探検塾

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好奇心のつづく限り、体力のつづく限り、

今年の夏は車で長野県の上高地へ行ってきました。

 

実際には自家用車で上高地には入れないので、その手前の沢渡温泉に泊まり、上高地との往復は路線バス利用。

 

天気よかったので、涼しい空気の中で絶景を楽しめました。

こんなところです。

 

焼岳とその噴火で堰き止められた大正池

 

白樺の森にある赤い屋根の帝国ホテル

 

奥穂高連峰を見上げながら梓川横を歩いて河童橋へ

 

さらに梓川を上流に歩いて岳沢湿原

 

 

僕は子どもの頃に連れて来られて上高地を知っていたので、ほぼ半世紀前に見た美しい景色を再確認できた旅となりました。

あの頃との違いは、大正池と河童橋周辺にホテルが出来ているのと、大正池の中に立っていた枯れ木たちが自然の摂理でほぼ消失したことくらい。

 

僕は小学生の時に来て以来、上高地へはずっといい思い出を持っていて、中学校に上がってから芥川龍之介の「河童」を読んでみた。

当時はそれなりに面白かったのだけれども、今から思うに河童社会に芥川が投影していた人間社会のアイロニーをどこまで理解できていたのかな。

 

今回連れてきた孫は、初めて上高地に来た時の僕と同じくらいの年の小学校高学年生。

果たしてこの景色を一生覚えてくれるのだろうか。

 

僕ら夫婦は五十年後にはまず生きていないのだけれども、上高地は日本の夏の避暑地として美しくあり続けてほしい。

孫が今回の旅を自慢する場所でもあり続けてほしい。

 

 

日本で初めての専用オペラハウスとして新国立劇場が誕生してから二十五年。
その記念公演は、二十五年前のこけら落とし公演と同じく歌劇アイーダ。

僕は家族と観にいき、その公演にとても堪能してきました。
専用のオペラハウスでしかできない豪華で巨大な大道具で圧倒するアイーダの空間。
歌手、楽団員、合唱団員、バレエ団員、子供たちと総勢三百人を超える登場者。
そして主要なキャストには、外国人、日本人の力量の確かな歌手を手配。
有名な凱旋行進曲の場面では若き将軍ラダメスが本物の白馬に乗って登場するサービスまで。
つまり本当に贅沢な空間でした。

この日連れてきた僕の次女は、日ごろはサッカー観戦が好きなので、日本代表のゲームの応援で使われる凱旋行進曲の本物を経験できたと喜んでいました。
僕は新国立劇場はこのド迫力の歌劇アイーダを日本人にみせるために出来たといっても過言ではないと思っているので、ここのアイーダはかねてから観たかった演目でした。

まずこの歌劇の作曲をベルディに依頼したのが当時のエジプト総督のイスマイール・パシャで、彼が造ったカイロのオペラハウスで1871年に初演した。
エジプト政府は歌劇アイーダの百周年記念を、すでに老朽化したイスマイール・パシャのオペラハウスではなく真新しい国立オペラハウスでおこないたいと考えていたのけれども、1960年代から70年代の中東戦争でその構想は進まず、結局戦争に全く関与しなかった日本のODAを利用して1988年にカイロの中心でナイル川の中州になるゲジラ島に国立オペラハウスを完成させた。

エジプト政府にとっては、中東戦争で陰に陽にイスラエルを支援する欧米諸国に借りを作らずに念願の国立オペラハウスを造ることができてよかったのだけれども、当時国内にオペラハウスが一つもない日本の納税者から「日本人にも迫力のあるアイーダを観ることができるようにしろ」という声が高まり、1990年代に初台オペラシティの建設の一部として新国立劇場を造る計画が進み、1997年にとうとう竣工・開場した。

 
カイロのオペラハウス

 
東京の新国立劇場

新国立劇場と歌劇アイーダのエピソードは開場十周年記念公演でもありましたね。
オペラ大好きの時の首相福田康夫氏の内閣は支持率の低迷に悩んでいて、どうにか策を講じて政局を乗り切ろうとしていた時に、首相は夫人と予定通りに歌劇アイーダ鑑賞にお出かけした。
「前から妻に約束していたから」というそのマイペースな言い訳に周りはあきれて人心が離れ、麻生太郎次期首相への禅譲となったとか。

たかが歌劇、されどアイーダはすごい、といったところでしょうか。