みなさま、こんにちは!

 

木曜日夜からネトフリで韓国ドラマ「작은 아씨들〜小さなお嬢さんたち(日本語タイトル:シスターズ)」をイッキ見しちゃいました↓

 

 

韓国ドラマはお金、愛憎をめぐる感情の炙り出しかたがはっきりしているのが特徴です。

 

まず欠かせないのが財閥のトップだとか権力者。

弁護士とか検事、判事が、大統領の座を狙ってまずはソウル市長に立候補、みたいなイメージです。

 

そして華やかで清潔な表の顔とは対照的に、裏ではあらゆる悪事に手を染めているという設定もはずせません。

 

その陰で彼らの悪行に屈せず、純粋で正義感の強い主人公が数々の困難を乗り越え、最後に大逆転というテンプレート通りに物語は進んでいきます。

 

 

登場人物に感情移入しながらも、最後にスカッとドラマが終わるので、心理学的な「カタルシス(浄化)効果」が結構あるんじゃないかと思っています。

 

 

 

ちょっとだけネタバレになってしまいますが、ドラマではシンガポールが重要な役割をになっていて、ボートキーやラッフルズプレイス、フラートンホテルなどが何度も登場します。

 

 

そこは、私にとってもなつかしい場所。

 

でも、シンガポールで働いていた時は無我夢中すぎてあまり生活を楽しむゆとりがなかったのも事実。

なんだかちょっと切ない気持ちになります。

 

この曲は、そんな私の気持ちに近いかも↓

 

 

 

 

またまた前置きが長くなってしまいましたが、韓国ドラマって、つくづく荘子のこの世界観だと思います。

 

古之所謂得志者,非軒冕之謂也,謂其無以益其樂而已矣。

今之所謂得志者,軒冕之謂也。
軒冕在身,非性命也,物之當来,寄者也。
寄之,其來不可圉,其去不可止。
故不為軒冕肆志,不為窮約趨俗,其樂彼與此同,故無憂而已矣。
今寄去則不樂,由是觀之,雖樂,未嘗不荒也。故曰:喪己於物,失性於俗者,謂之倒置之民。
 
ーー『荘子』繕性第十六
 
 
昔、志をとげるという意味は,高位高官に就くことをいうのではなかった。本来の性状を保ち、それ以上楽しみを加える必要がないことをいうだけだった。
今の時代、志の実現というと,高位高官に就くことをいう。
 
高位高官に就くことは,本来宇宙のことわりにはないもので,外界の物がふってきて,しばらくの間だけ自分に付与されたものである。
自分にふってきたものであるから,それがくるのもが去ることをも止めることはできない。
だから昔は、高位高官に就いたからといって勝手気ままに振る舞うこともないし,貧困にあえぐことがあっても卑屈になることもなかった。
昔の聖人のその楽しみは、高位高官に就いてもつかなくても同じく楽しみだったのである。だから悩みもなかっただけなのだ。
 
今の人は地位や権力が一度でも自分から去ってしまうこととなれば、鬱々として悩んでしまう。
こう考えてみると、地位や名誉を得て得意になることが楽しみであるならば、それは永続する楽しみとはいえない。
それはまさにこんなことではないだろうか。
外側の条件に左右されて自己を見失い,世間のあり方に偏りすぎて本性を無くしてしまった人たち。こういう人を”倒置の民(さか立ちした民)”というのである。 
 
 
うむむ。
荘子の世界からすでに2000年以上経っていますが、いまだに私たちは「さか立ちした民」なんですね。
 
 
それにしても来年にはシンガポールへ知人たちを訪ねにいきたいものです。