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◎京都市立美術館・描かれたことば展

美術館のはしごだ。ぜいたくというかあわただしいというか。市立美術館は近代美術館のむかいだ。この建物自体が文化的価値があるだろう。昭和8年、御大典記念に建てられた。

こちらの特別展は「描かれたことば展」。400円。テーマはそれだけではわからなかったが、絵画の画面上に描かれている文字の類を集めたものという意味だった。

職人の半纏の襟の文字やピアノ演奏での楽譜、そして画家の署名についてとかといったものだ。なるほどそうかと思った。確かにこの点に付いては絵というものと文字というものの持つ意味合い上の葛藤というべきものはたしかにあるのであって着眼点はいいのではないだろうか。

ひととおり見て廊下で一休み。スタンプなどもあるのでパンフに押したりした。建物自体も内部は美しい石材で歴史を感じさせる。

帰りもバス。100系統。

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◎岡北でそばhttp://r.tabelog.com/kyoto/rstdtl/26000919/

雨の中、岡崎通りに出て北上。岡崎公園の東側。

店は小ぶり。店内には意外にもジャズが低い音量で流れていた。客は他には奥に若いカップルがひと組だけ。

関西ならうどんだとは思いつつそばを頼んでしまった。悔やまれる。ワシは外食でうどんを頼んだことがない。職業病なのだ(なんの職業だ)。

しっぽくそば700円。

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◎国立近代美術館・福田平八郎展

朝からしっかりと雨である。予報どおり。こういう日はどうするか課題であったが、一応、特別展などでなにをやってるかわからんが美術館という事を漠然と考えていた。

宿を出てバス停「馬道」へ行く。持っているバス路線図では馬道でいいようになっていた。が、バス停のかなり手前で目的の「100系統」がバス停に客がいるのに停まる風はなく走り去っていくのを見た。

バス停に着いて時間表を見ると、100系統はここには停まらないようだ。路線図を見ると停まるとすると五条通りを超えたところの「東山五条」だ。つらいぞこれは。

ここまで来たんだからとテクテクいやギクシャク歩く。早くもスニーカーは水がしみてくる。なんだかつらい気分になってきた。これまたバス停にはチュー坊らしい修学旅行生が数十人たまっていてラッシュ状態。きびしいなあ。

やがて来たバスも満員状態。下りるバス停を間違えて雨の中を歩きたくないのでうろ覚えの地図を思い出す。

京都会館美術館前。平安神宮の大鳥居を見上げて、国立近代美術館。こんな雨でも客はけっこう来ている、熱心だねえ。

特別展は「福田平八郎展」嫌いじゃないが、まあいいか。1200円。高い。ちょっと迷う。が、入った。3階が展示場。

福田は若いうちから才能を認められてきた。画風は大げさなものでなく、有名なところでは「漣」や雨粒の跡を表現するような繊細さが持ち味だ。

本物は全集などの小さい写真で見るのとは違って作者の息使いが聞こえそうななまなましさがなんともいい。5センチくらいの距離に近づいて見るとこれまた筆のスピード感や筆圧など迫力が感じられる。

若い時代のものから生涯にわたっての作品群。結局、日本画といっても描くのには生命のエネルギーというようなものをひどく消耗するのだということがわかる。イノチを削って描くのだ。最後の方の作品はさすがに「疲れた」という声が聞こえそうだ。

うまいのは当然としても、こういう才能と言うのはどこから来ているのかというようなことをいつも考える。



ひととおり見て4階の常設展にも行く。写真もある。これは写真といっても「ナマ」であって、印刷ではない。やはりなまなましさが違う。

PS・・・写真と言えば展示場内の写真は当然ありません。大きい写真は常設展の方の規制のない?、あくまで「休憩所での」風景。これがせいぜい。

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◎大報恩寺(千本釈迦堂)・5月24日
◎雨宝院(西陣聖天)5月24日
◎金攫八幡宮(きんかくはちまんぐう)・5月24日・http://www.kamimoude.org/jinjya/kyoto-city/kita/ki-kinkaku/index.html


○24日は3箇所スベッタ。

千本釈迦堂は本堂は国宝で立派だったが、別に有料で霊宝館があった。なぜか気が進まなかったので他には「お亀さん像」を見ただけで出てしまった。

雨宝院は本隆寺のすぐ隣で良かったし、境内はいろいろな神様がところせましと拝殿を並べていて面白かったのだが全て戸締りされていて、全然ご本尊を拝めないので早々に出てしまった。

金攫八幡宮はわら天神に行く手前に妙に小さい神社があったので寄った。一見ゲートボール場かと思ったが神社であった。ここはスベッタわけではなくてオマケね。

ガイドには出てないが現地の説明文によると貞亨(ていきょう)2年(1685)、石清水八幡宮より御分霊をして産土神とした。御祭神は応仁天皇で、殖産興業の守護神。延寿(長寿)の大神。本殿そばには「黄金もち」の木があって年中赤い実をつけている。とある。

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◎稲葉神社・5月23日
◎単伝庵(らくがき寺)・5月23日


5月24日までに行った先は今まで記事にした「物件」ばかりではない。5月23・24日の2日で記事以外の5箇所は、行ったんだけど「スベッタ」先もなのね。なんというか、よく見なかったと言うか、よく見られなかったと言うか。

単伝庵なんかは行ったけど公開日でないので中に入れなかったのもあるが、その他はなぜか気分が乗らなかったこともあって、結果、ろくに見てこなかったんで記事にならない内容だった。

でも一応、記録としては載せておこうというわけなのね。

★稲葉神社は淀城跡の敷地内にあって淀城主、淀藩主稲葉公の祖、稲葉正成公を祀る神社。淀城主となったのは享保8年(1723)正成公から5代目の正知公から。拝殿?軒下にホコリを被って革が破けた大きい太鼓が吊るされているのを見た。

立札(写真4枚目)があってそこに「御室 春日局」という添え書きがあって、不思議な感じがしたが、あとで知ったが正成公の妻が春日局という。

「淀城跡」の石碑の文字は「子爵 稲葉正凱」ということだから、お殿様は貴族になったらしい。

単伝庵は「落書き寺」という異名があるというので石清水八幡宮に行く途中寄ったが公開日が別にあるようなので門前でやめた。

※08・09・03追記:TV・東京12ch「新設、日本ミステリ」という番組で正成公のことをやっていて、ワシが行った稲葉神社が出てきた。それで立札のことを思い出したのね。たしかにそのとき「春日局」の名が不思議に思ったので写真にとった。

ミステリというのは、稲葉正成は関が原の戦で寝返った小早川秀秋の家老で、寝返りを促した人間であったという。その寝返りも根拠の無いことでなく、春日局の父方の大叔父?が明智光秀であり、春日局はその因縁から秀吉に恨みがあった。

それで小早川秀秋に寝返らせ、挙句に秀秋を毒殺、結果、御家断絶をさそった。というもの。

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◎白峯神宮http://www10.ocn.ne.jp/~siramine/

猫寺に行って、今日は帰ろうと今出川通りを走っていて思いついて寄った。以前から何回か門前を通っていて気にはなっていた。

それにしても「白峯」なんて、たしかに字面はいいが、およそ京都らしくない、言っては悪いがイナカくさい名前だ。

だが、由緒を知って理解した。崇徳上皇を祀っていて、その最期の地である讃岐は白峯山に葬られたことから来ているという。ただ、この場所は公家で蹴鞠道の飛鳥井家の跡地で、これが現在サッカーの神様として、そっちの方でも有名になっているのだ。

サッカーやケマリと崇徳上皇とは直接は関係無いわけね。白峯神宮というとガイドには必ず出ている、ボールがめり込んだような形の「蹴鞠の碑」(7枚目の写真)は境内の端にあった。

それにお公家さんの屋敷であった名残がトリイの後方左右にある土塀と門構えだという、そう言えばそうだ。蹴鞠をも催すのだろう「蹴庭(しゅうてい?)」と表示があるコート?(3枚目の写真)もある。

悲劇の上皇伝説とにぎやかにやる蹴鞠との取り合わせは皮肉と言うべきか、怨念の慰めと思うべきか。

神社の創建に付いても孝明天皇が時の幕府に勅命を発したが崩御しならず、明治天皇によって創建している。時あたかも明治初年だから、ここらへんにも上皇の怨念云々ということになるかも。

また源為朝と為義親子を「伴緒社(とものおしゃ)」(6枚目の写真)として武道、弓術の守護神として祀り、あげてスポーツ振興の神社となっているのだ。

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◎称念寺(しょうねんじ)http://www.kyoto-web.com/nekodera/index2.html(猫寺)

岩神さんから北方向に行って近く、慮山寺通りと寺之内通りの中間、狭い一通の道に面した「猫寺」。

外観は小規模な普通のお寺さん。三門入って正面に本堂。その回廊に僧形の坐像が来訪者を迎える。これが猫寺の因縁のもとの還誉上人か中興開基された嶽譽上人のものか、それとも開山とされる師僧称念上人か。あんたはんだれやねん。

境内に人影もなくワシはすっかり不法侵入者の気分。なにかカネメのものは、もとい、有難いホトケサマでもと思ったが目に付いたのはドロボーよけか、その坐像と一本の枝が妙に長々と伸びた松の木が一本。

15メートル程もあろうか、あとで知ったがこれは通称「猫松」と呼ばれる松だ。

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◎岩上神社(岩神さん)http://f1.aaa.livedoor.jp/~megalith/kyo1iwagami.html


ガイドによっては「岩神祠」(いわがみのほこら)としか出てないし、実物も神社というには疑問だ。まあ、岩しかないわけだ。本隆寺の北側、上立売通りに回り込んだところ。

人の背ほどの大きさの大岩に注連縄がはられ、屋根をつけてうやうやしく祀られている。いかにも山から持ってきたようなごつごつしたものだ。年月が経ってもカドがとれないといった感じで、その分この世のものならぬ雰囲気・・・があるかな。

たしかに見ようによっては人がうずくまっているような感じだし、連想として老人がしゃがみこんでいるような印象だ。

神社は南側は上立売通りと本隆寺の築地塀、その他三方は住宅という環境。

立札にはたしかに「岩上神社」とある。由緒としては菅原道真に関連しているから古いものであり、当初は二条城のあたりにあった。そこに岩上寺というお寺まであったというが、寺は応仁の乱などで焼失。結局、家康の二条城築城のおりに当地に移されたという。

岩一つのためにお寺まであったというからにはそれなりの畏敬すべきものがあったのだろう。ガイドなどでもいろいろな因縁を伝えている。現在の場所は土地が企業のもので大切にされているそうだ。

かつては「寺」で、今は「神社」というのが、なにか紆余曲折を感じさせる。

祠の造作もガイドの写真の物より新しい。岩神さまの周りを一周して眺めさせてもらった。家康公はこの岩を一度は見たのだろうか。

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◎本隆寺http://www.hokkeshu.jp/honzan.html

釘抜き地蔵から本隆寺へは近いがどう行ったか忘れた。智恵光院通りだから首途八幡の前をまた通ったのかな。今出川通りから智恵光院通りを上がれば五辻通り交差点を過ぎてすぐだ。

本隆寺というのは京都にあっては地味だが法華宗真門流本山で、境内はたしかに広い。慧光無量山本妙興隆寺(えこうむりょうさんほんみょうこうりゅうじ)と号し、略して慧光山本隆寺という。略すのもいいがそれにしてもずいぶん略した。

境内に人影なし。このあたりは本当に「すきもの」しか来ないのか。ディープと言うかマニアというか。

開祖日真が、長享2年(1488)に妙顕寺を出て、六角通り西洞院に草庵を建てたのがはじまりで、その後焼き討ちにあったりしたが天正2年(1584)当地におさまったというから京都にあっては新しいだろう。国宝などはないようだからそこが難点か。

今も本堂、祖師堂(3枚目、5枚目の写真)などは立派なものだ。度重なる大火にのがれて「不焼寺(焼けずの寺)」というし、夜泣き止めの松(7枚目の写真)がある。それに塔頭が境内周囲に建て込んでいるのが面白い。

それに外に出てわかったのだが築地塀(6枚目の写真)が長く伸びて歴史を感じさせる。かつての栄華だ。

南側に立派な造りの門(大きい写真)があるが、開かずの門になっている。・・・のかな。このくらい立派な門はどこでもたいがい勅使門と言われるが天皇さまは来られたものか。ネットではわかりませんでした。

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◎石像寺(釘抜地蔵)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%83%8F%E5%AF%BA

遅い昼食後に千本通りに戻った。えんま堂からは少し下がれば左手に釘抜地蔵、石像寺がある。ここも市街地の中にあって注意しないと見逃す。山門の文字は「家隆山」。家隆山光明遍照院石像寺(かりゅうさんこうみょうへんしょういんしゃくぞうじ?)というのが正式。ありがたそう。

それもそのはず開基はかの弘法大師空海で弘仁10年(819年)というからたいへんなもの。おみそれしました。それで当初は真言宗だったが平安時代に重源上人が浄土宗とした。

もともとのお地蔵さんは大師が唐から持ち帰った石を地蔵に彫ったことにある。そして例の釘抜き伝説があるのだが、それとは別にもともと「苦」を「抜く」、「苦抜く」から転じて「釘抜き」になったという説明もある。

が、ワシはやはり現実の真偽は別にして釘抜き伝説が先と思う。だから逆に「釘抜き」から転じて「苦を抜く」から苦痛を取り去る御利益としたものと思うけどね。

地蔵堂の前には大きい釘抜き。本堂にも釘抜きをあしらった絵馬が壁イッパイに貼られている。赤いちょうちんが棚にたくさん吊られている。参拝客も三々五々見えている。にぎわってるねえ、すごい。

境内をあちこちのぞきながらウロウロ挙動不審なワシであったが、呼びかけられた。これはなにかソソウをしたかと一瞬びびったが、「おしるこどうぞ、おかわりもありますよ」と、これはご親切なおさそい。

行った日がちょうど24日の縁日であったのだ。知らなかった。床机に座っていただいた。丸もちも入ってました。さっき食事したばかりだったけど。今度来るときも24日にしよう。お大師さまありがとう。