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M.Tねっとわーく ==ワークショップ開催予定・日程==

*** 子どもの不登校・摂食障害を一緒に考えましょう。***
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びっくり2010.4.12の過去日記から



食事を一緒にするってことは、同じ時間、同じ空間、同じ食べ物を
シェアするってこと。

それって、同じ気持ちもシェアしてるってことなんだなって思うな。

  
母親なら自分の作った料理の中に愛情も入れてあったりするから、
拒食症でも子どもに自分が作った料理食べてもらえないと、
「少しぐらい食べてよ!」って思っちゃう。

拒食症になると命に危険が伴うから心配で食べて欲しいって思うのと

同時に食べれないって分かっていても、食べてくれないと自分の愛情を

拒否された みたいで虚しくなって、 どうにか子どもに食べさせようと、
あの手この手を母親なら使ってしまうよね。
   
私の場合は脅迫まがいの言葉を子どもに言ったりして・・・・・。


ここ反省。

ただ、今まで私が絶対しなかったことは、子どもにうそをつくこと。
   
一口でも食べてほしいって気持ちはあったけど、食べてもらうために、
料理に砂糖使ったのに、使ってないとか、
油使っちゃたのに使わなかったとか、
その他もろもろ・・・・うそはつかにようにしてきた。
  
 

うそだけは、つかないようにしようって、自分にいいきかせていたなぁ~。
  
私がうそついて子どもに 一口食べてもらうより、そのままの事実言って、
子どもが一口食べられない事を私は選んだなぁ~。
   
ガリガリの子どもを前に苦渋の選択だけど、私の場合はうそは子どもに
すぐに見抜かれるって思った。

 

私が子どもと築きたかったのは「絶対に裏切らない信頼」・・・・


だから、うそはつかないって決めたし、
言葉と心はいつも一致した状態にしておこうって思った。

言葉と心を同じにするために私がしてきたことは、
たくさんの価値観を自分自身が身につけること。
   
 

たったひとつの価値観でものごと判断してしまうと、
私にとっても子どもにとっても窮屈だし、私の性格上すぐ批判しちゃう。
  
 

お互いいろんな価値観持っていたほうが、お互いがいろんなこと

知ることができて人生が楽しくなるって思いもあったし,
  

いろんな価値観でものごとこらえる事によって、

[あ~それもありだよね]
                って言葉を心から言えるようになるし。

   

     
   
   

♪人はどんなに一生懸命相手の話しを聴こうって思っても

100%その話しに集中する事はできなくて、頭の片隅で違う

事を考えてしまう。


相手の話しに「なるほど~」ってうなずきながらも

「今日の夕飯なんにしようかな~」なんて・・・ね。


私も頭の隅っこで、違うこと考えているひとり・・・。


最近、人のお話し聴かせて頂く時に私が思ってることは、

「この人の本質ってなんだろう」って思いながら聴いている。


人って誰でも「本質」っていう、その人しか持ってない素晴しい

ものがあるって思う。


ただその本質は、純粋で無垢で傷つきやすい。


ひとりひとり持っている素晴しさ「本質」が壊れてしまうと人は

生きていけない。


だから、守ろうとする。


守るために、「本質」の周りにたくさんの鎧をつけていく。


たくさんの鎧をつける事によって「本質」が見えなくなっちゃう。

自分でも「本質」の周りにつけた鎧こそが自分自身だって

錯覚してしまう。


親に逆らえない子は「いい子」という鎧を身に着ける。


でもこの「いい子」という鎧は重すぎて、自由に動く事ができない。


自由に動きたいなら鎧を脱いでしまえばいいけれど、

鎧を脱いだ自分でも、親や友達や世の中は受け入れて

くれるのか自信がない。


鎧を脱いでしまえば、必ずその人だけが持っている

「本質」が出てるくるのに・・・。


鎧がなくてもピンで立っていられるように、「本質」に磨きを

かけないと、なかなか鎧を脱ぎ捨てる勇気はわいて来ない。


「本質」に磨きをかけるには、今自分が出来てる事に気が付く事

かなって思う。


どんなに小さなことでも、今できてること。


息すったり、吐いたりできる。

「おはよう」って挨拶できる。

歯を磨く,等等。


私は

本質=本来の本人だと思っている。


本来の本人(本質)+病(摂食障害)=今の本人・・・って考えてきた。


本来の本人と病を別々に捉えないで、今の本人に目を向けて

しまうと、家族は本人に振り回されているように感じてしまう

時があるかなぁ~。



「この子の本質ってどんなところだろう・・・・。この子ってどんな素晴しい

ところもっているんだろぅ」って思って丁寧に接していくと、

今まで知らなかった本来の本人を見ることが出来て、

ワクワク感味わえますよ。



イモ虫ホント毎日毎日が怒涛のようだった。
 
 我が家は2パターン。
 
 長女は、どんな状態でも学校行ってた。
 寒いから夏でも制服の上に分厚いセーター着て、

 その上にジャージはおって。

 私はいっつも携帯を肌身離さず持って仕事してた。
 駅、警察、病院、学校、、、、、どっから電話が架かるかわからない。
 
 今日も一日無事に帰って来てくれますように、、、って祈りながら、

 娘の帰りを待つ。

 たまに落ち込みが激しくて学校行けない日もあった。
 ベットで寝てる、その姿がぺったんこ過ぎて人の型してなくて、

 息してるか何回確認したことか。

 「高校卒業」というこの二文字に奔走させられた日々。

 次女は、行くの行かないのの毎日。
 まだ摂食障害じゃなかったから、体力的には心配なかったけど、

 かばんにいつもカッター入ってた。
 気分の浮き沈みていうより、、、、いつも沈んだ状態。


 次女が笑う姿なんて二度と見られないと思ってた。


 電車に飛び込んじゃったら、、、、、なんて考えたこともあった。

 だから、次女が高校辞めたときは、正直ホッとしたのを今でも覚えてる。

 

 これでやっと私も「学校」というモンスターから解放してもらえるって思った。

 それに反して、学校辞めてからの次女の自己否定感はすごかったと思う。
 
 それじゃなくても次女は自己嫌悪の塊なのに、学校辞めたことで
 追い討ちかけられたかたちになってしまって。

 それからはプチ引きこもりしたり、ちょこっとバイトしたりしてる内、

 摂食障害になっちゃって。

 学校ってなんなんだろう、、、、、、。
 今息子が高校生になって、娘ふたりの高校時代を思い返してみる。
 
 娘ふたりの学校は私立、校則も厳しかった、携帯ダメ、ルーズソックス禁止、
 バイトだめ、スカートひざ上〇センチ。

 息子の学校は授業中も携帯オーケー、昼休みラーメン屋、

 ファミレス行ってもオーケー。
 私服だから大学生にも見えるんだわ。
 学校のモットーは「自主自立」
 
 自由が良いわけではないけれど、校則がないからこそ息子の学校は

 生徒たちが自分達で規律を 自主的に守ってるって感じがする。

 本来学校ってひとり、ひとりのいいところ探しの場所なんじゃないのかな

 って思う。
 
 それがいつの間にか、人を蹴落としてまで前にでることや、
 競争して勝つことが大切なんだってなこと教え込む場所になっちゃった

 感じがする。

 みんな仲良くっていいながら、仲良く出来ないような状況作ってる。
 個性尊重しましょうっていいながら、出る釘は打たれる。

 学校の教師だけの問題じゃなくて私たち保護者も、みんなで学校ってところ

 を考えるきっかけを不登校の子どもたちは教えてくれているように感じる。
 

 これは2010,5,12の日記です。

 

 これから少しずつ過去の日記をアップさせていただきます。

 自分の日記をジャンル別に分けたかったのでアメブロにしたという経緯があるので、

 もう読んだし・・・って方はスルーして下さい。


 よろしくお願いいたします。

!!!!!!昨日の出来事


今まで後援してもらっていたプログラムの後援申請に行ったら

担当者が変わって、マッタがかかた。


いろいろ話ししたけど埒があかない・・・・・。


団体の規約が・・・・。


団体の概要説明が・・・。


だって今まで後援してくれてたじゃない?

なんで担当者が変わったら、あ~だこ~だ言われなくちゃならないの?


面倒だなぁ~。


ってことで、申請取り消しちゃった。


申請って市民の為にある制度でしょう・・・あ~だこ~だ言って

申請させないようにするなら、申請なんかしないからいいよ~。


私の中の天邪鬼出現。


今日は息子の学年&クラス懇談会。


遠足や修学旅行の話しなんかもあったけど、メインは進路。


3年生になったら、理系か文系かの選択をしなくちゃならないのだそうです。


理系からだったか、文系からだったか忘れちゃったけど進路変更すると

地獄ですよって・・・。


それが今の日本では当たり前なのかもしれないけれど、16や17歳で

やりたいこと決めて、進路決めなさいって言われたってねぇ、無理でしょ。


なにも地獄って言わなくても・・・それ脅しジャン。


ちっちゃな天邪鬼出現。


クラスでは、

「勉強しないんです」って悩みがあちこちから・・・・。


出来るかぎりの有名な大学に子どもを入れるため一生懸命勉強

させようとしたり、塾に通わせたり、私も子どもが不登校になったり、

摂食障害になったりしなかったら、今日出会った学校でのお母さんたち

のようなこと言ってたんだろうな。


毎日学校行ってることは当たり前じゃない、学校行ってくれてるだけで満足。

勉強だの進路だの、その時考えれば大丈夫、進路変更したって

地獄にはならないよ~。


またまた天邪鬼出現。


なんかねぇ~心の中がザワザワするので日記書かせてもらいました。


よくありがちな「勉強させるには・・・」の会話をなんの疑問も持たずに

するお母さんたちが羨ましかったのかな?


確かに羨ましさはあると思うけれど、疲れもするかな~。


「勉強しなさい」って言い続けるわけでしょう。


子どもなんて「勉強しなさい」って言ってする子なんていないし、

素直に勉強する子がいたら、それこそ問題だと思う。


王道を行く(?)人生と今まで私が辿ってきた人生とどっち選ぶって

言われたら、たいへんだけど面白さもある今の人生また選ぶかな。


やっぱり私は天邪鬼?




ガチャピン前世や過去世を信じますか?


私は100%信じてるわけじゃないけれど、おもしろいなって思う。


今この世に生きているのは、自分に課された課題を乗り越える為。


それって、今自分が悩んでいることを前向きに捉える事ができる

って思う。


私は、また生まれてきたときに、この課題にまた悩むのはいや

だから、ちょっと私なりに頑張ってみようかなって思える。


10年位前に言われた、私の過去世は、水夫。


嵐の夜にひとりで甲板でマストを直していて、海に落ちで溺死

してしまう。

その当時、私は水が怖かったから、この過去世に納得。


水の中で苦しんだ私・・・・かわいそう。


もうひとりは、貧しい家の主婦で、ダンナが道楽者で苦労の連続。

最後には、自ら命をたってしまう。


ん~、これも遠からず当たってるかも・・・・・。


ダンナの部分じゃなくて、当時私は母か私がいなくなるしか、この

苦しみから逃れられないって思っていたから・・・なるほどって納得。


その後も何回となく、私の過去世を教えてもらう機会があって、

その度に「なるほど~」って思った。


昨日久しぶりに、私の過去世について教えてもらうことになった。


私の前に、ダンナの過去世。


彼はいつもだいたい同じ・・・・お坊さん。


今回もお坊さん、で、前に言われたお坊さんは檀家とお布施のことで

トラブルがあったお坊さん。


お坊さんだから、「人はどう生きていくべきなのか」の考えはしっかり

分かっているんだそうです。


今世で初めて家族を持って、お坊さんの時に学んだ「人として」の考えを

実践しているのだそうで、かつて学んだものと実践とのギャップを知ることが

今世の課題なんだそうです。


では、私は・・・・。


今回は、三つあみした家族の為に家事全般引き受けてるアメリカ辺りの女の子。


その時家事やりすぎて、もう充分やったから、今家事が嫌いなんだそうです。


すっごく、納得。  嫌いなの仕方なかったんだ~。


私も過去世いろいろ言われてきたけれど、共通して言われる事は、

のどのチャクラが開いてないってこと。


言いたい事いえない、言いたい事うまく相手に伝えられない。


自分が言いたい事が詰まっているから、チャクラが開かない。


「相手も自分も傷つかない方法で自分を表現すること」が私の課題。


自分でも課題は分かっているんだけれど、むずかしい。


Jin先生、神は乗り越えられない試練を与えないんですよね。


どうやってこの試練を乗り越えていけばいいんでありんすか?