【文字起こし】八丈島STYLE 八丈島民インタビュー⑧(後編) | らいむの“ひょっこり八丈島”

らいむの“ひょっこり八丈島”

八丈島への「入口の入口」になれば、と始めてみました。

島のこと、島暮らしのことなど、書いていこうと思います。

#8 キッチンカーBANDWAGON 浅沼碧海さん

 

●碧海くんが育った末吉はどんな地域ですか?

八丈島の中で末吉という場所は、一番人口の少ないな所なんですが、その分みんな知り合い。僕なんかは、末吉(地区)全員の孫であり、息子のように育ててもらった場所だと思っています。あと末吉のいいところだなと思っているのは、大人がいい意味でバカをやってくれる場所だと思っていて。例えば、自分が子どもの頃は、親世代がぞうさんパンツをはいて前に出てきたりとか。笑かせること(原文ママ)をたくさんしてくれた印象があります。また、自分たちが盆踊り等ではしゃいだ時も、よくやったと褒めてくれたり。そうした、楽しいことに対して寛大な場所だと思っています

 

●良い地域で育った碧海くん、島暮らしを楽しむためにはどうしたらいいですか?

今(現在)ホテルで働いていて、リゾートバイトという形で派遣のスタッフが島外から来てくれていて、思うことは、やっぱり八丈島の中で一人でも(ホテル関係者以外の)島人(しまじん)と仲良くなると一気に開けていくと思います。ホテルのメンバーだけで固まってしまうよりも、島の知り合いができるとそこから輪が広がっていくように、(海に山に)楽しみが広がっていくと思います

 

●今後やりたいことや将来の夢などあったら教えてください

僕は今、 リードホテル&リゾート(株)というホテルで働いていて、八丈島の中の観光の一端を担っていると思っています。またしかり、島民である自分もいて、今後の八丈島を考えると、観光と、住民の生活の双方を考えて、より良い八丈島にしていくことが、課題ではないかとも思っていますそんな中で、僕がひとつ思うのは、八丈島の人たちが“すごい楽しい!”生活をしている街というのは、必ず観光の人も楽しめるはずだ、と思っていて、それがキッチンカーの始まりでもあるんですけど、なるべく、八丈島を楽しい街だと(住んでいる人が思えるようにしたい)。自分が八丈島を出て、戻って来た側なんですけど、東京で夢破れてとか、打ちのめされて戻って来るんじゃなくて、帰ってくることがカッコイイことだと、そう思ってもらえるような八丈島にしていきたいと思っています。

勝手な自負なんですけど、戻ってくると決めてからは、大げさかも知れないけど、八丈島を背負っているような感じで生きていて、もちろんホテルで、観光業であったり(もそうなんですが)、少し宣伝になるかも知れないんですけど、「八丈島移住定住促進協議会」というのにも、最近ですが参加しました。今後八丈島に住みたいと思ってくれている人たちの力になってあげたいし、そう思っているスタッフもいっぱいいて、そういう人とともに、力になりたいと思っています。

 

 

 

●ぶっちゃけ、八丈島はどうしたらいいですか?

八丈島って、シャイな人が多いと思うんですよ。今は緊急事態宣言中だったりとか、コロナウイルスの影響で、例えばライブハウスのPotHallに八丈島出身の人が出て来ることは少ない。むしろ島外から来てくれる人が、面白そうだと言って出てくれたりとか。個人的には多いと思っているのですが、個人的な思いを言うと、八丈島の人にもっと前に出て来て欲しいと思います。自分は、バンドワゴンもそうなんですけど、ちょっと“背中で見せたい”という気持ちがあります。PotHallのライブに自分が出るというのも、僕の作った曲を披露したいという気持ちも、あるんですけど、PotHallの中で多分僕が一番へたくそで、こんなへたくそな奴が前に出て来ているんだったら、もしかしたら自分のほうが上手だから俺でもできるかも知れないのではないかと、島の人には思ってほしいし。

もちろん八丈島という環境の中で、やれることに制限はあると思うんですけど、やれないことは少ないんじゃないかと思ってます。どんな形にせよ、やってみたい形をイメージに近づけていくのは可能じゃないかと思っていて、(やっている人もたくさんいるんですけど)

もし、「おもしろそうだけど自分はいいや…」みたいな形だったら、なるべく動いてみたり、イベントに顔を出してみたり(合わないこともありますが…)動いてほしいという思いはあります。多分、八丈島にはスーパースターが出ると思っていて、僕はその人が出るまでの道を作る役をやりたいと思っています。

 

●遠慮しないで、自分がスーパースターになっていいんだよ!

スーパースターはいると思っていて、それはたぶん僕じゃないんじゃないかなと。ただ一つ嬉しいのは、八丈島に戻ってくる、もしくは八丈島にずっと住んでいる人たちの中で、僕の同級生は島に結構戻ってきてくれてたりしている人たちがたくさんいるから、そういう意味では、僕たちの世代はいい世代だと思っていて、同級生に限らず、(Uターン組と)仲良くやっていけたらなと、思いとしてはあります。
 

●最後に何か碧海くんが話したいことがあればお聞かせください

僕が最初、リードパークに入ろうかなと思ったのが、観光業をやってみたいと思ったのと、社長の歌川(真哉氏)に興味を持って。八丈島で幅広くやっている人のもとで働いてみたいと思ったのがきっかけのひとつでもあります。歌川社長は、もちろん経営は大変でしょうけど、とても八丈島のことを真剣に考えてくれていて、例えば先ほど挙げた、“移住協”でも理事を務めていたり、あとはリードパークでいちど働いていたスタッフがまた戻ってきたりだとか。そういうのは、ひとえに歌川社長のホテルスタッフへの配慮だと思っています。今回と前回含めて2回の緊急事態宣言の中、多くのホテルは一部のスタッフの首をきらなければいけないこともあると思うんですけど、全部のスタッフの、給付金含めて手当を出したりとか。なかなか給付金の手当てが難しいスタッフには、在駐作業として、牧場スタッフなどの仕事を与えてくださったりとかホテルのスタッフを管理する立場としても、島内の人がなかなかできていないことを、歌川社長は、八丈島の活性化を背負ってくださっている姿にはすごく感謝しています。一番近くで見ていて、また島民として客観的に見ても、島の活性化に携わっているんだと思います。

 
Screenmemo_2021-05-22-22-12-26.png
 
 
ありがとうございました!
 

 

インタビュー動画。リンク先などはこちらの動画説明欄から。
 
(あとがき)
ホテルで働いているこの方のインタビュー動画は、上がってすぐ見ました。こんな時期なので、島内やリゾートバイトのスタッフさんがどう過ごしていたか純粋に気になっていたからです。
島には以前にもキッチンカーはあったのですが、今回は島民が運営しているので、島に根付いたサービスを継続して届けられるというのは良い試みだと思います。
どんなに素晴らしい取り組みであっても、知ってもらわなければ意味がありません。それはどのインタビューでも同じです。このとおり閲覧数が多いとは言えないブログですが、八丈島STYLEさんの動画、もしくはこの一覧の記事で、八丈島で頑張る人、島への思いを広く知っていただきたいと思います。
 
(6/19追記)
20210619151929_p.jpg
ウルクラフトさんでBANDWAGONさんが出店していたので、コーヒーとクレープをいただきました。仮看板も出してもらいました。こちらの画像をブログに載せても良いかと尋ねましたら、快諾いただいたので掲載。念願のライトハウスのコーヒー、ブラックで美味しくいただきましたコーヒー