「頑張れ」という言葉は果たして悪い言葉なのか
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被災した方に対して「頑張れ」ってどうなんでしょう。
私は被災した方に対しては「頑張って下さい」「頑張れ」とは言えなかったです。
せめて「頑張ろう」かな。と思いました。
家、家族、友人、恋人、思い出、いろんなものを失って
本当に大きな悲しさ、恐怖、不安を抱いています。
とても目を観て頑張ってくださいねとかは言えなかったです。
悲しみ
女川のかなり田舎の方の町での話なのですが
この町はほとんどおじいちゃんおばあちゃんで、避難所も半数以上が高齢者でした。
ちょっと時間ができて、まちにちょこちょこまだ立っている家があったのでみにいってみたのですが
おじいちゃんが半壊した家の前で、泥まみれになって壊れて倒れた自転車を起こしている時に声をかけました。
声をかけると、自転車から手を離して、こっちを向きました。
自転車を起こしたってなんの意味もないことをわかってたのか、手を離して自転車が倒れました。
このおじいちゃんも、僕が調査にはいった避難所で生活してるそうでした。
他の人もみんなそうなのですが、調査のインタビュー以外に話すことといったら、当時の津波の様子の事です。
他の話をしていても、なぜか津波が来たときの話にいつの間にか切り替わる。
それほど、津波の衝撃が大きかったのだと思います。
「津波が、のぼってきてなぁ、あれは坂をかけのぼるんだよ…。」
「ばあさんとこの家で暮らしてたんだけどなぁ、家は崩れてないけど、もう住めないから壊さないといけない。だけどいつになればできるのか見当もつかない。」
話をしているその目が、あまりにも悲しげでなりませんでした。
その場におばあちゃんの姿は見えませんでしたが、おばあちゃんの安否を聞く勇気はありませんでした。
いままでの経験で、話した人の家族が亡くなっている事がよくあったので怖くて聞けませんでした。
おじいちゃんには瓦礫を片付ける力もないので、家をじぃ~っと眺めながらそこにいました。
恐怖
また、僕は直接話をしなかったのですが
ある避難所に、奇跡的に命が助かった女の子がいました。
津波にのまれて、鼻と口をふさいで、なんとか奇跡的に救出されて命が助かったそうです。
だけど、一緒にいたおじいちゃんは亡くなったそうです。
詳しい話はわかりません。隣でおじいちゃんが死んだのか、後で別の場所で見つかったのか。
だけど、あまりにも恐怖を抱えているのは確かで
余震がくると、ガタガタと震えるそうです。
最大余震震度6を観測した翌日の話でした。
不安
牡鹿半島にある石巻市内の集落でのこと。
牡鹿半島は山を越えるごとに小さな集落が点在しています。
漁業などで成り立っている場所です。
私が訪問した集落の避難所は小学校と2棟を残して、他の家がすべて全壊していました。
避難している人たちは比較的元気でした。
のこった民家で子供も大人も数人が集まって談話していたところに、お邪魔してお話を伺いました。
牡鹿半島では震災から7日たって孤立していた集落70家族にやっとアクセスがとれて安否確認ができたなんてこともある田舎です。
だけど、内陸の方に住んでる嫁の家族の人たちが野菜を届けてくれるとか、秋田にいる友人が船で物資や風呂釜をもってきてくれたとか心あたたまる話もたくさんありました。
田舎ならではの人のつながりがそうさせているのだとおもいます。
この集落はみんなが大きな家族みたいなものなので生活面は何不自由なさそうでした。
だけど、今抱えているものは大きな不安。
集落がほぼ壊滅したため、そこでまたやり直すのはほとんど不可能みたいです。
仕事の船や、漁港、工場、家、なにもかも流されて瓦礫になったので再建には何千万円と必要。
そして、もうリタイア間近の人ばかりでとてもやり直せない。
おそらく2棟と小学校を残すことになると思いますが、そうだとしても村が成り立たないので
もしかすると地図から消えるなんて事があり得るかもしれません。
そんな不安をかかえていました。
海で育ったはずのおばちゃんが、「ザザァーッっていう波の音が怖い」とも言っていました。
ただでさえ、不景気といわれているなかで、自分の子供たちの就職先もとても不安。
今後の生活の再建の目途がまったくたたない状況にあり、先の不安がぬぐえない中での生活をしていました。
私たちができること。
くどいですが、本当に深い悲しみと、恐怖と、不安のなかで生活をしている人たちがいます。
中には、めちゃくちゃに前向きな人たちもいました。
そういう人がいると、避難所全体がとても明るくて前向きになっていした。
だけどまだまだ、前が見えなくて、頑張る気力もない、なにをがんばったらいいのかわからないような状況の人たちがたくさんいます。
だから、「頑張れ」ってすこし違う気がします。
それに、キモチ的な問題以外に
頑張って、我慢しすぎることによって、特別なケアが必要なことや体調悪化を訴えずにみんなと生活をあわそうとして状況が悪化していく高齢者をはじめソーシャルマイノリティーの方々が存在します。
じゃあどんな言葉が適切なのか?
はっきりいってわかりません。
「頑張って」とは僕は言えませんでしたが、女川市内の避難所にはこんなメッセージの寄せ書きがたくさんありました。
みんな「頑張って」って書いてるけど、この寄せ書きが避難者の人たちを追い立てる気もまったくしません。
言葉はいろんな力をもっていて、扱いが難しいですしややこしいですね…。
とにかく。
人は孤独には生きていけない弱い生き物です。
だからこそ支えあって生きていく生き物で、誰かと一緒にいると安心できます。
「がばってください。応援しています。」「みんなで頑張ろう」「私たちがついている」「おなじ日本人同士、助け合おう。」「世界中の人が応援してる」「支えていきます。頼ってください」
いろんな言葉があると思いますが、"みんなが一緒にいる"っていうことをなんらかのカタチで表すのが大切な気がします。
寄付、メッセージカード、東北の商品を買う、実際にボランティアにいく、歌を歌う等々、なんでも。
とにかく考えてばっかりでなにもしないんじゃなにも変わらない。
想いはカタチにすることでしか伝わらない。
みんなが一緒になって、震災を乗り越えるという目的に向かって歩んでいきましょう。
なんか良く分からないしめくくりで申し訳ないです(@_@;)