じなんぼうの伝言 -17ページ目









◎大阪・①梅田
この日は予報で雨だった。実際、朝から音がするほどの雨だ。11時ごろ、やっとやんだ感じ。
今日は電車で行けるところにする。大阪だ。
一応傘を持って出る。バス停、馬道から207系統の市バス。河原町に出る。地下にもぐって阪急線。梅田まで390円。
昔、大宮から何回か乗ったことがあるが、なつかしい。
窓の外を見るが、関西だからといってそれほど特徴的なことはないのだが、知らない町を行くというこの感覚がいい。
梅田下車。終点の駅の様子に記憶がある。ライラックと言う中二階の店も見覚えがある。
ちょうど昼どき。駅ビルになるのかアリの巣のような食堂街の中をうろつく。たくさんの店が軒を連ねてひしめいてる。見物するつもりだからいいのだが、何度か同じ店の前を通った。道順はついにまったくわからなかった。すごい。こういうのは東京にはない。
「おおさかグリル」という店だったのかな、サービスランチ500円。トンカツじゃなくビフカツか。これはちょっと失敗。
梅田駅周辺の地図を看板で見るが歩くのがタイヘンそうなのでショバを変えることにする。
駅の改札に戻って路線図を見る。聞いたことのある地名もちらほらあるがサッパリ見当がつかん。いいねえ、こういう感じの夢をよく見る、知らない町で道に迷う。夢のとおりだ。こういう経験て普通ないよ。こういうのが好きだね。異国情緒。
難波というのが聞いたことのある地名としてはワシ的には最も有名だ。難波に行くことにする。









◎満足稲荷神社http://www.kyoto-yashiro.jp/shrine/syuin/manzokuinari.html
おかしな名前の神社の連発。大原からR367を延々と下り(写真1枚目は大原の山道)、高野橋あたりであったか、よれて東大路通りに入った。さらに下って仁王門通り交差点を過ぎたあたり左手に満足神社がある。
ここは正直言って何度も前を通っている。しかし、その名前と言いあちこちに見える手書きの宣伝と言い、腰がひけてしまうのだ。。(写真7枚目から)
だが今回は勝手神社に行った実績もある(なんの実績だ)。好き嫌いを言える立場ではないので立ち寄った。
掲示の由緒書によれば豊臣秀吉公の勧進により文禄年間(1592~96)に伏見桃山城内に同城の守護神として創建。社名も秀吉公自身によるもので崇敬篤く、そのご加護に文字通り「満足」せられた。その後、元禄6年(1693)に当地に遷座とある。
御祭神は倉稲魂命(うがのみたまのみこと)。天照大神、猿田彦大神、大国主大神。開運、商売繁盛にゴリヤクがある。神職の人の常駐もある。
それにしてもそのものずばり「満足」とは恐れ入る。ずいぶん気に入ったものだ。
境内は狭く、ご神木に岩神さま(写真4,5枚目)もあって神社のドンキホーテ状態。京都での岩神様信仰は根強い。しかし本殿などは意外と言っては失礼だが入念なツクリで見ごたえがある(写真6枚目)。






◎勝手神社
来迎院から三千院方向に戻る道、右手に狭い参道の入り口がある。勝手神社と表示が出ている。面白い名前。
参道を入っていくと例の律川があり、橋を渡ると勝手神社。境内広さは建売住宅の1軒分くらい30坪ほど。無人の小社。右手に末社らしき祠。中央には本殿?の祠があり、屋根がかけられている。
壁面に絵馬らしいものがかかっている。よく見ると絵ではなく、木片を組み合わせた造形になっている。「枡かけ形」とでも言うのか、奇妙なもの(5枚目の写真)。
「ますかけ」だから「かけます」、転じて「賭けます」か。「賭けに勝つ」ってことか。わからん。
ネットでもよくわからないが、見た限りでは魚山(周辺寺社の総称と言える山号)の守護神として、前出の良忍上人が大和国(奈良県)多武峰(とうのみね)より勧請したとされ、本地仏は毘沙門天という説がある。
「勝手」というのは面白い名前だが、やはり勝負事と関係していて、いくさでの戦勝祈願の信仰があると言えるようだ。
まあ、吉野に同名の神社があるということかららしいが、良忍上人との接点については疑問で、単なる言葉あわせの感じ。上記の説は否定はできないが、支持もできん。わかり次第のせますね。








◎来迎院http://www5e.biglobe.ne.jp/~hidesan/oohara-raigou_in.htm
三千院を出てさらに山の方へ回りこむようにして行く。かたわらの小川は呂川(りょがわ)。これと対になって三千院や来迎院をはさんで北側には律川(りつがわ)がある。声明(しょうみょう)から来る「ろれつ」の語源だと言う。
川は山のある東から西方向に流れている。その先で高野川に合流する。(川の名については「ろせん」「りつせん」とする資料もあるようだ)
木立に囲まれた中に「ゲート」があり「来迎院 本坊」「参道口」と大書されている(写真1枚目)。ワシはこういうのは嫌いではない。わかりやすい。
お寺でもらったパンフをもとに言えば、伝教大師最澄の直弟子慈覚大師円仁が唐から声明(しょうみょう)を伝えて、当地に修練道場を開いたのが始まりという。それが仁寿年間(851~854)。
その後「聖応(しょうおう)大師良忍が来迎院を建立(1109)」とあるから、寺名はその時からということか。
しかもその唐での学びの地が五台山(山西省)の太原(タイユワン)という地であって、別な資料だが、それで当地を大原としたと言う。なるほどそれでわかった。
三千院の記事で「意外に山奥」と書いたが、そういうことだ、大原は全然「大原」ではないのだ。「大原」ならやはり「平地」でなければならんだろう。このあたりは山がちの渓谷と言うべき場所だ。
ワシは以前から大原という地名がピンと来なかったし、ここへ来てますます奇妙な感じだったんだが、直感もまんざらでないね。
無責任に言うが、資料によっては大原は中国の太原に似ているからというのもあるが、違うだろう。見たことはないが、実際の「太原」はおそらく「はらっぱ」とか「丘陵地」だろう、円仁上人は声明のルーツにしたいと言う考えでそう呼んだものとしか思えん。
そして声明つながりで三千院やその北側の勝林院などとも創建については関連があるのだ。
受付にはじいちゃんがいた。時間が4時を過ぎているので訊くと5時まで大丈夫という。こういう感じは良い。拝観料400円。パンフには順路も出ている。重文の梵鐘を見て、本堂に周る。
本堂は大建築ではないが勾配のゆるい屋根の曲線が美しい。この正面の写真はガイドで必ず出るが当然だろう。(大きい写真)スリッパが用意されているので履き替えて上る。他には拝観者なし。
堂内には薬師如来、釈迦如来、弥陀如来の重文三尊が鎮座する。撮影禁止とも出てないので撮る。ここでは願掛けもできる。用意されている木製の短冊に氏名住所を書いたかな。こういうのは他で見ないので早速実行。人間はいないがお釈迦さまは見ているからちゃんと「志」は備え付けの箱に入れる。今ごろ願いは届いている。
天井には彩色のある天女が舞っている。(写真5枚目)
記念スタンプもあるのでパンフに押す。堂内はそんなに広くないので短時間で観察終了。その後、順路に従って境内一周。
ジイチャンに挨拶して門を出た。いい感じだった。








◎三千院・②
往生極楽院から苔の中に埋まっているわらべ地蔵を見て弁財天の鳥居をくぐる。金色不動堂。ここでは写経の真似事ができる(写真7枚目)。無料。ちょうど他に人はおらず自分だけ。手本を下敷きにしてなぞればいいようになっている。ひととおり書いて住所氏名を書いて置いてくるだけ。
観音堂などを見てから境内、庭園になっているところをぐるぐるまわる・・・ような感じ。
境内はたしかに広いが建物と庭園がうまい具合に配置されている感じで、あきることがない。写経の雰囲気も経験できた。
結果、拝観料だけのことはあって期待を裏切らない。









◎三千院http://www.sanzenin.or.jp/・①
北山通りを東進して白川通りにつき当たり、そう、その手前の川端通りで良かったんだが行き過ぎた。いずれにしても少し北上して花園橋で右折してR367に入る。右手の川は高野川だ。これに沿って10キロくらいか、大原は意外に山奥だ。
♪きようとお おおはら さん、ぜん、いん、こいーにつかれた おんなが~ である。三千院は女性的な印象だなあと山道をパンパン騒音をまきちらしつつゲンチャリは進む。
三千院門前はこれも意外にみやげもの店などが多い。あの歌で三千院が有名になったせいだろうか。この「女ひとり」の歌は今ネットで見たら1965年の歌で、このヒットで三千院は拝観客がそれまでの2千人から8千人になったという。現在はわからんがそれなりには人気だろう。
三千院の由緒は古い。あの最澄が延暦7年(788)、比叡山延暦寺を開いた時に、東塔南谷に自刻の薬師如来像を本尊とする「円融房」を開創したのが最初という。
天台宗三大門跡で最古。その由来は元永元年(1118)堀河天皇第二皇子(第三皇子とも)の最雲法親王が入寺したのが初めだという。
紆余曲折があって寺地も移転するなどして当地に定まったのは1871年というから古くて新しいというか。
面白いのは、大原は融通念仏や天台声明(しょうみょう、仏教声楽。日本歌謡のルーツ)が盛んに行われたというから歌や音楽が縁で人が集まるのは偶然でもないのだ。
天台声明を大成した聖応大師良忍(1073~1132)も大原に住んだ。
正門は南の朱雀門だが通常の入り口は西門の御殿門なのだという。白い石段と石垣に囲まれて荘厳な感じ。
拝観料700円。高いクラス。印象的なのは入るについては注意書きがあり「敬虔な気持ちで・・・」とあった。こういった注意は一見うるさい感じがするかも知れないが、現地でそれを見ると、そんな感じは起きず、門を入ったときにこちらもそういう気になっているのでむしろそれはそうだという気になる。
内部はさすがに広く、順路は客殿から宸殿をめぐるが、何かの行事をやっているようで僧衣の人が行き交い、作務依のようなものを着た人が廊下を雑巾がけしたりしていていそがしそうにしていた。あとでネットで見たら5月30日の御懺法講(おせんぼうこう) という行事の準備であったようだ。
ワシのような拝観客がウロウロしたり、写真を撮ったりしても文句も言われず、好きなようにさせてくれているようでなにか妙に感動した。


◎金ちゃんラーメンでBセットhttp://ramen.gnavi.co.jp/shop/jp/k591500n.htm
昼食と思って、予定の店を探したのだが見つからず。結局大田神社から少し下がって北山通りに出る手前の交差点近くの金ちゃんラーメンに入った。
Bセット850円。ラーメンにから揚げ、ライスつき。







◎大田神社http://www5e.biglobe.ne.jp/~hidesan/ohta-jinjya.htm
上賀茂神社の東、人通りもない住宅地の中にある。御祭神は天鈿女命(あめのうずめのみこと)という。寿命長久、縁結び、芸事の神様。
創建についてははっきりしないが式内社とあるようだから由緒正しく、1000年より前ということになる。社殿は寛永5年(1628)造営という。境内には末社もいくつか祠を並べている。
ここの末社にはすべて説明が出ていたので親切。社名と御祭神以下のごとし。
☆白鬚社・猿田彦神。
☆鎮守社・大国主神、少彦名(すくなひこな)神。
☆百大夫(ひゃくだいぶ)社・船玉(ふなだま)神。この社名も祭神も他で聞かないね。
☆福徳社・福徳神。ここの社祭として「サンヤレ祭」といって2月24日に福徳神が町内を巡るとある。
面白そう。「サンヤレ」というのもなにやらシュメールの雰囲気。
もとは「恩多社」と言ったようだ。付近の沼沢の開墾にまつわる賀茂氏一族の崇敬による上賀茂神社の境外摂社の位置付け。巫女神楽が無形文化財として伝承されている。見たいものだ。季節によって大田の沢のかきつばたがきれいらしい。ワシが行った時は花は終っていた。
周辺はひっそりとしている。この付近はその大田の沢ばかりでなく松ヶ崎にかけて宝ヶ池など、大小の池沼が多い。









◎上賀茂神社②
本殿や宝物を拝観できて拝観料に見合う、いやそれ以上の拝観ができた。神官の案内もついて、これは今回のメダマになったね。
御物忌川のほうかな唐破風の屋根つきの橋、片岡橋(写真4枚目)が面白い。その他、境内を見て回ったがやたら広いというのもたいしたものだ。

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