こんにちは。
つなぎびと雫です。

いつもお読みくださり
ありがとうございます。


昨日は冬至🍊
一陽来復

そんな冬至の1日は
MAYA カラー®️セラピスト養成講座
の最終回で
あたたかな方々と


研ぎ澄まされた空氣と
あたたかな空氣が
とけあい
とても心地の良いものでした。


生徒さんたちから頂いたもの♡



今日は朝イチで
あるお顔を拝見しました。

その方は
クリシュナムルティ


拝見した瞬間
母方の祖母と瓜二つで
意識を超えた部分で
しっかり繋がったのが分かりました。




少し前から感じていたこと
思ったこと
話したことについて
Instagramに綴りました。

たった5人のひとが、しっかり聞き、生き、永遠なるものに対面してくれたら、もう十分だとおもいます。
If there are only five people who will listen, who will live, who have their faces turned towards eternity, it will be sufficient.
Pupul Jayakar, J.Krishnamurti
聞く力は、話す力と比較すると、まず、評価しにくい。話のうまい下手は、むき出しになるが、聞くという行為は、まったく当人において生じている現象なので、分かりにくい。
うなづいている、感動的表情をつくっている、真剣に受け取っているかに見える、としても、当てにならない。
クリシュナムルティは、まず、ひとは聞いていない、聞けていない、聞こうとしていない、という認識を確固たる事実としていたが、地上の5人との出合いのため話し続けたのだ。
聞く力は理解する力である。聞けない人は理解できない。聞けない人は、結局、学べない人である。聞く態度に、ひとの理解力がまちがいなく反映される。
人類は、いま、聞くことよりも主張を優先し、理解よりも闘争を尊重する場をつくることに熱意をもっているようだ。
(ネットより引用させていただきました🙇)
…………………
昨日、MAYA カラーセラピスト養成講座の最終回を開講しました。
生徒さんたちとの会話からはいつも大切な氣づきが生まれます。
『聴く』 そして、やはり『安心感』に繋がる
………
よくセッション練習や講習会などで上手に話せない、緊張してしまう。と聞くことが多いが
これについて、講座内で話したことは
例えば、ペア練習などで、すらすら上手に話せている人に対して、自分は緊張して話せない。 
そんな場合、相手がすらすら話せていたとしたら、それはあなたが『聴く』というあたたかな空氣を放っていたからですよ。と伝えました。
もちろん、どんな状態でも自分自身の心の持ちようで発揮できる方もいらっしゃいますが、
『聴く』姿勢、それはあたたかな『安心感』
人は安心感に身を置くとリラックスして本来の力が発揮されるから♡

わたしが緊張するときは、必要以上に期待にこたえたい、と無理してしまうときになりますが、そんなときでも相手側があたたかな空氣を放ってくれていると、途端その緊張は解かれてしまう♡



↓こちらは
20日の講座の最後にお渡ししたもので、
昨日の生徒さんたちにもお渡ししたものです。




わたしの使命
というと大げさかもしれませんが

わたしはお伝えし繋げていく

何を

それは、やはり
『安心感』
そして
起きた事象
すべてを肯定的に捉えていくこと。


ここで、クリシュナムルティについて
書かれた記事を
載せさせていただきたいと思います。

 

クリシュナムルティ

1895 - 1986

インド生まれ。幼少時、神智学協会に

「世界教師」として見出され、
「星の教団」を設立。しかし、組織のあり方に疑問を持ち、自ら解散、
その後は独自の探求を続けた。

「真理は権威者を必要とするものではなく、まして集団に属するものではありえない。」
– クリシュナムルティ –
『英知へのターニングポイント』

1895年、クリシュナムルティはカースト制の中では最高位であるバラモンの家系に生まれた。父は英国行政下で官吏をしていたが、退官後1909年に「神智学協会」に籍を置き、クリシュナムルティを含む子ども達と協会の構内に移り住んだ。

神智学協会とは、ブラヴァッキーによって設立され、古の知恵から精選した奥義や、霊的進化などを研究した神秘主義の組織だ。当時、協会はブラヴァッキー夫人とオルコット大佐の下での創設期から、ベサント夫人とリードビーターによる、発展・完成期に移行しつつあった。彼らは、「世界教師」の出現を待っていた。その降臨を受け入れる器として、クリシュナムルティに白羽の矢が立った。

有名な透視能力者であったリードビーターは、水浴の帰り、川岸に腰掛けている一人の少年を見かけた。その少年はかつて見たことがないほどのオーラを放っていた。他のメンバーは、この少年は体が弱く、勉強もあまりしない、ぼんやりした子どもと認識していたので、彼が世界教師であることに当初、疑いの念を抱いたらしい。

様々な準備が行われた。また、彼の資質はたしかにすばらしいものだった。神秘的なプロセスを経て、ついに彼は「世界教師」の器に融合した。1911年、クリシュナムルティを長とする「星の教団」が生まれる。彼が25歳の時、「星の教団」は世界各地で三万人以上ものメンバーを抱えるまでに成長したという。

しかし……。クリシュナムルティは、1929年、自ら「星の教団」を解散し、神智学協会を去ることを選ぶ。その「解散宣言」は衝撃的なものだった。

「真理は、そこへ通ずるいかなる道も持たない領域である。真理は限りないものであり、無制約的なものであり、それゆえ、ある特定の道をたどるように人々を指導し、あるいは強制するようないかなる組織も形成されるべきではない。」

彼は、一切の権威を拒んだ。協会の人達にとって、彼の選択は、受け入れがたいものだっただろう。世界教師を待ち望んできた彼らにとって、あらかじめ描かれていた未来の絵がうち捨てられたのだから。逆説的に言えば、それこそが、「世界教師」の意味だったのかもしれないけれど。その時、クリシュナムルティ34歳。以後、弟子もとらず、組織も作らない、彼の孤高の人生が始まった。

そう、ひょっとしたら、彼は生まれた時から、「真理なるもの」をあらかじめ感じていたのかもしれない。それが、「何か」は自分では表現できないけれど、目の前に現れるものが、「それではない」ことはわかる。

これは、真理を探究したいという欲望とは、また違ったベクトルを持っているように思える。人は、自分の未熟さを感じ、見えない答を求める。しかし、基準となる「それ」をあらかじめ知っている人にとっては、どうだろう? 人間がとらわれている際限ない幻想。どれをとりあげても、彼には、「それではない」ことがわかる。クリシュナムルティが「否定の人」と呼ばれる理由も、そんなところにあるのではないだろうか。神智学協会で過ごした時期があったからこそ、彼は、「それではない」ことに確信を抱けたとも言える。以後、彼は、「それではない」と言い続ける。

クリシュナムルティは、一個の自由人として、世界中を旅しながら、多くの人々と語り合った。自分で考え、真理を探究しようという人々の言葉に耳を傾け続けた。オルダス・ハクスレーや、ジョセフ・キャンベル、デヴィッド・ボームなどとの対話も、よく知られている。



今朝、クリシュナムルティに繋がり
しっかり祖母と繋がりました。

わたしが
夢のメッセージを書くようになった
きっかけは
母方の祖母の夢からでした。


今は
父方の祖父母も頻繁に出てきてくれていますが
特に
『神の酒』を皆に配ってほしい
と頼んできてくれた
祖母はとても身近な存在となりました。


母方の祖母が夢に現れたとき
そこはお寺で
天井に大きな曼荼羅が描かれていました。

そこから
もう20年ほど経つのですが
こうして
今に繋がっていきました。



そこから
父方の祖父母の登場回数が
増えたのですが

今年
母方の祖母と鏡の向こうKIN にあたる
生徒さんと出逢うタイミングで
また
出てきてくれるようになりました。


2023年は
まさに
魂の再会
の年になりました。



きっと
目に見えない力で
大切な再会を果たせるように
計らいがなされている…


そんなことを感じる
人ばかりに
出逢えています。




人間がとらわれている際限ない幻想。
どれをとりあげても、彼には、
「それではない」ことがわかる。
クリシュナムルティが
「否定の人」と呼ばれる理由も、
そんなところにあるのではないだろうか。


この言葉を読んだとき
わたしは
わたしが目指している言葉とは
真逆のことを言っている

と感じました。



そして、

言葉の表面だけに
とらわれてはいけないことを
改めて
感じました。


わたしは
明らかに
クリシュナムルティに繋がり
共鳴しました。


それは
お顔の写真や言葉の
中にある想いに通じたのです。
それを促すためには深呼吸のほかに
にこやかな表情や背筋を伸ばして姿勢を整えることも、おすすめです。



人が誰かの言葉に感情的になるとき
そこには
きっと
自分自身にとっての
手放すべきものが隠れているから。



久しぶりに
自分自身
そんな場面にあいました。



わたしは
肯定的に転換していく


それをしていく上で
ずっとしっくりこない
ままになっていたことに対して
教えられたようでした。




目の前にいる人の
言葉にきちんと
耳を傾けて
『聴く』



言葉の奥にある想いを
きちんと受け取ることが先。


すでに起きてしまった
事象に対して
肯定的に捉えていくことは
出来ていても



発せられた言葉に対して
言葉を返していくときに
絶対に大切なこと



言葉の落とし穴
🕳️



言葉の奥にあるおもい

言葉は言の葉🍃
さらさら
さらさら流れてゆく

ひとりひとりの
おもいは
風に乗り
この世界をうめつくす

愛ある言葉は
愛となり

歪んだ言葉は
歪みとなる

みんなそれぞれ
色んなおもいを抱えてる

誰かの叫びは
届くのだろうか

言葉の奥にあるおもい

言葉は言の葉🍃
一語一語大切に
発していけたなら

でも、時に
上手く伝えられないときもある

そんなおもいにきづいてください

歪みとなる前の
愛ある
そのおもいに



この詩を
2019.4.8に書きました。



ああ
もっと感じたい
目には見えない
耳には聞こえない

その奥にある想いを




だからこそ

これからも
すべての発する言葉に
『安心感』
を乗せていきたい

それは変わらずに
繰り返し
繰り返し
丁寧に
込めていこうと思うのです。


いつも最後まで
お読みくださり
ありがとうございます。

愛と感謝を込めて。
氣づきと心の解放が生まれますように。