穏やかで安らかに生きるための心の処方箋 ー意識の捉え方と実践法

怒り・憎しみ・悲しみ・恐れが 愛と喜びと感謝に変わる!『本物の幸せが知りたい』『本当の自分を知り、本当の自分に戻り、真のカウンセラーとして生きたい』人をサポートするセカンドバース心理療法のプロが語る、命の仕組みと真実~大阪・東京・長野

 ご要望にお答えして  

アップ 人生まるっとサポート


ひらめき電球あなたはたった今から人生の荒波を楽々スイスイ 
 乗り越えていける
 ニコニコ

あなただから上手くいく、あなただけの生き方を思いのままに!


無料ガイダンスをご用意しました。 
                     <
電話ガイダンス 15分
・お一人様1回限り
    
     実際の個人セッションの雰囲気を感じていただくことが出来ます。
     セッションがどのようなものかを知りたい方
     
     ぜひ一度、体験してください!


 https://ws.formzu.net/fgen/S34023185/

 https://ws.formzu.net/mfgen/S34023185/

 

 
 ☆信じられないかもしれませんが  

  あなたの人生は 本当は とてもシンプルです。



家族システム理論をベースに独自に開発した心理ワークを使う

カウンセリングを セカンドバースカウンセリングと言います。



心から  あなたが
自分に生まれてよかったと実感できた時

人生は間違いなく 自分を喜ばせるものになります。

 

 

あなたが 

自分に生まれてよかったと心から思え

あなたが本当の自分をとり戻した時が 

あなたの 【セカンドバース・2度目の誕生日】 

 

今、出会ってる問題は「戦うべき相手」ではなく 
あなたへの贈り物なのです。



詳しい内容、お問い合わせ、お申し込みは 矢印 こちら

NEW !
テーマ:

 

 

 

 

 

本当の自分ではない誰かの役割を担い
誰かの人生の責任を担って生きていた場合
多くの人の人生に
それまで『生きてこなかった本当の自分を生き直す』ために
もたらされる心の成長の機会が訪れるように見えます。

 

 

 

この心の成長の機会は

30代後半くらいから始まり40-50代に多く訪れる
ミッドライフクライシス・中年の危機と呼ばれ

30代後半くらいから始まり40-50代の相談の根本は 

ほぼここに関するもの。

 

 



そしてこの機会が訪れるきっかけとなる出来事があります。

 

その出来事がきっかけで

それまで自分が無意識に生き方のよりどころとしてきた
「ある役割」が失われる危機に直面してることを知らせる
二進も三進も(にっちもさっちも)いかない状況が生じることで 
本当の自分として生きていなかった、
本当の自分を大切にしていなかった、
と気づいて 本当の自分に戻ることができます。





自分自身の自立や独立、就職 退職 転職、結婚、離婚、
子どもの誕生や自立、結婚、引っ越し、孫の誕生
身近な人の病気、身近な人との離別や死別、災害、等々
外的なイベントで引き起こされる人がいる一方、
『ある朝目覚めたら、突然自分の中で何かが壊れた』
という感覚を体験したり、自分のために生き始めた人が
選んだ新たな役割を担おうとするときに
行動ができなくなったり、鬱や引きこもる人もいます。






本当の自分として生きられるようになると
人生は流れるようにスムーズに進むように
なる人がほとんどです。

 

 

 

本当の自分を生きていない時の人は
偽物の役割を演じていることで自分に自信がありません。

 

中にはその自信のなさからくる強い不安や劣等感を
自分に隠すため、傲慢で、支配的で、人を見下し 自分を殊更に
大きく見せようとし人を馬鹿にしたりすることで安心したりします。

 

 

本当の自分を生きていないと
本当の自分の感情がわからないために
人の気持ちがわかることができません。

 

 

自分の間違いを認められず 
誰かに助けてもらっていても認められず
人に 謝ることや感謝することができません。

 

 

本当の自分を生きていない人には
このように大きな特徴があり 外側から見て明らかにわかることができます。

 

 

 

ですが、残念なことに
人生が思い通りにならずに苦しんでるにもかかわらず

人間は
自分が偽物の自分で生きていていることで苦しいのだと
自分で気づくことができないのです。

(防衛が働くため)




本当の自分で生きていると
自らの心で感じることができ
自らの頭が働いて、自ずと今必要な行動が
導かれ、すべてがそれぞれにふさわしくうまくいきます。





ですが偽物の自分の役割を生きることで
自らの心で感じたり
自らの頭で考えたりすることができないために
本当の自分の感覚も気持ちも
本物の自分の人生にとって必要な行動も
人生にとって良いことも自分が喜ぶための物事も、
やりたいこともわかることができません。

 

 

 

そして 
本当の自分を生きていない人には
大切な子供や家族や他者の気持ちを
わかることができないために
子育てや円満な家族関係、人間関係に不可欠な 
子どもや家族や他者の心、気持ちに寄り添ったり
健康を気遣うための状態を観察する能力を育むことも、
他者を助けることも、癒すこともできません。

 

 

そもそものキッカケは子どものころに
親をかわいそうに思った出来事を通して
親を助けるための役割をにない

自分も親も幸福になると思い込んだためであった訳ですから
自分の感情、やり方、生き方、自分の行い、考え、価値観は
正しいのだと強く思え自分を誇りに思えたりもします。

 
 

ですが
小さな子どもが大きな親を救う役割というのは
「頑張らなければできない」というのは容易に想像がつきます。

つまり
頑張っている人の多くは本当の自分を生きていない、
ことが多いのですが
安易に
「何かを頑張るのをやめる」たとすると、
幼いころに一度決めた人生脚本
(幸せになるわけにいかない)が新たに
頑張る必要のある「何か」を用意することが
少なくありません。
 


 

親や家族を不運から助けようとして
「子ども時代のいい子」という
偽物の自分を作り 偽物の自分を生きている人の多くは
親や家族を喜ばせる、助けるという
子ども時代の自らの喜びのために選んだ生き方だった
にもかかわらず

 

 

自分が誰かの人生を救える という
あるいは
自分が苦しんでさえいれば
いつか親(他者)は
私に感謝し 褒めて 認めてくれる優しい人に変わり、

今度は自分が助けられ
欲しいと思ったものが与えられ、
自分をあやし救ってくれる、

という幻想(期待)にとらわれているのですが
それにも自分で気づくことはできません。

 

 

そして無意識に
他者を生きるという心理現象に囚われている人は

主に身近にいる大切な人達との間で

自分の子どものころの親子関係を投影し合い

自らの心で感じてこなかったことで
自らの頭で考えられなかったために
本当の自分の行動が導かれず知恵が得られずに
いよいよにっちもさっちもいかなくなり
人生がうまく行かなくなる、ミッドライフクライシスの
機会が訪れます。

 

 

それでも
一度は相談につながったとしてもまだ
自分自身の傲慢さを認められず
自分の隠れた望みが
幼い自分の未熟な望みであったことを
受け入れられず あきらめきれず
歯を食いしばり他者の人生に干渉し
他者を救う困難に立ち向かい
自分を苦しませ続けることは
それまで通りに頑張り続けるだけなため
簡単であり 考えなくてもいいため面倒くさく感じない点で楽であり
子どもの頃から慣れていて親しみがあり
どこかホッとさせてくれ安心感があることで
この
隠れた動機に一人では気づきにくく
例え
気付いたとしても
一人で
適切な行動に変えることのできる人に
まだ会ったことがありません。

 

 

気付いたら変われる・・・
信じたら実現する・・・
捉え方を変えさえしたら・・・
やりたくないことを止めたら、

やりたいことをやれば・・・
うまくいく、という人が沢山いますが。。。

 

 

気づこうとして 気づいたつもりになり
分かろうとして わかったつもりになり
なろうとして なったつもりになり
信じようとして 信じたつもりになりますが

自分が何に気付き、何をわかり、何を信じた結果として
なっていき どのようになるのかには

本当の自分の真実にちょうどよく現実が実現しているだけのこと。

 

 

心の問題の解決方法が
多くの本やセミナーなどで 情報が与えられているのに
あいわらず悩みや心の問題を抱える人が いなくならないのは
本当の自分に戻るプロセスというのが
本を読んだり、話や誰かの経験の話を聞いても
知識を学んでも頭や意識や知性の理解や説得や
反応を変えるだけでは
人生が変わることがありません。

 

 

人が本当は
何を信じているのかは 
何を話し、何をし、
今現在目の前の現実がどうなっているかに現れるので
うそやごまかしがききません。

 

 


昔話には
人の罪を償うために 自分の命を犠牲にしたり
尊敬する人の選んだ苦難の生き方を
継承すること、ついていくこと
あるいは
自分の命を犠牲にして人を助けることが
美徳であるとしたり
良心や忠誠心として正しいこと、
正義をなすことかのように
伝えている
犠牲者の物語が数多く残っていて
正しいこと、生き方の手本のようにも
感じることがあります。

 
 


もしも今
生き辛い状態だったり
理由の分からない怖さや不安が
続いているのであれば
心を開いてー事実を認める勇気が必要ですがー

ぜひ、専門家の力を借りてください。

 

 

あなたの現実には何が足りないですか?
もっとどのようなことがあればいいと思えてますか?

 

母親を受け入れない時
パートナーシップがうまくいかなかったり
子どもや他者と親密な関係を築くことが難しくなります。

父親を受け入れない時
社会的に活動する時、仕事や学校で能力を発揮することや
経済的に豊かになることや家族への責任を担うことが難しくなることで
気づくことができます。




あなたが足りないと思っているものには
あなたと両親との関係が表現されているのです。

 

 

両親を
例えどちらがどのような心の課題の影響で
あなたに何をしても
何をしてもらえなかったとしても
かけがえのない大きなものを
あなたはすでに受け取っています。




試みに【心の中で】
あなたの両親かそのどちらかに向かって
このように尋ねてみてください。

「お父さん、お母さん。
 あなたにもらったこの命を粗末にしてもいいですか?」

心の中の あなたのお父さん、お母さんは
何と言っていましたか?

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

 

 

 

 

子どもの様々な問題行動の相談では
それらの行動の背景に
嫌な気持ち、怒りや悲しみや不安、疲労感などのネガティブな感情が
見つかります。

 
感情をコントロールするということは
感じている感情を
感じていなかった ことにすることや
なんでも無かったようにして抑え付けることでは ありません。


 
 
感情を大切にする、ということは
湧きあがる激しい感情を
目の前の誰かや何かに 八つ当たりして
ぶつける、ということでもありません。
 
 
 
 
感情には

自分がどんな状態なのか、
自分に何が必要か
自分が何を望んでいるか
その状況が自分にとって
どういう意味を持つものであるかを
知らせるセンサーとしての役割があります。
 
 
 
 
身体に痛みを感じると
身体が傷ついていること
身体に何かが起こっていること
何かの手当が必要だと わかるように
感情には
同様の 機能があります。
 
 
 
 
例えば
車が ガソリンが無くなったり
電気系統などに対処の必要な状態があると
今、
何かの手当が必要なことを知らせる
「ランプ」が点灯します。
 
 
 
 
 
感情というランプの多くは
自分が認識していない
自分の欲求やニーズの存在を伝えています。
 
 
 
ランプが点灯していることを
気づかないふりをしたり
適切に対処しなかったとしたら
車は いずれ走れなくなります。
 
 
 
 
悲しみを感じる(認識する)ことで
人は
自分が大切なモノ、人を失ったことを知ります。
 
 
 
不安を感じる(認識する)ことで
安全が確保されていないことがわかり慎重になります。
 
 
 
怒りを感じる(認識する)ことで
その状況が自分にとって何かが良くないことがわかります。
 
 
 
 
感情によって
その状況の意味がわかると
自分が気づいていない
自分のニーズや望みに
自分が応えたり
必要なら
誰かに助けてもらうことも出来ます。
 
 
 
 
感情を言葉にし しっかりと味わう。



身体に生じているエネルギーを
感情と一致させるということは・・・

 

犬にかまれるかと思い恐ろしかった、

プールに行く時間になってもっと遊んでいたかった楽しい時間が終わって悲しい、

A君に押されたとき転ぶかと思ってびっくりして怖かった、

がっばって勉強したのに試験に落ちてがっかりした、望みが叶わなくて悲しかった・・・

 

 

等々、身体に生じているエネルギーが言葉にする気持ちと一致させるように

生活の中で起こる様々な出来事に伴う様々なネガティブな感情を

しっかりと味わうという手当が適切であれば
問題の存在を知らせるネガティブな感情のランプが消えます。
 
 
 
 
子どもも大人も

状況の説明の後に続く「気持の言葉」が

【嫌だった】ということはできても 

その状況が 自分にとってどんな意味があったのかを示す

自分に生じている感情の意味がわからない、
自分が感じていることを言葉にできないという人

が本当に沢山います。
 
 

感情が伝えてきている物事を放置したまま
不安や寂しさや怒りを我慢する人は
「私は大丈夫!!」
「これくらい大したこと無い!」
「よくあること」と
「肯定的評価」をすることで抑え込むことが多くあります。
 
 
 
このように蓄積された感情のエネルギーは
同様の感情につながる何かの刺激を受けた時にあふれそうになり
大きな不安に圧倒されることで
強い「刺激」(仕事に没頭する、飲酒、ゲーム、ギャンブル、
喫煙、暴力、いじめ、スリル、セックス)で 不安をマヒさせ
不安定さをやり過すことへの依存を起こしやすくなります。 
 
 
このような強い刺激が 不安定感を麻痺させてしまうため
自分を「楽しませてくれるもの」と思いやすいのですが
自分の心も身体も大切にするという意味において
自分を幸せにするかどうかは疑問です。

(破壊的な脚本に従っていることで安心できたりします)
 
 

 

親に
このような感情の処理の習慣のある場合は
無意識に
その子供達のお手本になります。
 
 
 
 
結果
自分から届く
感情や感覚の小さなシグナルに鈍感になり
自分にに優しくすることや 自分を助けることができません。
 
 
 
 
 
日々生きて行く中で
起こりうる様々な体験は
選り好みすることはできません。
 
 
 
あなたの家庭では
喧嘩をしたり 意地悪されたり 誤解されたり 叱られたり、など
苦難に対して 子どもが
「辛かった」
「嫌だった」
「悲しかった」
「悔しかった」
「怖かった」と
傷ついた時の子どもが
いつでもどんなことも
安心して話し、
安心して表すことができるよう
安心感で包まれながら
ちゃんと苦しみ
ちゃんと悲しむ ことのできる
親と子の関係ができていますか?


傷ついた時の子どもが
いつでもどんなことも
安心して話し、
安心して表すことができることで
 子どもが生きる上で生じる困難に対する
「耐性」が本当の意味で鍛えられ
豊かな感情=本当の自分が育まれていきます。
 
 
 
 
ですが
耐性を鍛えることを
困難を乗り越えることの
真の意味が理解されず
とにかくなんでも
乗り越えさせる、
「当たり障りない状態になること」が
強い心を育てる、かの様に誤解をし
心の強さというものを
出来事と 自分の感情を「解離・切り離す」能力で
あるかのような誤解も 多く見受けられます。



ただ これは
そういう状態を悪い、間違っている、
といっているのでなく
何かの事情で
怖れているものと
まだ向き合えずにいるだけ、なのだということ。
 
 
 

例えば
辛いことがあっても
表に出さず
辛いと感じてないかの様な姿を見せる子どもが
我慢できる子、強い子だ、
 
遊びに夢中になってる子どもが
「お終い」と言われて
抵抗を表すことなく
直ぐに 行動を切り替えられる子どもが
「聞き分けのいい子」「しつけのできてる子」「我慢強いいい子」だと
考えている人が 多くの親御さん、
保育や教育に携わる人達の中にも沢山います。
 
 
 
 
こういった誤解が
負の感情の社会化を阻んで   
返って ネガティブな出来事や
感情に対する脆弱性(非耐性)を育て、
感情を切り離すというやり方を
強化してしまう事になります。

 

 

以前に ユニセフから
先進国の子どもたちに関するレポートが発表されていました。
OECD加盟25カ国の15歳を対象にした意識調査というもの。


その中でも
1位 日本 29.8% 2位アイスランド 10,3% 3位フランス 6,4% 。。。。。
このような数値が発表されていました。


これが何のデーターなのかお分かりになりますか?


実は「孤独を感じる」と答えた子どもの割合。
日本の15歳の子供たちのおよそ3人に1人が
孤独を感じているという事実です。


日本は2位のアイスランドの3倍もの割合で、突出していて
25か国の平均は7.4%で、最も低かった国はオランダで、2.9%でした。



そして
「自分は居心地が悪く場違いだと感じる」割合も、
日本は18.1%と
全ての調査国で最も高く、続いてベルギー15.6%。



「孤独感について」参考記事

心は何故、孤独感を感じさせてくれるのか



幼い頃であればあるほど
子どもは自分の中の反応を「自分自身」だと認識します。
なかったことにされた感情は
【そこにいないことにされた【子供自身】】です。

 
 
【そこにいないことにされた自分自身】が多ければ多いほど
孤独感が増し 【自尊心の土台】である
健全な自己愛の形成、どんな自分も大切だと思える自己価値が損なわれ
子どもたちは 自分を嫌いになり
自分が存在してもいいと信じられず 成長して
人生を力強く生き抜くための意欲や生きる意欲が失われます。


 

感情の社会化
=自分の身体の中に起こっていることを言葉にすることができることで
他者と共有することができるようになること。

 


・子供のポジティブな感情もネガティブな感情も その表出に対して
子供の非言語による感情表出を、大人がくみ取ってかわりに言語化するという
コミュニケーションが自然になされるとき、言葉の獲得とともに
感情が社会化されていきます。


 
子供が自分の感情を言語化できようになる、ということは
子供自身が自分とのつながりを深め
自分の心の手当てをできる人になるということです。



 
自分の不快感情の手当てをしてもらわなければ
身体の中に不快感情が流れたときに
それをどう扱ってよいかわからず、どのように安全に抱えていればいいか
わからなくなり 大きな不安感に圧倒される中で
麻痺させてくれる強い刺激となる
いじめや暴力、反社会的な行為
人を殺したり、投げ飛ばしたり、爆発させてすっきりするというような
ゲームに頼ることにもなります。

 
 
親は
ネガティブな自分も ブラックな自分も
ポジティブな自分と同じに存在を保証してあげる必要があるのです。



存在を認められなかった感情は
心の奥深くしまい込まれなかったことにされ
誰かがこの感情を表す度に刺激を受け
ネガティブな感情の大きな波に圧倒されるようになります。


 
 
子どもが
意地悪されても
辛いと感じず 返ってヘラヘラとして
もっと意地悪されたり、
いじめにあって
身体が学校に行きたくない、というように
言葉にされない感情は
身体を使って気持ちを表すようになります。
お腹や頭が痛くなったり、熱が出たり・・・・
 
行きたくない、という気持ちを言葉で出すと
親に叱られる、親を困らせる、だから
負の感情を助けてもらったことがないため
その感情をなかったことにする。


 
 
そもそも
回復する場である家庭で
回復を支える親である親子の関係で
自分が何に困っているのかを
教えてくれる負の感情のエネルギーを
否定され言葉にできず
どうしたらいいのかわからないまま
助けてもらえると思えずに
結果
辛い、悲しい、悔しい、という気持ちを無いことにして
押さえつけ、切り離すことでしか
対処されなかった負の感情の
強く大きなエネルギーは蓄積されていき  
ある日突然に
限界を超え暴発、暴走し
人を傷つけたり
自分自身への攻撃になった時 命を絶ってしまうといった
子どもが沢山います。
 

 

 
2014年まで 日本の自死者は 年間3万人を超えていたのが
2015年初めて 3万人を下回りましたが
高校生以下の子どもの自死者の数は全く減ってはいません。
 
 
 
これは何を物語っているのでしょうか。
 
 
 
 
「何も言わない」
「黙って言うことを聞く」子供達は
あたかも
我慢強いように見えるかもしれませんが
これは 本当の意味での強さでは無く自分と感情を解離・切り離すことで
一時的にネガティブな感情を封じ込めて自らトラウマを形成しています。
 
 
 
 
本当の心の耐性、我慢強さとは
困難や苦悩を抱えた時に当たり前に生じる
苦しみをきちんと苦しむことの出来る力です。

 
 
どんな感情にも
どんな失敗にも
子供の心の成長のひとつのステップとして
居場所を与えること。
 

 
自分と自分の大切な人たちとが
幸せになる方法の一つが
自分自身の未完了の感情の問題を完了させること、と
いえるのかもしれません。

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

 

 

 

 



感情は、
私たちが生きる上で大切な情報を教えてくれるものですが、
一方で問題や苦しみを生み出す思考や行動の源となるものにもなります。

 


そして
問題や苦しみを生み出す思考や行動の源となる感情は、
感情を感じる個人の体験から排除されていることが
多いのです。


例えば悲しみについて、
人が大きな悲しみを感じる体験をした時に
しっかりと泣く、のを抑え 悲しむことを避けた場合
悲しみという感情を感じると、
反射的に 
大きな悲しみを感じた体験が思い出されることで
悲しみという感情に対して恐怖心を持ってしまうことが
起こり心傷体験(トラウマ)となります。

このように 悲しみを切り離す体験によるトラウマは

それ以降の人生で、反射的に
悲しみを感じる代わりに怒りの感情や衝動がわいてきて、
人間関係や心の健康に悪影響を及ぼします。

 

 


悲しみは自分の弱さや脆さとして感じられ、
恐れの対象となり、怒りは対人関係を壊す恐れや怒りを表すことへの
恥ずかしさを伴うことから、多くの人の恐怖の対象となります。

 


恥や恐れも同様の理由で恐れられます。


幼いころに嬉しくて楽しくてはしゃいだ時に
騒ぐな!静かにしろ!と怒鳴られたことで
人によっては喜びや愛といったポジティヴな感情すら、
恐れの対象となることもあります。



特に 日本人の多くは、
感情を「感じないように身体や表情を硬くこわばらせる」という対処が
よく見られるような気がします。


身体に力を入れることで、
感情を閉め出しているといったイメージ。



ですがそのように 切り捨て、見捨てられ“仲間はずれ”にされた感情が、
悪さをしないはずがありません。


仲間外れにしている感情が
多ければ多いほど、大きければ大きいほど
私たちの人間関係の問題、心身の不調、行動上の問題を引き起こし、
「仲間はずれにしないで!」と私たちに訴え続けます。


悲しみや怒りや恐れや恥ずかしさは
鬼退治!や鬼は外!のように 私たちの中から
追い出すもの、と思っていませんか?
 

私たちから忌み嫌われ普段避けられている感情は
言ってみれば、「鬼」のようなもの。


「泣いた赤鬼」という物語があります。

この物語に登場する「鬼」は怪物のようなものではなく、
忌み嫌われて世間から排除され、差別の対象となった人びとを
象徴していたとも言われています。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【泣いた赤鬼】

山の中に、赤鬼と青鬼が住んでいました。
二人の家は谷をへだてていましたが、お互いの家を行ったり来たりして、
たいそう仲良く暮らしておりました。
赤鬼は、谷を渡る途中に見えるふもとの村を眺めながら、
いつもため息をついていました。
「人間たちとも仲良くなりたいな。」
しかし、村人たちは鬼の姿を見ただけで震え上がり、
鬼のいる山に誰も近づこうとはしません。
そこで赤鬼は、山の入り口に立て札を立てることにしました。
『心のやさしい鬼のおうちです。どなたでもおいでください。
おいしいお菓子とお茶も用意してあります。』

「心のやさしい鬼なんているものか。
人間をだまして、食べてしまうにちがいない。くわばら、くわばら。」
村人は恐がって、誰一人として遊びに行こうとする者はいません。
赤鬼は、悔しくて悲しくてふさぎこんでいましたが、
とうとうしまいには腹を立てて、立て札を引き抜いてしまいました。

赤鬼が立て札を引き抜いた次の日、
ふもとの村では大騒ぎが起こっていました。
青鬼が金棒を振り回して暴れ始めたのです。
青鬼に追いたてられて、村人たちは逃げまどいます。
そこに現れた赤鬼が、乱暴な青鬼をこらしめて村人たちを守りました。
青鬼が考えたこの芝居のお陰で、
村人たちは赤鬼にすっかり心を許すようになりました。

こうして、何人もの村の人たちが赤鬼のところに
遊びにきてくれるようになりました。
赤鬼は、人間と友だちになれたことが嬉しくてたまりませんでした。
しかし、あの日からぱったりと訪ねて来なくなった青鬼のことが心配で、
心が晴れません。
赤鬼は、青鬼の家を訪ねてみました。
青鬼の家は、戸が固く閉ざされていました。
気がつくと、戸のわきに貼り紙がしてあります。
『赤鬼くんへ。人間たちと仲良くして、楽しく暮らしてください。
もし、ぼくが、このまま君と付き合っていると、
君も悪い鬼だと思われるかもしれませんので、ぼくは旅に出ることにします。
いつまでも君を忘れません。さようなら。君の友達、青鬼。』
赤鬼は、黙ってそれを読みました。
何度も何度も読みました。
そして、戸に顔を押し付けて、おいおいと泣きました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・物語ここまで。



多くの人は自分の中から、自分の身の回りから、
「鬼」を閉め出すことで【一時の安心】を得ようとしますが
夜叉や般若に象徴されるように、
人の中には「鬼の面」があり、完全に閉め出すことなどできません。


夜叉や般若のお面は、
怒ってるようで泣いている、泣いているようで怒っている、ように
見る人のいくつかの感情が投影されるといいます。



自分の中の見たくない感情、

感じたくない感情、触れるのが怖い感情。



私たちの心から孤独感が解消し真に心に平和が訪れるのは
私たちが「仲間外れ」にし恐れてきた感情と
仲良くなる時なのかもしれません。

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

 

 

 

 

 

 

 

信じられないかもしれませんが

多くの人が 無意識に

幸せにならない自分のまま

被害者でいようとする大きな衝動にのまれ

人生の多くの時間を使って

自ら望んで苦しみを選んでいます。

 

 

 

この態度の心を探ると 

その人自身が

自分のために生きない理由を

見つけることができます。

 

 

それは、

「幸せになりたい」と言いながらも 

実際には

幸せになることを「恐れている」

 

 

やりたいことが見つかってしまったら・・・

幸せになってしまったら・・・・

家族が円満になってしまったら

子供たちがのびのびと生きてしまったら

 

 

 

そうなったら。。。困る

 

 

 

心の深いところで

 

欲しい物や望みを

自分が叶えてしまうと

 

親を 責められなくなる・・・・

親に 愛されなくなる・・・・・

親に ほめてもらえなくなる・・・・

親に 仕返しできなくなる・・・・

 

と思っているのかもしれませんが

本当は

 

 

 

親よりも幸福になると

親兄弟よりも恵まれてしまうと

 

 

申し訳ない・・・だから

 

 

子どものころ親に

否定されたから、拒絶されたから

批判されたから、干渉されたから、

ぶたれた、だから 

 

私は

自己肯定感が低い

自尊心が低い

自信がない

自分がない

人と仲良くできない

成功できない!

喜こべない!

幸せになれない!

愛されない!

。。。。

 

と、思い込んでいるようですが

実は、真実は少し違います。

 

 

 

思い込みを手に入れた時の多くが 

大抵は

子どもの頃の出来事を

人生経験の少ない子どもの考えで

意味づけしたことにより

心が傷ついた体験も あるようですが

 

 

 

 

悲しみや苦悩が終わらないのは

【終わらせるわけにはいかない理由があるから】

 

 

 

個人セッションでは

あなたの人生の秘密を探り

あなたの思いもよらない 

「幸せになるわけにいかない」あなたの動機を見つけ

幸福になる恐れの奥に隠れた

あなたの真実をあなたに明らかにします。

 

 

 

 

 

人は皆

永遠にたった一度という「命を生きる機会」の中で

みっともなさも かっこ悪さも 未熟さも不完全さも 

優しさも厳しさも 強さも弱さも

十分に 堪能し 味わい切ることができた時

痛みは命が輝く宝に変わり

与えてもらった生きる機会を

与えてもらった命を心から喜べ

受け取った命に思わず心から感謝があふれ

命が続く限りを十分に生きるように

なっているようなのです。

 

 

 

 

いつまでも傷ついた子供のままにしておくという

過去の幻想に留まっている限り

目を背けて「怖いお化け」から逃げ

真実を知るチャンスから

再び逃げ出す自分を正当化し

過去と同じループを繰り返していると

人生はあっという間です。

 

 

 

 

偽物の感情に惑わされず

思考に惑わされず

事実をごまかさずに 

勇気をもって

しっかりと目を見開いて

一体自分が何でできているのか、

無かったことにしている事実の存在、

真実のまっすぐど真ん中を堂々と通り抜けましょう。

 

 

 

あなたはいつまで 竜宮城にいるのですか?

 

 

 

あなたが

傷つけられたから、

酷い目にあったから、という

もっともらしい説明(言い訳)で

可哀相な私、自己憐憫に浸り

苦しむ自分に酔っている限り 

あなたも誰もいつまでたっても幸福になりません。

 

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(1)

テーマ:

 

 

 

 

人が

本当の自分に満足している、というのは

どの様な状態でしょうか?

 

 

 

自分に満足している人は

人が何を言おうと、人が何をしようと 

気になりません。

 

 

 

そして

自分の感情にも

例え上手くいかなかった行動の結果にも

抗うことも否認することも

責任を転嫁することも

言い訳することもなく、

感情も結果も

全て受け入れられることで

傷つくことなく穏やかに他の方法を

探し、行動することができます。

 

 

 

 

あなたは

受け入れること、 我慢すること、

諦めることの違いを 区別できていますか?

 

 

 

 

 

私はどの様な状況も

受け入れてきました、ということが

真実であれば

その人の人生は その人にとって十分に

満足しているものになっているはず。

 

 

 

 

自分の「気に障り」

批判したくなる

他人の振る舞いや性質、

あるいは

他人から指摘されたときに

「ムキになって反論や言い訳し

  誰かや何かのせいにしたくなる」

自分の振る舞いや衝動があるうちは

私たちは 

自分や自分の人生に満足することができません。

 

 

 

 

 

8カ国の大学生2000人に

感情と幸福度の関連を調べる大規模な調査が

行われました。

その中で

あなたはいつもどんな感情を感じていたいか、という質問で

楽しい感情だけ、幸福感だけ感じていたい、と答えた人に

現在どれ位幸福を感じることがあるか、の質問の回答で

幸福を感じることが全く無い、という傾向がありました。

 

 

 

一方で

怒りのような感情も悲しみもしっかりと感じ表現したい、と

答えた人は

いつも幸福を感じる、という傾向がありました。

 

 

 

多くの人がいまだに

不愉快な感情を避け

毎日

楽しく、嬉しく、面白く、ワクワクすることだけ

追い求め「ポジティブな感情でいる」ことが

「幸福なのだ」と考えています。

 

 

 

 

以前、ある人が相談で

 

「私は お陰様で 

  毎日が楽しく充実しています」と言います。

 

そこで

「今日は何をしに来ましたか?」と

お尋ねすると

 

「 「仕事は楽しいのですが プライベートが

   上手くいきません」」とのことで

詳しくお話を聞かせてもらうと

 

 

 

私は 幼い頃から

人に優しく親切にし

腹を立てず

明るく笑顔でいるよう、

常に

ありがとう、お陰様と感謝するよう

親に厳しく言われしつけられ

頑張ってそのように生きてきました。」

 

人に良かれと思い、家族に良かれと思い

「頑張らせてもらえて有難い」

と言いながら

 

 

「それなのに

娘との関係は険悪で家を出てしまい

何年も連絡がありません。

夫はここ何年も家に引きこもり

家族はバラバラで生活はますます苦しくなっています。

私の何が いけないのでしょうか?」

 

 

 

 

 

相談が進むにつれ

まるで火を吹くように

彼女の口から溢れ出したのは

長い間

周りから隠し、自分からも隠し

抑え付け見捨ててきた

大きな怒り、妬み、嫉妬、憎しみの感情と

どうせ幸せになるわけ無い!という

深い深い絶望という悲しみの感情でした。

 

 

 

 

 

 

人の感受性は

それがどのようなものであれ

感じないようにすると

どのようなものも感じにくくなります。

 

 

 

悔しい、悲しい、怖い という感情を

感じないようにすると

嬉しい、楽しい、面白い という

感情も 感じなくなります。

 

 

 

 

 

ある人は

何年も

ネガティブな体験を

ポジティブな体験で中和し

ネガティブな感情を解消することに

取り組んだ結果

それらの出来事を思い出しても

ネガティブな感情を感じなくなったといいます。

 

ですがその後

何をしても

楽しい、面白い、嬉しい という

心が揺さぶられる感情も感じにくくなり

人の気持ちも よくわからなくなり

日常がつまらなく

もっと、もっとと

面白そうなことを何をしても

満足することがなくなった、と相談にきました。

 

 

 

悔しい、腹が立つ、憎たらしい、羨ましい、

悲しい、寂しい、心細い、怖い。

。。と思える感覚が悪いもので

 

楽しい、嬉しい、面白い、心地良い、ワクワクする

。。と思える感覚が良いもの なのでしょうか?

 

 

 

 

プラスが良くて

マイナスは悪いのでしょうか?

 

ポジティブは良くて

ネガティブは悪いのでしょうか?

 

暗いのは 悪くて

明るいのは良いのでしょうか?

 

そもそも

プラスとマイナス、良い悪い、

ポジティブとネガティブというのは

何故 そうなのでしょうか?

 

 

優しさとは何ですか?

選り好みをして

嫌いな自分を沢山隠している人が

真に人に優しくすることはできません。

 

 

 

 

あなたは 頑張って

自分に何を隠しているのですか?

 

 

 

勇気を奮い

自分の影に光を当て、影を抱きしめられた時

初めて人は  心にも人生にも

深い静けさ穏やかさや安らぎを

取り戻すことができ、

自分に満足することになるのです。

 

いいね!した人  |  コメント(1)  |  リブログ(1)