じなんぼうの伝言 -8ページ目




◎これが最古・きたなくてスイマセン、買ったときからこんなもんでした。
ワシの持ってる飛行機本で最古は「航空ファン・日本軍用機写真集・海軍編・1961年版」です。陸軍編は残念ながら無い。
これはワシが少年時代、近所の古本屋で埋もれていたものを「これは掘り出しモンだぜ、いい仕事してるネ」と、タイマイ150円で買ったもの。
ここに載ってる写真で、これ以外では見たことが無いというレアもの写真もある。実際九八式水偵の写真は、後に発行された「航空情報別冊・太平洋戦争・日本海軍機」にページ数も出ている誌面そのままで掲載されている。(写真2枚目が航情、3枚目が航フオリジナル、ページの数字に注意)
しかし、買った当時、さすがに既にヤレた状態で、今はビニール袋に入れて寝たきり状態。

◎こんなもんだった
プラモの草創期って、メーカーが技術や考証に未熟だったというだけでなく、日本では縮尺もワケワカラン時代だったのね。
写真に出した記事を読んで夜中に笑ってしまった。
「紫電改 (ニットー、1/75、100円)」
「96艦戦(大滝、約1/46 300円)」
「疾風 (アオシマ、1/60、150円)」
「F4U (KSN、縮尺不明、100円)」
「P51D(長谷川、1/70 150円)」
「Me109(大滝、縮尺不明、100円)」
「屠竜 (KSN、縮尺不明、300円)」
「彗星 (一光、縮尺不明、300円)」
「新司偵 (大滝、縮尺不明、100円)」
すごいですよね「縮尺不明」ですよ、買った者が計ればいいだろうってことよ。ニットー、紫電改の1/75なんていいほう。
「約1/46」ですよ、ここのところは編集が計ったのでしょう。値段から推測すると(それもすごいが)100円クラスが1/70以上1/50以下かな。「書いてないけど計ったら1/72だった」とか言うのではない、「だいたい1/63くらい」と言う感じなのね。
こういう時代にエアフィックスやフロッグなんかは涼しい顔して1/72を淡々と作っていたんだからミニチュアの歴史にかけては尊敬してしまう。
そうそう、フィギュアもモノグラムやエアフィックスは数十年前から作ってた。

◎ナゾの青い隼
昔の航空情報誌に20戦隊の隼3型として、写真のような図があるんだけど、上面が青なのね、面白いしきれいなんでやってみようかとも思うんだけど、ほんとかなあって疑う気もある。
あの航情が言ってるんだから間違いないとは思うけど、これ以外では見たことが無いので、疑念が消えない。

◎航空情報や航空ファン
このまえ岩本徹三の本を発掘したが、そのおりに、数は少ないけど航空情報誌や航空ファン誌も発掘した。
それを寝る前にぱらぱらと拾い読みするのが最近の習慣になった。ただ、つい熱中して1時間くらいも見てしまうこともある。
写真に出したのは、その昔、航空自衛隊の機密漏洩事件として報道で大騒ぎになった航空情報誌の記事ね。
「F104J・その将来・その2」と言う記事で、ページ右上の「戦術状況表示システムの例」というレーダー画面の写真が機密だったらしいのね。


◎零戦4機にその他いろいろ
零戦52型はもう塗装しよう。他の3機は資料をさがす。P47イーグルストンはそのあと、バッファローはまたそのあと。それからフォッケ。
それぞれ少しづつ作業をしてはいるんだが、分散してのことなんで見た目はあんまり進んでない。
しかしここにこうして書いておけば逃げられないのだ。









●物語
零戦が実用配備されたことで、96艦戦は余剰となって練習機に改修されたりしたが、一部は武装を強化して対地攻撃、対潜水艦、対魚雷艇攻撃、及び港湾防衛、海上護衛に使用されることになった。
用途種別は観測機とした(もちろん海軍が陸上機で弾着観測ってありえないから、近距離哨戒、近接偵察っていうほどの意味です)。これは零式観測機や零式水偵の任務を兼務するものである。時期的には昭和17年採用ってことで。
改修は
①固定武装は従来の7.7ミリ2門は廃止して翼下にガンパックの20ミリ機銃2門とする。
②翼端を切断整形し、プロペラにカフスを装備して低空での機動性を向上させる。
③観測、偵察の作戦時のために複座とする。後席は後方を向く。後席の旋回機銃は取り外しは容易で、攻撃機作戦時は単座として使用できる。
④後席追加により重心が後方に移動する対策に水平尾翼付け根にヒレを追加する。
⑤後輪を大径化して耐久性を向上する。
⑥風防前面部に防弾ガラスを装備する。
⑦爆弾は従来の30キロ2発を60キロ2発とする。
⑧後方視界獲保のために背びれを除去。キャノピを密閉水滴形とする。
以上が外観上の改修点。内部的には
①エンジンの寿4型785hpを出力強化して830hp程度とする。
②燃料タンク下面に防弾板を装備。
・・・というようなストーリーですね。
PS・・・なお、アンテナがないが、普通に胴体上に立てたのでは後方席の旋回銃で撃ち抜く可能性があるのでアンテナ空中線は主翼端と水平尾翼の間に張られています。手抜きなんてメッソーもございません。くれぐれも。
これはジャンクだったから未完成でも改修予定でもなかったので在庫数は減らない。こういうみちくさをしているんでなかなか数がこなせん。




◎忘れてましたが今月9日で退院3周年になりました。
だからなんだってことですが、足のグワイは去年より良くなってるんですね。具体的にどうなってというと難しいが、力が入るようになった感じね、自分の足になってきたって感じ。
以前はそれこそ義足がついてるような感じだった。それが力強くなったって感じだな。
「自主トレ」は退院後も細々とはやってたんだが、スクワットに加えて最近は「その場はやあし」を15分間やっている。
入院時から疑問だったんだが、骨を折ってなぜ急に筋肉もやせてしまったのか。外傷はないのになぜなのか。骨折のない右足はなんともない。骨折がソク筋肉の減少につながるのか。
歩かないから筋肉が減少するのはわかるが、だとしたら右足も同じだろう。しかし筋肉は左足がひどく減少する。
足は普通、膝を境にももの方が太く、膝下が細い。ワシの右足も当然そうなってるが、正面から見ると左足はなんと、膝下のほうがモモより太く見える。
両手でつかんでくらべるともも側のほうがやはり少し太いのだが、見た目は逆に見える。右足はそういうことはない。だから左足はその差が小さいのだろう。
ここらへんのところなどもDRは全然説明しない。ワシも聞いておけばよかったとは思う。しかし、これはワシだけの特異現象ではないのだろう、回診時にはDRはよく両手で左右の足の膝上の太さの違いを診ていた。
だから、「これは特別なことではなく、DRも承知のことなんだ」と思ってわざわざ訊いたりしなかったのだ。
で、退院時より去年のほうがよくなり、去年より今年のほうがよくなっている。
それでリハビリのユキちゃん先生を思い出して年賀状を出そうかと思った。退院時よりずいぶんよくなっていると実感したからなんだが、出したはいいが「だれなのこれ」なんて思われるのがオチだろうからやめた。
ワシはこの骨折が重症だとわかり、治癒しても歩行に困難が生じるとわかったとき、正直言って寿命も短くなると思った。それは今も変わらない。病気でなくても「人間は歩けなくなったら死ぬ」と言われている。だから足って大事なのだ。
現在、ワシの寿命は確実にケガの前に比べたら短くなっているだろう。もっとも仮定の、また仮定の話だから答は出しようがないが、よくはなっているから悪くならない程度に努力したほうがいいだろう、そう思う。
それにしても退院後の「アフターケア」ということは不用なんだろうか、なんにもいってくれなかったが。多少は注意事項なんてあるんじゃないかなあ。それも不用ってことだろうか。
☆
◎全然関係無いけど、リハビリで担当になったユキちゃん先生は滝川クリステル似でかわいいんだけど。初対面のときから、クリステルに似ているなと思ったのも事実だが、もっといえばクリステルがハーフなようにユキちゃん先生もちょっと日本人バナレした顔つきだった。
ワシはもともと日本人のルーツを探るというような話は好きで、そのせいで、ユキちゃん先生もご先祖に中東系の渡来人がいるのではないかと勝手に想像していた。西欧人というより中近東、中央アジアといった感じなのだ。
まずスラッと背が高い、眼が切れ長ですこしたれ眼、鼻が少しかぎ形で長い。肌は白い。カザフとかキルギスとか、そういうような国の町で見かけるような顔なのだ(もちろん行った事はないが、TVで見るくらい)
生まれはどこかなんて聞いたことは無い。どこかに書いたが話し好きのおっちゃんがユキちゃん先生は岡山出身だと聞きこんだという話入院中に聞いた。
そのときワシは、日本人バナレした顔つきは東日本に多いという先入観があったので、「中東風」というのはアテが外れたかと思った。
だが、最近、ネットで日本人のルーツについてアチコチ関連のサイトを見ているうち面白いのを見つけた。
それは渡来系の豪族秦氏一族の「秦王国」というものが、瀬戸内海沿岸、中国地方にあったというのだ。現在の広島とか岡山あたりにあったらしいということだ。
これはもしかしてもしかするだろう。秦氏というのは朝鮮半島から渡来したが半島人とか朝鮮系ではないらしい、むしろペルシャとか中東の一団であったという資料もある。
これは無論想像だがユキちゃん先生のご先祖は遠く中東を出てきた秦氏一族ではなかったのか。姓はハタではないが。また、秦氏そのものも中国や朝鮮ではなく中東を起源にしているということになる。
だいたい、ネットであーだこーだという推測は多いが、現在の住人に直接聴取した文章は無いのだ。だからむしろワシの推測が直接に証明することになるのではなかろうか。
これはこれからも追求したい。ユキちゃん先生がDNA鑑定して民族系統を調べれば面白いだろう。岡山や広島に行って現地調査するのも面白いだろう。
☆
ワシが若ければ勘違いしてプロポーズするところだが、ユキちゃん先生がよくワシに「足が長いから」と言ってたことを思い出す。
ワシは別にそんなことはなんとも思わないしユキちゃん先生もワシにお世辞を言ってるわけでもないだろうが、ときどきそう言われた事を思い出す。そしてどうしてそう思うのだろうと考える。もちろん患者の様子を見るのはプロだから、遠目で見てもわかるだろうが、それだけでなく、リハビリで、よく台に腰をかけることがあるが、そのとき隣にユキちゃん先生も座るが、そのとき坐高、肩の位置がユキちゃん先生と同じになる。
ユキちゃん先生も足が短いわけではない。むしろスラッとしているほうだが、座ると坐高の高さはワシと同じになる。そのあと立ち上がるとワシの方が10センチ位は高くなるので「証明」されるのだ。
そんな光景をなつかしく思い出す。








◎今年、初回の作品。
新年あけましておめでとうございます。年が変わって歴史を感じるキョウコノゴロ。
このF4Fが組みあがったのは友人I君が結婚まえで、それがもう子供ができて幼稚園行ってるってったからなあ、人生を感じるなあ。・・・ってしみじみしてる場合じゃない。
これは例のイエローウィングを作りたいと思って、―3の後期型に改造したんだけど、最近になって、ワシが作ろうとしているイエローウィングの―3(空母レンジャー搭載、VF41所属)は、どうも前期型らしいことがわかったのね。
はじめ航フ・世傑を見て後期型、つまりカウリング部の気化器空気取り入れ口がない型に改造したんだが、最近見たモデルアート誌では―4と同じ前期型になっていた。それでネットでもさんざん探したがイエローウィングは全て前期型だった。
それだったらわざわざメンドウなことしないで済んだんだがしょうがない。
それでせめてハデハデしいものを探してたら、この国籍マークのビッグサイズを見つけたので決めた。1942年、空母エンタプライズ搭載、VF6の一機。
日本機と誤認されるのを避けるために国籍マークをこれ以上は大きくできないオーバーサイズにしたらしい。
マーキングはコードレターも含んで全て手書き。デカールは全然なし。米海軍機は塗装は地味なのだが、国籍マークもこれだけでかいと実機でもオモチャに見えたんではなかろうか。
これもレベルの1/72です。レベルはまだまだ在庫があるのでせっせと作らないとね。
・・・と言っても、新しく箱を開けるのはまださきだ、あと10機くらいは未完成と改修があるから。



◎航空ファン・世傑のご愛嬌
今日、航空ファンの増刊、「世界の傑作機・強風・紫電・紫電改」を買ったのだが、表紙の絵がおかしい。
本屋で手にとったときに変な感じがしたのだが、帰ってからよく見るとやはり間違いのようだ。
表紙には紫電が描かれていて地上での状態なのでプロペラが静止しているが、「左巻き」になっている。当然、右巻きが正しい。
あんまり人の間違いを指摘することはしたくないが、見逃していたとなるとワシの責任問題であるので(んなわけないだろ)一応、ワシは見つけましたよってことで、ここに記録しておく。
それにこの紫電は外翼にねじり下げがついているように描かれているが、当のこの本の図ではそんなものはない。
まあ、それは見解の相違か程度の問題としてもいいが、プロペラの回転方向の違いはわかりすぎだろう。
PS・・・どこかで見たようだと思ったが、これは紫電のよく知られた写真(写真2枚目。おそらく元山空の)を裏返しにして描いたせいだろう。
この同じ画面の強風や紫電改と同じ向きにするためにもとの写真を裏返しにしたのはいいがプロペラまで裏返しにしてしまったんだね。例のオイルクーラーはちゃんと向こう側にしたんだけどね。
PSのPS・・・上記の一部を変更しました。表紙の絵に付いては3機種とも「前縁の」ねじり下げがついております。これはやはり間違いでしょう。本誌図面には捻り下げはありませんし、実機写真でも確認できます。

