みなさま、こんにちは!
今日はどうやらサーバーの整備があったらしく、やっとネットがつながりました。
遅めの記事更新、恐縮でございます。
さて、今日もむしむし〜っと夏さんが頑張っておられるようでございます。
「おられるようでございます」と他人事的な口調なのは、3日間食べ物の買い出しで1回外に出ただけで、家の中に引きこもりをしているから
昼ご飯食べて、ほっとコーヒーを飲みながら、最近経験した患者さんとそのご家族のことを考えていました。
治療がうまくいくケースというのをみていると、家族が健全に機能しているんです。
どういうことかというと、もともと家族のメンバーが患者さんを信頼しているんですね。
というのも、やはり、メンタルの不調ということで、病気の症状で患者さんが家庭内で暴言や暴力的行為に出ることがあるんです。
信頼関係ができている家族であれば、「病気だったのだから」と受け入れることができるのですが、そうでない家族だと、そこから一気にほころびが出始めるんですね。
表面上うまくいっているような家族でも、内側で機能不全が起こっていると患者さんの発病と共にそれまでの膿が一気に吹き出すんです。
そして、「退院してきてもらっては困る」という話になるんです。例えば、
少なくとも入院時よりも病気が良くなったから退院するのですが、
「完璧に治るまで入院させてほしい」
とか、
「再発のリスクがあるようでは退院してもらっては困る」みたいなケースです。
確かに昔の精神科といえば、鉄格子があって、一度入ったらなかなか出られないイメージがありました。
でも今はたくさんの良い治療法があり、比較的早い段階で病気がよくなることが多くなっています。
また、国の方針もあって、なるべく短期間で退院していただき、地域と連携しての外来診療に移行していただけるよう、病院側の私たちも日々努力しています。
そんな中、一番のネックが実は「家族」なんですね。
「完璧に」とか「再発のリスクゼロ」などと患者さんに求めるのって、ちょっと酷だと思うのです。
特に初回の発症であればなおのこと、入院を機会にもう一度家族のあり方を見直してほしいな、と私は思うのです。
それで、思い出しました。
『論語』の中に、こんな場面があります。
互郷難與言。童子見。門人惑。
子曰、與其進也。不與其退也。
唯何甚。人絜己以進、與其絜也。
不保其往也。
ーー『論語』述而第七
互郷という村の人たちは、お話にならないほど風俗が悪かった。ある時、その村の少年が孔子先生にに入門をお願いして許されたので、門人たちの間に動揺が走った。
すると、孔子先生はこう言われた。
せっかく道を求めてやって来たのだから、快く迎えてやってはくれまいか。みなで追い出すようなことがないようにしてやりたいものだ。
君たちのように、そんなに厳しいことをいうものではないよ。もしも誰かが少しでも自分を良くしたい、みがきたいという高いこころざしでやってきたのなら、そのこころざしをくんでやればいいのだよ。
過去のことにいつまでもこだわる必要はないのだから。
それとね、そういう家族に限って、本人の前で出てくる言葉が建て前やきれいごとが多いです。
面会などでもいい顔をしている。
「早く良くなって。みんな待っているよ」などとにこやかに話しているのです。
そして、後になって主治医を訪ねてきて、「入院前がひどかったので、やっぱりうちに帰ってきてもらっては困ります。家族はみんなそう思ってます」のようなお話になります。
でも、さっき「みんな待っている」って言っていたのでは?・・・。
ご家族のみなさま。
お願いします。
患者さんをもっと信頼してあげてください。
あと、表の顔と裏の顔、言ってることと実際の行動が違うのも患者さんの不信感を増して、家族との溝が深まってしまうことを考慮してください。
患者さんにとって一番大切なのは、「信頼感」そして「誠実さ」という軸での一貫性です。
中国哲学的には、患者さん個人が病気になったというよりも、「家族を代表して病気を引き受けた」部分があることをどうか忘れずにいてあげてください。