メリー・クリスマス

やっとクリスマスパーティーを終えました。

病院行って、
株主優待でお寿司をもらってきて、
約束通りドミノピザを買ってきて、
ケーキも株主優待のものをもらってきて、


いつもは手作りクリスマスに徹してるけど、今回はサラダ以外手作りなしの楽ちんクリスマス。
4人で1.5万円のクリスマス。(実際の出費は4000円…指差し



「お母さんいつもたいへんだから、今日は休んで!」

というみんなの声に甘えてできあいもののクリスマス。

「ま、味はこんなもんだよね。」と言われましたが、でも行列並んでお寿司を受け取りに行ったり、世間のクリスマスの雰囲気も子どもたちに味わってもらえて
それはそれで良かった。

でもドミノ・ピザさんで「買ってきた」ピザ、
何でドミノ?と子どもたちにも聞かれたけど、

里親里子の親子を応援してくれてたんだよ。前に無料ピザの話あったの話したよね。頼まなかったけどさ。それが嬉しくてね、せめてものありがとうの気持ちで、ピザはドミノを買ってあげようかなって思ったんだ。

子どもたちからも「それ、わかる!それにめちゃ美味しいし。来年からもドミノ取っていい?」と思わぬ感想。


サンタさんのことは施設の職員さんだと知ってる子どもたちにサンタさんがいるなんて話は通じないので、今回はサンタさんにオンラインで発注しました。

ファッション大好きな上の子はWEGOさんのプルオーバーやパンツなど大好きな洋服をチョイス。

下の子は友達も誰もやりたがらないニッチなSwitchのゲーム。

受験の合間に上の子とファッションチェックを楽しみました。
そして、スパークリングワインをゲコの夫を横に一人で空けてました。

今ベロンベロンです。

でも、子どもたちの笑顔に包まれながら過ごすクリスマスは、最高に温かいです。

発達障害だの、非行だの、受験だの、大変な一年にだったけど…
いや、もうこんなバタバタが数年続いてるけど、それもこれも全部ひっくるめて幸せ。子育てなんて諦らめてたあたしに、こういう温かい時間をくれたのはこの子たち。

お説教に悪態吐いたり文句垂れながらも、幸せそうに一緒にご馳走食べて嬉しそうにプレゼントを開けて、そういう姿を見てると心から安心する。ありきたりだけど、この子たちの笑顔が何よりのクリスマスプレゼント。そんな親の気持ちがわかる年頃。





冬休みに、年末の準備、受験と、バタバタしてるので更新がうまくできないかと思いますが、楽しくやってます。
年末までにまた更新はしようと思ってます。

というわけで、みなみなさま、楽しいクリスマスをお過ごしください。



11月、来ることがわかっていた子どもたちにとって大きな壁がいよいよ来た。
すごく難しい問題。書けないけど。

そして、それに付随してもう一つの問題が同時に動き出すことを、私達もこの前思い出した。詳しくは書けないけど…

児相と面談するタイミングで相談してみた。もうすでに担当者が4回も変わってるから仕方ないんだけど、児相のワーカーさんも全く知らない話になってしまっていた。


児童養護施設のあるある、世間的には豆知識だけど、児童養護施設はキリスト教系の施設が多い。理由は、第二次大戦の戦後処理。戦争で親を失った子どもたちを救済するために、GHQによって児童養護政策は行われた。その時に、その窓口や支援の現場として指定され物資が配られたのがキリスト教の教会だったと言われている。西洋人の慈悲の深さはその文化の根底にあるキリスト教だと言いたいのだろう。アメリカ文化の入り口としてのキリスト教を利用したという小憎らしい現実はあれど、それ故に確かに救われた命があることもまた事実。憎むべきか感謝するべきか当たり前か、そのあたりは個々人の感覚に任せるとして、とにかく日本の児童養護施設がキリスト教系のルーツをもつ理由はわかりやすい。

子どもたちのいた施設もまたキリスト教系のルーツをもち、今は宗教とは分離しながらも、そのルーツの教会のご厚意で様々な面で加護に預かりながら育ってきた。子どもたちを本当に良くしていただいていたので、私としても感謝しかない。

ただ、難しい…子どもたちのルーツはザ・仏教なんです。先祖代々仏教。私もまた浄土真宗のルーツをもっている。私の信仰心なんて人並みに何も無い。けど、みなさんもご理解いただけると思いますが、宗教行事って信仰心と関係なく何かと日常にあったり、文化や風俗そのものだったりしますよね。だからこそ子どもたちにも、自分たちのルーツを知るために実親さんのご先祖様から続く宗派の勉強もしようと思ったんです。信仰させようではなく、先祖代々の文化としての仏教を。

そしたら、子どもたちの反応は「自分たちはキリスト教しか知らないからなんか…」と拒否感があったんです。でも、今回の問題で彼らの宗教観を確かめないといけなくなるのではないかと。

子どもたちの先祖のために宗教教育をするのか。子どもたちの自然に身につけた信仰心を大人が変えさせて良いのか。憲法の自由に抵触する問題。私達里親レベルで触れる話ではない。しかし、訳あって先祖も関わる宗教的な判断をこの子達が下さなければならない。そんなことができるのだろうか。でも児相が内申の自由を制限するはずがない。できるわけがない。

関係するご先祖様の思いを忖度すると答えは一つしかないんだけど、誰一人大人が答えを出せない。出すことができない。亡くなった方の人権なんてという意見もわかる。亡くなった方の信仰に対する尊厳も踏みにじってはいけないという意見もわかる。ただ、聖書もお経も知らない15歳の若者が全部含めて宗教的な決断をしなければならないなんて、こんなことあっていいの?と思うけど、如何せんこれが現実…。こんなの答え出せるの?出せるわけがないじゃない。

うーん、むずかしい…
素直に仏教を受け入れてくれたら楽だったのに。
ま、騒いでも現実はコレだ…

さぁ、児相はどんな意見をまとめてくるか…
とにかく返答をまつのみ。
歌音さんの話、わたしは共感するな。


「元男の子」コミュニティに属したくない思い。
傷の舐め合い。被差別意識のエコーチェンバー。
何よりも“女性”研究は熱心なんだけど、男性目線ばかり。
女性として社会で生きるための内面はあまり意識されない。

みんな美意識は高いよね。キレイの研究。
女性より女性らしいなんてよく言われる人多いけど、
女性の色気を研究してるからね。

でも、そこじゃないのよ。
美への憧れって女性にもあるし、そういう意味でニューハーフの男性なのにキレイっていう女性から愛でたくなる対象としてのニーズはもともとあった。恋愛対象も男性である点で共感できる。そういう思いに共感できる女性の感性がニューハーフのことを差別なく認められる理由だと思う。

でも、あくまでも「男性なのに」がついてくると思う。だって、共通するのは「美意識」にすぎず、恋愛の相手にすぎず、女性のコミュニティの大きな価値観は共有していない。

世間では女性目線、女性の声、女性の感性というものが重宝されている。性別で差がないのであればこんなニーズはない。女性コミュニティには女性特有の何かがある。その点に気付いていない当事者は多い。美意識の価値観で打ち解けても、人間として理解し合えても、殊集団としての女性コミュニティから見たときに私達は異物となる。

この外見ではない内面の女性らしさ。私はまだまだ少ない。遺伝子的なものなのか、三つ子の魂なのかはわからないけど、正直ちょっとやそっとじゃ直せない。でも、多くのトランスジェンダーさんよりはマシになったと思う。実際に女性コミュニティに属して女性のコミュニティのマナーは最低限守れるようにしてる。

そう言ってる時点で、やっぱり真の女性ではないと自覚してる。
女性を演じているだけなのかもしれない。でも、母親をやっていく中で、ドロドロなママ友・主婦友の輪の中で磨かれて来たとは思う。リアルを見ること、真似ることの大切さ。

そういう意味で歌音さんの努力は私はすごいと思う。
ゴリラが今の可愛い姿になることに、当事者は“仲間として”羨望の念を抱く。
でも、本人はそこが女性らしさではないことに気付き、磨くべきものを磨いている自負がある。
当事者は、病気のお陰で可愛くなれたんだと“仲間の裏切”を恨み、やはり外見で嫉妬する。

なぜ、当事者は中身に意識が行かないのか。
なぜ、当事者は外見にばかり執着するのか。

はっきり言って、それがその人の限界だと思う。
人の気持ちにより添えない。共感できない。
苦しんでいる彼女のことに共感すらできないで、
自分たちの苦しみに共感しろとか、差別だとか。

元男の子って自称するのはビジネスの問題だから難しいけど、あたしは好きじゃない。正直…。
けど、彼女の女性として生きる覚悟、身につけた感性、あたしは本物だと思う。そういう思いは私も学ぶところだし、当事者こそ大切にしなきゃいけない価値観だと共感する。真に女性からの受け入れてもらえるのはそういう人だと思う。
女性の文化を尊重し、それにどっぷり身を置く覚悟なしに、女性に受け入れられるわけがない。

外国人が日本の風土、食、芸術、もてなしが好きだと旅行に来て、一方神社で暴れてゴミをポイ捨てして道路のど真ん中で撮影するなど、嫌われる行為をするようなもの。日本のことなんでも知ってる、ニホン通、私の中にはニホンジンの遺伝子が〜みたいなもん。

そんなものおもてなしをするお客様なら構わないけど、深くまでは来てほしくない。女性のコミュニティからは締め出される。
外見の女性らしさではない。内面こそ女性の核。

男性恐怖症の女友達からも言われたよ。

ニューハーフって所詮男だ。
美意識はすごい。きれい。
だから男性よりは付き合いやすいかと思ったけど、
結局中身は男性なんだってかんじちゃう。
話し方、所作がやっぱり男の人よね。
女性だというなら何でそういうところ気をつけないかな。
友達としてはいやじゃないけどね。


その意味を女性は多分理解できる。
当事者は、真に理解できない。


だからこそ大切なのは女性としての躾と経験。
丁度今日、誕生日だというこの子、よったん。

しってるYou Tuberさんから覚えている限りで引用してるだけなんだけど、お母さんから沢山学んでくれると思う。社会でちゃんと揉まれてさ。しっかり女の先輩たちにもまれて磨かれていってね。お母様、女の子教育よろしくお願いいたします。
ずっと応援してます。おめでとう。


最近多い、早い頃から女の子に囲まれて女の子として生きてる子。こういう子たちには本当に期待してる。生まれながらに男は男なのかわかる。女性的感性は環境由来なのか、遺伝子由来なのか。環境由来だとして、逆に女の子として普通に育てたこういうい子達が、反トランスジェンダーの流れに巻き込まれないで済むようにしてあげたい。


多くの当事者は思うだろう。クラインフェルターとか、もともと美人だとか、カミングアウトしやすい環境だとか。そんなの人との違いを見つけてやる妬み僻みやっかみ。トランスジェンダーは足並み揃えて権利獲得ってやってたら、「非女性の男性が団結して女性の社会の秩序をぶち壊しに来た。そんな女性の価値観が古臭くて男性の価値観を受け入れろ?」って思われるのは関の山。

私は真似しても簡単には真似できないでまだまだ難儀していますし、ドロドロも中にいてキツイ。でも、それでも女性の社会の価値感のほうがいい。内面としても女性としては不完全だからこそ謙虚でいたいと思う。


女性同士でも胸のことは時に意識してるだろうけど、だからといって男の娘も女性の胸に意識がいっても構わないとは思わない。関係性ができてない人からジロジロ見られたり指摘されたり、そこにだけ注目されて公衆浴場に侵入されたら女性は嫌に決まってる。デリカシーがなさすぎる。男でも嫌でしょ。女子が入ってきてサイズチェックとか、どーよ。男子でも嫌だろうに、まして女子だよ?女子の性差に対する苦労の何も意識できないで女子ヅラするな!ちょーキレイなのに大股開いて下ネタ言うようなニューハーフと同じ。

「そういう人の生き方は尊重するけど、美意識は尊敬するけど、女性としてコミュニティに入ってこないでほしい」そう表現する女性の気持ちを当事者はもっと意識してほしい。そこに意識がいかないから、そういう自分を悪いと思えないからこそ、女性らしい外見への憧れにすぎないからこそトランスジェンダーは‘癖’だと断じられるんだ。

癖を押し付けられても「勝手にやってて、巻き込まないで」それが普通の反応だろう。どういう生き方をするのかは自由だし、それは尊重する。けれど、公共の福祉に反する自由は制限される。“元男の子”界隈の価値観が当たり前になってはいけない。界隈の価値観は「女性になりたい」と願っている人、つまり女性ではない人たちの価値感。励まし合うことがあってもいい。けど、そんな人たちが寄り集まって権利を主張してもしかたない。

私の経験上、トランスジェンダーの差別を減らすのに役立つのは当事者が権利の主張をやめることだと思う。
議員になっても意味はない。知名度高めたり芸能人になるのもあり、経営者になって差別しない会社作ってもトランスジェンダーを盾にするばかりで、節度をわきまえなければ潰される。
ネットで情報発信するにも何を発信するか。旧来の考えを否定した先に幸せがあると思っているのは自分勝手。壊された価値観の中で幸せに暮らす人は古臭い既得権者だというのか。そういう活動家こそ女性を差別しているようにしか見えない。女性を名乗る人が、女性の文化を理解しようとせず、男性世界の価値観で女性社会に侵入し、女性が守りの権利を主張することを差別的だと言う。まったくもってちんぷんかんぷん。あべこべなのよ。

私は女性の権利こそ守られるべきだと思う。女性として生きさせてもらって、女性の不安を共感してる。女性の大変さも世間からの見られ方も体感してる。女性の権利は守りたい。元男という属性はあるけど、やっぱり奪っちゃいけないって。

今の女性という地位を奪われたくはないし、何とか折衷案が見つかればいいなって心から思ってるけど、今の活動家がどんどん強硬になっていったとして、あたしは当事者として男認定されたとしても女性の権利を守る。ウーマンリブの人たちからも所詮男って罵られるけどさ。そのくらい必死に守ろうとする彼女たちの気持ちあたしはわかるよ。そのためなら私は女性としての社会的地位は捨てても構わない。でも、きっと私の友達はあたしを女友だち、大変な育児を共に乗り越えたママ友だって認めてくれる。それがあたしの中の自己実現。戸籍も何もいらない。あたしはあたし。それでいい。

その上で言いたい。女性の権利を土足で踏み荒らすことは絶対に違う。そんなものトランスジェンダーの権利でもなんでもない。

何度も言うけど美意識だけが女性ではない。差別されているから守られるべきだという固定観念も要らない。女性として生きるってどういうことなのか、等身大の女性からしか学べない。トランスジェンダーの先輩なんか見ていても仕方ない。生き方として憧れの女性を見つけるべき。
私の場合は、祖母、母親、先輩里親さん、ママ友、恩師、親友、幼少期に仲良くしてもらった近所のお姉さん、元カノ。かっこいいな、素敵だな、愛らしいな。いろんな憧れを抱いて、そんな魅力的な女性になりたいなってのが原動力。女性の魅力は見た目だけじゃない、内面の美しさ、生き方の選択だと思う。

権利じゃない、見た目でもない、どんな人になりたいか。その世界観を共有すること。女性のコミュニケーション、価値基準、人生観、恋愛観。それを自分の世界の自分の選択肢として理解することがスタート。それが難しいんだけどね。だからこそ思春期から女の子として友達と感覚を共有できた若い子たちは強い理由なんだと思う。若い頃からホルモンをすることではない。見た目が可愛いとかインフルエンサーだとか、ホルモンが効きやすいとか、そんなことでない。“女性”という心に自らを近づけられるかに重きをおいたトランスをしてほしい。ホルモンの限界や時間的な問題、そのあたりはもう情報があるんだから。夢を見るのもいい加減にしたらいい。いつまでも夢見る少女だから、現実が見えなくなってる。リアルな女性はリアルに生きてるから。リアルな年齢や実力と向かい合わなきゃ。その上で自分の目標を定めて行動する。

もう殴り書きしてるから意味わかんなくなってきたけど、とにかく現実と向かい合って生きること。そして、女性のリアルを共有すること。それなしに価値観だけ破壊しにいっても受け入れられるわけがない。女性になりたいのか、女性の価値観を自分たちで上塗りしていきたいのか。LGBT、被差別だといえば女性を意のままに従わせられるって思ったら大間違い。女性にも人権はある。私達マイノリティにも人権はあるけど、他人の人権を尊重できないで自分の人権を主張する権利はない。双方を見て初めて折衷案を出せる可能性があると思う。自分たちがそれをできなくて、他人に求めるのも筋違い。いい加減やめよう。こんな哀しい争いは。

 トランスジェンダー界隈、極力関わってこなかった私ですが、最近の社会の深くでくすぶる不満を見てからは少しは情報を入れるようにしております。でも、みててやっぱり苦しい。切ない。少し心を病みかけておりました。


そんな最中、子どもたちがあたしの作った唐揚げを食べて


「うぅっわ!マジ神!お母さんの唐揚げしか勝たん!お母さん、からあげ屋やったら?!これなら韓国でも勝てるよ!マジ美味い!やっぱりお母さんのからあげが一番だわ」


と大喜びで食べてくれました。3ヶ月ぶりくらいのお手製醤油からあげ。一度人気店の唐揚げを食べさせたけど、高いくせに美味しくないと不評。そして満を持して作ったんですが…


子どもたちも主人も喜んでくれるから良いんだけどね、油臭くなったり、処理面倒くさかったり、何よりカロリーヤバいじゃん。あんまり作りたくない…でも、ここまで喜ばれると嫌な気持ち吹っ飛びました。


ありがとう。



今更私感を書いても仕方ないし、思ってたならもっと早く警鐘しろとのお叱りはごもっとも。後出しジャンケンです。ですが、あえて、思うことを書きたいです。


 彼女の公衆浴場利用に絡む動画での発言の数々、あれは本当に下劣。言葉に出すのも憚られる。ああいうふうに考えることにも共感できない。それを公衆の門前でもあるSNSで発信することにも怒りを覚える。性同一性障害/性別違和/トランスジェンダーといったカテゴリに分類される当事者の、現実への認識が大きくズレている、そう思えてしかたない。彼女には地下で広がるアンチトランスへのムーブメントが見えていないのだろうか。大きな議論になったときに己の夢見る理想だけ掲げたら、全国民がついてくると思っているのだろうか。半分の国民に否定され恨まれ憎まれ、それでも半分の国民に支持され法律を変えさせ街中を闊歩できたらそれでいいのか。それが差別解消につながると思っているのか。


 古今東西、差別の歴史は特権意識、貧富、文化や思想の相違といったものが生み出してきた。中国人が日本で嫌われる理由と同じだと思えばわかりやすい。日本人の目線で豪遊し法律やマナーを守らないイメージが先行するから嫌われてしまう。かつて日本人が西洋諸国でメガネとカメラを下げてる黄色いジャップとして差別されていた。今では文化においても憧れられる存在となった。あの当時の日本人は、何とか日本人を受け入れてもらおうとして、現地の文化を学びマナーを学び、相手国のそれを尊重しようと努力してきた。現地に暮らす日本人が、人と結びつきその土地人文化を愛で、逆に理解を獲て、現地の仲間とともに権利を獲得してきた。差別解消の歴史なんてそんなもんだろう。

 他方、昨今の人権活動というものは、権利なんだから認めろ、やりたいことがてきないのは差別だと、簡単に社会を断じて責任を転嫁する傾向がある。BLMなどもそれだろう。そしてLGBTQ問題。それではただ対立を生むだけ。なぜマイノリティーはマジョリティを尊重できないのか。なぜ相互理解、融和をしていけないのか。かつての日本人は世界を理解し、世界は日本を理解し、異文化を尊重しあえる力があったはず。なぜ対立ばかりを望むのか。

 

 私はかねてよりずっと一貫して話してることがある。私達を受け入れてくれることに感謝しよう。制度慣習がある以上対応できないことがある。けど、その相手が本当に差別しているのか、相手も経験なくわからなくて困っているだけなのか、ルールに従ってるだけなのか。私の経験では、差別はある。しかし、微々たるもの。ほとんどの困難は差別ではなくて、対処する根拠や経験が社会にはないだけなんだ。私達という存在が何なのかわかれば、ほとんどの人は別け隔てなどしない。戦う必要なんてない。

 差別なんてほとんどない。大切なのは心を通わせ相手を敬う心だけ。



 そして、あの方。昔から懸念していたことがある。トランスジェンダーを大量に生み出していること。その敷居をかなり、かなり低くしてくれたこと。彼女の発信するトランス経験のノウハウは的を射てる。彼女が発信する前から私も同じことをアドバイスしてきたことが何度もある。しかし、あそこまで大々的に伝えることに懸念を抱いていた。人の人生を大きく変えてしまう大切な情報。当事者にしたら天国にも地獄にも簡単に行ってしまう重大な選択をするための情報。それを容易く発信することに不安を覚えていた。当事者は苦しいときに冷静な判断なんてできやしない。そもそも冷静な判断でもおかしな人もいる。私はそういう人たちに自己責任論でトランスを指南することはできない。私が指南した子たちには、一生責任を持つ覚悟でアドバイスしてるつもり。私には何百人のトランス女性を生み出す責任は果たせない。

 他方、あれだけのカリスマ性と発信力を持って、沢山の当事者を救っている点では、感謝もし、これも時代なのかと半分喜んでも見ていた。それと同時にルールに従えば簡単にトランスできるノウハウの伝授なわけで、頭のおかしい人たちを引き込むこと、それがトランスジェンダーを社会の掃き溜めにしてしまわないかという懸念もあった。そして、今回の騒動。


 せっかく社会が私達当事者によりそって作ってくれたルールを、ルールなんだからと徒に運用してしまったら、社会の善意の悪用になってしまう。そして、社会の善意が想定していなかった弊害が見えたときに、それでも当事者は闊歩するのか。そんなこと赦されるわけがない。社会秩序と私達の自由の間でもっと話しあいが必要だし、その議論を始めなければならなかった。だからこそ私も声を上げ始めた。しかし、現実はアンチの中で怒りばかりが増幅している。当事者でありながら私はアンチの気持ちが痛いほどわかる。トランスジェンダーの人権活動はおかしい。トランスジェンダーのすべてがこんな社会秩序を壊す現状に同意しているわけじゃないと知ってほしい。

 しかし、彼女が発信しているトランス指南の数が本当なのならば社会に対して、彼女の思いに共鳴した当事者たちがたくさんいるんだという証明になってしまう。実に悔しい。実に悲しい。


 私も彼女のやり方を不安だ、同じ知識はあるけどあまり発信するのは好まないとSNSで発信したことがあった。でもね、多くの困ってる当事者は、救いのある情報に群がる。自由を求めたがる。私のことを輝けない人のスターへの嫉妬だと蔑まれた。


 だからこそ思う。この問題は当事者の撒いた種だ。自分たちで刈り取るしかない。しかし、彼女一人を悪者にもできない。してはいけない。彼女に救われた当事者もたくさんいるはず。そういう恩を忘れないでもいてほしい。



 唯一、この騒動で嬉しかったことがある。


 彼女を尊敬していた当事者たちの中にも沢山、彼女の今回の発信に異を唱える人がいること。むしろ批判的な人がほとんどではないか。それが見えただけでもよかった。社会は是非見てほしい。当事者の殆どは彼女の考え方を違うと思っている。それが現実だろう。どうか彼女のような考え方がほとんどだとは思わないでほしい。色眼鏡で見ないでほしい。


 同時に、当事者は、社会がこれだけの不安を持ってトランスジェンダー問題をみていることを今一度認識すべきです。私達の自由を認めてほしい気持ちは激しく同意します。しかし、これだけの不信を煽る実績を当事者に属する人たち自身の中で発生させてしまってます。自由権利を語る前に、自らの襟を正してみませんか。社会からの見られ方は法律で変えられるものではない。人として交わって理解し合ってはじめて変わる。「トランスジェンダーは差別を受けているから守られるべき」という特別意識から脱却しましょう。生産性のないトランスジェンダーではなく、社会に役立つトランスジェンダーでいよう。みんなに喜んでもらえるトランスジェンダーでいよう。難しいことだし大変なことだけどね。