人はどんなに一生懸命相手の話しを聴こうって思っても
100%その話しに集中する事はできなくて、頭の片隅で違う
事を考えてしまう。
相手の話しに「なるほど~」ってうなずきながらも
「今日の夕飯なんにしようかな~」なんて・・・ね。
私も頭の隅っこで、違うこと考えているひとり・・・。
最近、人のお話し聴かせて頂く時に私が思ってることは、
「この人の本質ってなんだろう」って思いながら聴いている。
人って誰でも「本質」っていう、その人しか持ってない素晴しい
ものがあるって思う。
ただその本質は、純粋で無垢で傷つきやすい。
ひとりひとり持っている素晴しさ「本質」が壊れてしまうと人は
生きていけない。
だから、守ろうとする。
守るために、「本質」の周りにたくさんの鎧をつけていく。
たくさんの鎧をつける事によって「本質」が見えなくなっちゃう。
自分でも「本質」の周りにつけた鎧こそが自分自身だって
錯覚してしまう。
親に逆らえない子は「いい子」という鎧を身に着ける。
でもこの「いい子」という鎧は重すぎて、自由に動く事ができない。
自由に動きたいなら鎧を脱いでしまえばいいけれど、
鎧を脱いだ自分でも、親や友達や世の中は受け入れて
くれるのか自信がない。
鎧を脱いでしまえば、必ずその人だけが持っている
「本質」が出てるくるのに・・・。
鎧がなくてもピンで立っていられるように、「本質」に磨きを
かけないと、なかなか鎧を脱ぎ捨てる勇気はわいて来ない。
「本質」に磨きをかけるには、今自分が出来てる事に気が付く事
かなって思う。
どんなに小さなことでも、今できてること。
息すったり、吐いたりできる。
「おはよう」って挨拶できる。
歯を磨く,等等。
私は
本質=本来の本人だと思っている。
本来の本人(本質)+病(摂食障害)=今の本人・・・って考えてきた。
本来の本人と病を別々に捉えないで、今の本人に目を向けて
しまうと、家族は本人に振り回されているように感じてしまう
時があるかなぁ~。
「この子の本質ってどんなところだろう・・・・。この子ってどんな素晴しい
ところもっているんだろぅ」って思って丁寧に接していくと、
今まで知らなかった本来の本人を見ることが出来て、
ワクワク感味わえますよ。