11月、来ることがわかっていた子どもたちにとって大きな壁がいよいよ来た。
すごく難しい問題。書けないけど。

そして、それに付随してもう一つの問題が同時に動き出すことを、私達もこの前思い出した。詳しくは書けないけど…

児相と面談するタイミングで相談してみた。もうすでに担当者が4回も変わってるから仕方ないんだけど、児相のワーカーさんも全く知らない話になってしまっていた。


児童養護施設のあるある、世間的には豆知識だけど、児童養護施設はキリスト教系の施設が多い。理由は、第二次大戦の戦後処理。戦争で親を失った子どもたちを救済するために、GHQによって児童養護政策は行われた。その時に、その窓口や支援の現場として指定され物資が配られたのがキリスト教の教会だったと言われている。西洋人の慈悲の深さはその文化の根底にあるキリスト教だと言いたいのだろう。アメリカ文化の入り口としてのキリスト教を利用したという小憎らしい現実はあれど、それ故に確かに救われた命があることもまた事実。憎むべきか感謝するべきか当たり前か、そのあたりは個々人の感覚に任せるとして、とにかく日本の児童養護施設がキリスト教系のルーツをもつ理由はわかりやすい。

子どもたちのいた施設もまたキリスト教系のルーツをもち、今は宗教とは分離しながらも、そのルーツの教会のご厚意で様々な面で加護に預かりながら育ってきた。子どもたちを本当に良くしていただいていたので、私としても感謝しかない。

ただ、難しい…子どもたちのルーツはザ・仏教なんです。先祖代々仏教。私もまた浄土真宗のルーツをもっている。私の信仰心なんて人並みに何も無い。けど、みなさんもご理解いただけると思いますが、宗教行事って信仰心と関係なく何かと日常にあったり、文化や風俗そのものだったりしますよね。だからこそ子どもたちにも、自分たちのルーツを知るために実親さんのご先祖様から続く宗派の勉強もしようと思ったんです。信仰させようではなく、先祖代々の文化としての仏教を。

そしたら、子どもたちの反応は「自分たちはキリスト教しか知らないからなんか…」と拒否感があったんです。でも、今回の問題で彼らの宗教観を確かめないといけなくなるのではないかと。

子どもたちの先祖のために宗教教育をするのか。子どもたちの自然に身につけた信仰心を大人が変えさせて良いのか。憲法の自由に抵触する問題。私達里親レベルで触れる話ではない。しかし、訳あって先祖も関わる宗教的な判断をこの子達が下さなければならない。そんなことができるのだろうか。でも児相が内申の自由を制限するはずがない。できるわけがない。

関係するご先祖様の思いを忖度すると答えは一つしかないんだけど、誰一人大人が答えを出せない。出すことができない。亡くなった方の人権なんてという意見もわかる。亡くなった方の信仰に対する尊厳も踏みにじってはいけないという意見もわかる。ただ、聖書もお経も知らない15歳の若者が全部含めて宗教的な決断をしなければならないなんて、こんなことあっていいの?と思うけど、如何せんこれが現実…。こんなの答え出せるの?出せるわけがないじゃない。

うーん、むずかしい…
素直に仏教を受け入れてくれたら楽だったのに。
ま、騒いでも現実はコレだ…

さぁ、児相はどんな意見をまとめてくるか…
とにかく返答をまつのみ。