【文字起こし】八丈島STYLE 八丈島民インタビュー⑦(前編) | らいむの“ひょっこり八丈島”

らいむの“ひょっこり八丈島”

八丈島への「入口の入口」になれば、と始めてみました。

島のこと、島暮らしのことなど、書いていこうと思います。

#7 ヤマサ水産 長田商店 長田隆弘さん

 

長田隆弘と申します。よろしくお願いします。

八丈島の三根(みつね)の出身です。小さい頃から八丈に住んでまして、高校まで八丈に住んでまして、それから静岡の大学に行きまして、それから北海道の方に行きました。北海道で11年間過ごしました。八丈島に帰ってきたのは24年前です。ですから、戻ってきてから25年目になるのかな。で、八丈のくさや屋を営んでいます。よろしくお願いします。

 

 

 

●長田商店さんはかなり前からアットホームなホームページを作られてますね

 

 

 

 

ホームページはですね、(八丈島に)帰ってきて間もなくですね。もともときっかけは、八丈のお客さんはご高齢の方が多かったので、“これは自分の代になった時にはお客さんがいなくなってしまうな”、ということで、ホームページに着目しました。その当時ですから、21、2年前になるでしょうかね。その時、たまたま娘が病気になりまして、そのことを探したのもホームページだったんですね。これから情報発信をするってことがものすごく大事なことになるんだなというのを感じまして、それからホームページを、家族を紹介することがメインになりつつ、いつの間にか、お店としても、くさや屋の商売としても、充実してきたということで、今は子どもたちは卒業して、島を離れて社会人になっているんですけれどもその子どもたちの思いも伝えながら、ブログを毎日書き続けていると。僕自身はもう、21~2年くらい、ほぼ毎日、書き続けています

 

 

●インターネットと店舗との販売割合はどのくらいですか?

今は正直言って、インターネットのお客さんは(このコロナの時は別ですけど)、実は落ちてきてたんです。私のところの割合としては。孫正義さんが2003年に来ていただいていた頃の方が、実は、ライバル会社みたいなのがネットの中で少なかったので、割合的には多かったんですけれども、今はそうですね、今はホームページ(ネット販売)は少ないです。2割か3割行かないかも知れないです。ただ、コロナになってこの1年、急激に増え始めてきて、今で4割くらいですかね。逆に観光で来られる方とか、店舗に来られる方が減りましたので、割合的にこの1年については増えてきているという形ですね。

 

●長田さんのくさやはインターネットと直営店舗以外にも出されてますか?

基本的に少ないです地元ですと、民芸あきさんと空港の(エアポート)逸品会さんが、、中心に販売してくれているんですけれども、基本的には卸が非常に少ない。あまり卸販売しても安く卸せないですね。そういうこともあって、直販の方が圧倒的に多いですね。

 

 

●緊急事態宣言で飲食店が時短営業になり、その影響はありますか?

そうですね、居酒屋さん!先ほどの説明が足りなかったですね。居酒屋さんとかもね、圧倒的に(注文が?)少なくなってゼロのところもありますね、コロナの影響で。それはもう確実に、八丈島のものを扱ってくれているところで。圧倒的に少なくなりましたね。

 

●八丈島の水産加工業界はかなり厳しいということですね

コロナだけでなく、実は(2021年は)ハルトビウオも不漁なんで、去年から。それも含めてダブルパンチという形で、今、非常に苦しいっていうのが正直なところです。

 

●八丈島のくさや屋さんは何件くらいありますか?

今、入札に来られるかたは、7件くらいですね。組合数自体は20件ちょっとあるんですけど、実質的には漁協に行って、製造販売しているというのは、7件ぐらいですね。

 

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画像は八丈島水産加工協同組合のHPより。

 

 

 

 

●くさや屋さんの跡継ぎ問題も含めて、10年後20年後はどうなっていると思いますか?

基本的にこれからの跡継ぎっていうのは、今のところ誰もいないんですよねきっと。今、現役で頑張っている人たちの世代が、正直なところ、最後の世代に近いと思うんですよ。で、(学校に通っている)お子さんがいる加工場というのは2件しかないんです。もう、ほかの加工場は、子どもが社会人になって他の仕事をしていたり、あとは、今、現役のかたが結婚してなかったりという形で、なかなか次の世代というのが見えてきていないというのが現状なんですよ。ですから10年後というのは私たちがそのまま年を取ってしまって、生産量とかも落ちてきて、製造量とかも落ちてくる。でも私たちだけじゃなくて、実は、私たちの原料を捕ってきてくれる漁師さん。トビウオ船が3隻なんですけど、ムロアジが2隻なんですよ。その方たち自身が10年後、果たして捕っているかというと、非常に厳しいと思います

 

●長田さんはお子さんが4人いて、どなたかが跡を継ごうと思っている方はいませんか?

実は長男が、コロナの関係で、ポロっとこぼして、“そろそろ(実家に)帰ろうかな”という話をしたことはあったんですけど、くさやの現状で、実際息子が帰ってきて、ここでやっていく場合、今でさえ私たちがくさやの製造販売だけでは生活が苦しいんで、これからくさやをやっていく上には、くさやプラスアルファでなければきっとやっていけないだろう、という話を(こちらから)したときには、“うーん…”って(笑)その話はそれで消えてしまいましたね(笑)厳しいですね正直なところ、ね。それは私たちの生活自身が、実は父の世代のくさや屋さんと、私たちのでは、もう全然、収入金額が違ってるんで、非常に厳しくなってきてるってのが大きな原因です。

 

●お父さん世代の方が儲かりましたか?

父の世代の時は、もう、製造すれば、売れる。そんな時代でしたね。観光というより、地元の方が買ってくれました。ちょうどあの、戦前戦後の世代の方たちは、兄弟が多いんで、その方たちが東京に、親戚?東京に行った親戚が10件くらいあって、そこにお中元お歳暮を贈るのがもう恒例だったんですよ。ですから1人のお客さんがいれば、もう、10キロ20キロって単位でくさやが売れてたんで、そういう意味では、観光客もそうでしょうけど、一番大きいのは地元の地元の買ってくれるお客さんが多かったということです
 

●親戚にくさやを送る人が減ったということですか?

その世代の方たちが、もう年金暮らしを通り越して、もう、ものを買う世代ではなくなってきたということですね。

 

●長田さんが跡を継ぐために帰ってこられたんですよね?

きっかけはですね、もともと父は19トンの船持ち漁師だったんですけれども、私は漁師は苦手で、ちょっと私には漁師は無理だなということで、水産の道を歩んで、トコブシを増やしたいという夢を持ち、アワビの研究をしていたんですけども、その関係で北海道にも行って、アワビを100万個ほど育ててたんですけれども、その中、北海道で11年、学生時代も入れて15年島を離れてて、そろそろ帰ってこないかと言われて、まぁ父も長田家の長男でしたし、私自身も長男だったので、まぁいずれは島に帰って、お墓を引き継がなきゃいけないだろうというのは、子どもの頃に持っていたんで、その時にはもう、職業が何というわけではなかったですね。ですからくさや屋だからということではなくて、島に戻らなきゃいけないだろうという責任感で戻ってきた挙句、父がくさや屋をやってたんで、跡を継いだということですね。

 

●くさや屋さんのお仕事は好きですか?お仕事の喜びはどんなところにありますか?
最初は私、くさや屋イヤでしたよ(笑)ただ、北海道でもう長靴を履いて仕事をしていたんで、カッパを着てね。そういう意味では同じスタイルですから、何の違和感もなくくさや屋の跡を継いで。お客さんが来て、くさやの液を見せてくれますかと言われた時に、どんな匂いですか?って時に、やっぱり最初はこえだめみたいなにおいですとかって説明してたんですけど、たまたまただ、娘の同級生が加工場に見学に来た時に、くさやを嗅いで、“この香りいい香りだよね”って言われた瞬間に、っ“あ、もっと自分に誇りを持ってね、この香りを伝えていかなきゃいけないんだ”ということに気付いて、それからは、くさや屋のやりがいですかね。伝統文化というのはこういうもんなんだ、このことをキチンと伝えていかなきゃいけないんだ、ということに気持ちを改めさせられたというのがありますね。今はそういう意味では、とてもいい仕事に就かせてもらったという気持ちのほうが強いです。

 

●長田商店さんは見学も受け付けていますが、コミュニケーションの喜びもありますか?
そうですね、最初は見学もつらかったんですけど、やっぱり帰ってきた当初は、製造すればするほどくさやって売れたんで、製造することが一番メインの仕事だったんですけれども、(次第に)それだけでは食べていけないというのは薄々感じていたので、見学のかたを受け入れるようになったんですけど。その見学の方がね、最初は観光客だけだったんですよ。ですから普通に説明してて、その後、子どもたちにくさやのことを紹介するようになってからは、なんか楽しくなってきたんですよ。教えること自体が。子ども達の気づきが、私の思うところ以上になんか、大きく反応してくれてるってことに、自分でも気づき始めて。今では、見学のかた、特に、(子どもたちの)お母さんやお父さんが来て、“子どもたちの研究テーマに!”なんて言われると、もうどんなに忙しくても、“じゃあこの時間に来てください”と、見学を受け入れているような形です

 

●八丈高校のPTA会長をなさっていますか?

いや、PTA会長は今(やっていなくて)、3年前に(一番下の子が)卒業しまして、今、八丈学の運営委員のほうをやらせていただいて、どちらかというと、地域コーディネーターの代表みたいな形で、八高には関わらせていただいてます。

 

●たくさんの地域貢献活動されていますが、どんなことをなさっていますか?

学校のほうは、今(質問者が)おっしゃられた八高の関係と、それから今年(2021年)に入ってから、富士中学校の地域コーディネーターの代表ということで、関わらせてもらって、そのほかにいっぱい。一番長いのは、食品衛生協会(保健所の関係ですね)をやらせていただいてます。そのほかに島で、防犯カメラを昨年度から設置しまして、その防犯協会で、カメラを16台設置しました。あとそのほかには、青色申告会のほうで副会長をやらせていただいて、そちらで、確定申告の受付とか、その辺を含めてやらせていただいています。

 

●八丈高校と富士中学校の地域コーディネーターとはどんな内容ですか?

八高のほうは、文科省の試験を受けまして、八丈学というのを3年間、、今年度(2020年度)から含めてやっているんですけど、その中で、子どもたちが八丈島に誇りを持って、島を出て、島のことを紹介できるように、それが社会人となっても、大きなメリットとなるような教育になるようにと、地域の代表として、またその教育関係の中身についての資料等を含めて、やるような形で、携わらせていただいてます。で、富士中学校につきましては、これは今、ちょっと申請中なんですけど(当時)、今、コロナの関係で、ICT(※)が一気に進んでしまっているということで、そういうもの(端末)を使用しながら、自分たちが考えて、問題点を見つけて、それを解決して、それを将来に役立てるっていうことを一貫してできるような子どもたちを、育てようということで、地域のほうとして関わらせていただいてます。

 

※ICT…情報通信技術。ネット環境を生かしたコミュニケーション。またその教育。

 

●ICTを進めることに地域が関わるとは具体的にどのようなことですか?

富士中学校の体験学習が毎年3日間行われているんですけど、実は私、それにずっと携わってまして、その中で、私の所に来た子どもたちというのは、感想文みたいなのを書くときに、ちょっと変わっているんですよ。“長田さんのところで学んだのは、人のつながりを大事にするところだ”とか(笑)“人のために尽くすことが喜びになるんだということを学んだ”ということを子どもたち(中学生)が書いてくるんですね。その中で実は私自身も、その3日間の体験学習をですね、くさやの製造をメインには教えているんですけども、自分の体験談みたいなことを子どもたちに話してくと、どうも彼らがくさやの製造(そのもの)よりも、違う分野で、私の話の方を受け入れてくれてる。そのへんと、富士中学校の先生、校長先生、富士中のコーディネートするアドバイザーの方たちが注目してくれまして、“長田さん、関わってくれないか”ということで、声をかけていただいて今そういう風な形で先生方がそのICTを使っている中での私というものの存在を見つけてくれて。直接的には、私自身がそのブログを続けているからそこに関わるというよりも、人間関係形成の上で、地域の代表として、関わらせていただいている、という形ですね。

 

 

この動画を紹介する、スーパーあさぬまのブログ記事。

 

 

(後編に続く)

 

 

 

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