ボランティア活動は偽善なのか。 | ○と○

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ボランティアやってみようかなと、思っている人の足を踏みとどまらせるものの一つが。偽善の存在。

社会の為に、誰かの為にと思ってやりたいなと思っているんだけども、この気持ちは偽善なのかもしれないなぁ…。

そんなことで悩んでる人が意外といたりします。

実は、これは日本独特の事なのですが、僕の考えを紹介します。



●善と偽善の違い

虚栄心や利己心からくる意欲であれば偽善、本心や良心からくる意欲ならば善意。

「貧しい子供がいる実態をしってなにかしたいと思った。」こういう思いが本心として真っ先にあったのであれば偽善ではないと思います。



●偽善のボランティアの例

では、偽善のボランティアってどんなものなのだろう。
ということでいくつか典型的な例をあげてみます。これらと比べれば自分は偽善者ではないと胸を張れると思います。


・企業がブランドのイメージアップの為だけに寄付をして、寄付したことをアピールして利益の回収を目指す。

・青年海外協力隊にいけば、その国のトップの人や、企業のお偉いさんとつながりができて途上国で起業してチャンスをつかみたい自分にとっては有利らしい。だから青年海外協力隊にいく。
(※青年海外協力隊は青少年の育成を目指すものでもあるので、ボランティア精神ないからといっていけないとかそういう事にはならないと思いますよ。)

・テレビでボランティアしてる人が称賛を浴びていた。自分もあんなに褒められたい。ボランティアしよう。

・あのボランティアサークルで自分の好きな人が活動しているらしい。自分もあのサークルでボランティアしよう。



●善と偽善の境目なんてそもそもない

善良であることを偽る事が偽善。

何が偽善で何が自己中心的なのか。そんなことは考えたらきりがありません。

だれもが認める普遍的な境目は存在しないのです。

人間は基本的に欲求をもち理性でコントロールして行動するだけのものですから、完全に無垢な善意なんて論理上成立しないことになります。



●自分の意志を持つことが大切

また、現場で働いている者から言わせていただくと、支援者の意志が偽善か善意かなんてどうでも良いのです。

1日1食で過ごす子供に差し出された食べ物がどういう経緯でもたらされたにせよ、命をつなぐ食べ物であることにかわりありません。

支援者の動機がどうであれ、その結果によって人の命が救われる事があるのです。

それに、よこしまな考えで行動を起こしたことをきっかけに、行動している内に本心から誰かを救いたいと動きだす人もいます。

とりあえず、偽善でもなんでもいいから、自分はこうしたいんだっていう自分の意志をはっきりさせておく事が重要です。



●なぜ海外の人達を支援するのか

国際協力で特に言われる事です。僕は幸いにも直接こんな事を言われた事ないですけど。

簡単に個人的な見解を示すと「衣、食、住、すべてにおいて日本の生活は海外からの輸入、海外の人達に頼っているのだから、国が違う事で線引きをするのはおかしい。」

より論理的に国際協力の意義とは、以下の3つに大分できると思います。

・道徳

いうまでもないので省きます。

・責任(義務)

かつて日本が他国から支援をうけていたように日本も他国へ支援しなければいけないという義務。グローバル社会を構築し、それを先導している先進国として社会的に弱い立場にある途上国を支援するべきという義務。また、日本は途上国から安価に物を買い取っており、それも貧困を導いているという事からの責任。


・外交(日本の為)

国際社会における日本という国が友好国をつくるという事。また、過去の謝罪という意味合いのもの。そして、貧困がテロや戦争、疫病につながるという点から、リスク回避という意味合いでの自国防衛という事。



●そもそもボランティアを勘違いしてる日本人

日本ではやたらとボランティアが美化されていたり、偽善の代表的なものになってしまっている感じがあります。

日本の文化としてボランティアというものがもともとなかったので少し歪んだ解釈がなされていることがあるのは仕方のないことなのかもしれません。

日本は社会の問題は町内会のようなところでみんなで解決しようと動き出すか、政府にまかせるのが一般的なことでした。ボランティアが一般的に普及するのは阪神淡路大震災以降です。(NPOは98年)


スウェーデンでは9割の人はなんらかのボランティア組織に属しており、平均して1か月で6時間ものボランティアを行っているというのです。

しかしながら、ボランティアとはそもそも「自主的に無償で社会に奉仕する活動」であり、偽善であってはいけないなんて事でもないです。

スウェーデンは国柄として組織づくりが盛んなので、組織に属しているから仲間の為に、仲間と一緒にする活動としてボランティアがあるだけだったりします。


チャリティで有名な国、開発学で最先端をいくイギリスでは、キャリア教育、市民教育としてのボランティアの位置づけがあります。義務教育でボランティアをちなみに、大学在籍中にイギリス人教諭にボランティアについて聞いてみたら、「なんだかわからないけどイギリスにいたらボランティアするけど日本にいたらしないね。」と言ってました。


そもそもボランティアを勘違いしてる日本人といっておいてなんですが、ボランティアの解釈、定義は国によっても違ったりするものです。

ただ、日本では少し歪んでとらえられてる事が多く感じられます。






このまま話を進めると、わけのわからないところまで話が飛んでしまいそうですね。とりあえず、ボランティアをやる理由なんかは偽善でもなんでもいいから、自分はこの活動がやりたいんだっていう自分の意志が重要なんだと思います。