あっという間に過ぎてしまった。未亡人となり、早すぎるこの歳月。
新しい冒険に出かける気力もなく、かといって、過去の思い出に浸る強靭な精神も肉体も、持ち合わせておらず、
私は「今」という牢獄に身を投じ、かといって病気にかかることもなく、精神を犯すこともなく、自然に守られながら生きるのだった。
そして、すでに習慣となった毎日の散歩、そしてただ一つの魂の置き所、あの「窓」から流れてくる旋律。
同じ曲は、ひとつとしてない。
一体誰が。
そんな問いも、好奇心よりも先に、
最近となっては、「いつかピアノが止む日が来るのではないか」というあせりが、私を支配し、その媚薬を一滴もおとすまい、と私は毎日その城似通い続けるのだった。
(Menuetto)
ある日、いつものように、城からメヌエットが流れてくるのを聞いていた。
最後のTrilloのフレーズを聴き終えた後、わたしは、信じられないものを目にした。
その黒い窓から、一つの顔が現れた。男か女かは、わからなかった。
そして、私の方に向かって、笑った。
そして、私は彼が誰だか知っていた。
。
流れる歳月。
それが、一番崇高で美しき「芸術」であろう。
そして彼は、崇高な芸術となっていた。
私がこれまでに見た、何よりも、美しく、儚く、誇り高い。私の足は、自然と城の方へと向かっていった。
普段閉じたままの、戸は、初めての訪問者を、まるで何年も待っていたかのように、準備されていたかのように、自然に開いたのだった。
そして、私はそれを不思議とは思わなかった。
奥に進んだ。思っていたよりも、何もなかった。
私は、私の知っている彼が、自分の全ての想像の賜物を「五線譜」という小さな枠に絞り込んだことを知った。
毎日、決して同じことがない彼の作曲の原因がわかった。
一番奥の部屋にたどり着く。
オルガンの前に、彼は静かに座っていた。(Fuga)
「やっときたね」
彼は、私を「見た」。
目からは、涙が伝っていた。
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音楽は、神との対話の唯一の手段である。
私たちは、物質世界に閉じ込められた人形に過ぎず、おんなじ原子でできた「脳」は、自分と同じ原料で成り立つものしか、
認識することができない。
それゆえ、「神」は幻想に過ぎぬ、という無神論の訴えは、ある意味完全に正しく、私たちの住む世界の「Limit」をはっきり示しているのである。
水槽の中の魚は、酸素が一体どこからくるのかを知らない。
私たちは、音楽ではしばしば示される、Inspirationが一体どこから来るのかを、全て「認識」できないからだ。
魚が、エラの呼吸以上のものを得て、水無で生きる術を覚えるほかには。
故に、真実を知る方法は、唯一、水槽の中の酸素を分析して、それらがいったいどこから来るかを「推定」するしかないのだ。
だから、人間には、音楽を分析することにしか、「神の世界」を知ることはできないのである。
全ての音楽は、宗教的儀式によって、発達してきた。というのも、人々は、自然界に存在する「音」を通し、それを真似ることを覚えたが、それを自分自身の言語にするため、教会や、「祈り」の儀式が重要な役割を果たしたからである。
目を瞑り、話声を聞く。
すると、すぐさま、そこに直感のような物が働き、「生と死」「緊張と緩和」「恋の始まりと終わり」「希望と喪失感」と一気にイメージが現れる。そしてそこには、ちいさな法則があり、対位法や、和製学が、重要なヒントを与えてくれるのは、言うまでもない。
。。。。。執筆中。
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登場人物の説明です
バツイチ。
薬剤師の息子。
パリと、Pugliaというイタリアの大学で育った彼。
ありとあらゆる(おそらく500人以上)女性と寝続け、
なぜかニコレッタにたどり着いた。
息子はニコレッタの元音楽生徒。
同居人でもあるので、ニコレッタの壮絶な、公式不倫が始まる。