science/news/20100820ddm041040075000c.html
報告によると、
・この10年間で、植物の生産量(基礎生産 )は炭素換算で0.55Pg(ペタグラム)減少した。
・特に南半球で植物の生産量が低下している。論文中の地図では、オーストラリア、アマゾン川流域、ラプラタ川流域、アフリカ南東部、パプアニューギニアなどで特に顕著。
・一方、北半球ではわずかに増加している。しかし、最も温暖化の恩恵を受けるであろう北半球高緯度地域の生産量はさほど増加しないか減少している地域さえある。高温や乾燥により、落葉や倒木が早く分解しているためと思われる。
・基礎生産の低下は干ばつの影響が大きい。PDSI と呼ばれる、干ばつの激しさを示す指数と基礎生産量はよく一致している。特に北半球中緯度地域などでは基礎生産は降水量に大きく左右される。
などとなっています。
将来の基礎生産の予測は非常に難しいものです。気温と二酸化炭素量の変化だけを考えるならまだしも(それでも、気温上昇によりどの程度有機物の分解速度が上昇するか、光合成だけでなく呼吸の変化はどうかなどを総合して考えるのは大変ですが・・・)、それに伴う降水量の変化や土壌利用の変化、雪氷面積の変化による河川流量の変化など、要因は無数にあるのですから。
ここで言えることは、地球温暖化が人類に悪影響を与えることに懐疑的・否定的な人が主張する、「CO2が増えて温暖化が進んだら、植物の炭素固定は増加する。だから温暖化を打ち消すはずだ」という主張は楽観的すぎるものだ、ということでしょう。
観測事実として、基礎生産の増加はとても人類が放出する二酸化炭素を吸収できるものにはなっていません。また、今回の報告によると、温度上昇やCO2増加による光合成効率の向上を、温暖化に伴う旱魃などの気候変動の悪影響が上回る可能性すらあるのです。
サイモン・ブラッセル
インディアナ大学HP
より
サイモン・ブラッセル(Simon C. Brassell)、イギリス
アルケノン古水温計の発見
今回はちょっと番外編という感じです。
これまで、同位体比を用いた古水温分析の話がずいぶん続いたので、それに関連する現在進行形のお話を。
これまで見てきたように、同位体比による古水温計は非常に有用なものです。が、古水温計の種類はたくさんあったほうが望ましいのです。
複数の古水温計で分析した結果が一致すれば、それは古水温の再現がうまくできているよい証拠になります。何らかの理由で同位体比による再現が困難な場合、別の古水温計で代用することも可能になります。研究室によっては同位体分析ができない場合もあります。
そこで登場したのがアルケノン古水温計です。耳慣れない単語ですが、アルケノンとは何でしょうか?
○アルケノン(Alkenon)
円石藻 、という生物がいます。藻と名前がついているように、この生物は植物プランクトンに分類され、全世界に広く分布しています。
生物は全て脂質からなる細胞膜 を持っていますが、円石藻の細胞膜を構成する脂質の中に、アルケノンと称される物質が含まれています。
アルケノンは一つの物質を指すのではなく、類似の構造を持つ物質の総称です。たとえば下図。
アルケノンに分類される3つの分子の図。灰色が炭素、赤が酸素。
ぱっと見、全て同じに見えますが、よく見るとC=C二重結合の場所および数が異なっていることが分かります。このC=C二重結合の数と水温が相関があると言うのです。いったいなぜそんなことが起きるでしょうか?
○細胞膜と温度の関係
生き物を考えて見ましょう。細胞膜は、細胞内部と外部の物質をやりとりする役割を果たしています。膜が溶けてしまったり、カチカチになったりしては、その機能を果たせません。そのため、高温下で育つ生物はより硬い膜を、低温下で育つ生物はよりやわらかい膜を必要とするのです。
それでは、どのようにして生物は膜の硬さを調節するのでしょうか?
○脂質膜の硬さと二重結合
ちょっと身近なものを考えて見ましょう。ろうそくはステアリン酸 という物質からなります。室温ではろうそくは固体状です(実際にはパラフィンも含まれるので、その影響もあるのですが)。
一方、オリーブ油。主にオレイン酸
という物質からなりますが、室温では液体です。
上:ステアリン酸(融点70℃)、下:オレイン酸(融点16℃)。二重結合がひとつあるかないかの違いしかない
上図のように、実はステアリン酸とオレイン酸の構造はそっくりです。C=C二重結合があるかどうかの差しかありません。それなのに、融点にして50℃以上の違いがあるのです。当然、例えば20℃付近での硬さは、ステアリン酸がオレイン酸よりはるかに硬いのです。一般的に、C=C二重結合の数が多いほど、細胞膜は柔軟性を増していくのです。
○まとめると・・・
円石藻は細胞膜の適度な柔軟性を維持するために、細胞膜を構成するアルケノンの二重結合の数を変えている。高温下では二重結合を減らし、低温下では二重結合を増やす
ということになるのです。
しかも、すばらしいことに、アルケノンは非常に安定な物質で、海底に堆積すると50万年は安定に存在するのです。
横軸が水温。縦軸は、{二重結合が2個のアルケノン分子数/(二重結合が2個のアルケノン分子数+二重結合が3個のアルケノン分子数)}で計算される値。水温と非常に良い線形性がある。オレゴン州立大HP
より。
さらに、酸素同位体比による古水温再現結果と、アルケノンによる古水温再現結果は、非常によい一致を示しました。私達は、同位体比以外の古水温計を手に入れたのです。
Brassellがこの結果をnatureに発表したのは1986年のことでした(doi:10.1038/320129a0 )。現在、アルケノン以外の有機物による古水温計も多数提唱されています。
参考文献: