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◎来迎院http://www5e.biglobe.ne.jp/~hidesan/oohara-raigou_in.htm

三千院を出てさらに山の方へ回りこむようにして行く。かたわらの小川は呂川(りょがわ)。これと対になって三千院や来迎院をはさんで北側には律川(りつがわ)がある。声明(しょうみょう)から来る「ろれつ」の語源だと言う。

川は山のある東から西方向に流れている。その先で高野川に合流する。(川の名については「ろせん」「りつせん」とする資料もあるようだ)

木立に囲まれた中に「ゲート」があり「来迎院 本坊」「参道口」と大書されている(写真1枚目)。ワシはこういうのは嫌いではない。わかりやすい。

お寺でもらったパンフをもとに言えば、伝教大師最澄の直弟子慈覚大師円仁が唐から声明(しょうみょう)を伝えて、当地に修練道場を開いたのが始まりという。それが仁寿年間(851~854)。

その後「聖応(しょうおう)大師良忍が来迎院を建立(1109)」とあるから、寺名はその時からということか。

しかもその唐での学びの地が五台山(山西省)の太原(タイユワン)という地であって、別な資料だが、それで当地を大原としたと言う。なるほどそれでわかった。

三千院の記事で「意外に山奥」と書いたが、そういうことだ、大原は全然「大原」ではないのだ。「大原」ならやはり「平地」でなければならんだろう。このあたりは山がちの渓谷と言うべき場所だ。

ワシは以前から大原という地名がピンと来なかったし、ここへ来てますます奇妙な感じだったんだが、直感もまんざらでないね。

無責任に言うが、資料によっては大原は中国の太原に似ているからというのもあるが、違うだろう。見たことはないが、実際の「太原」はおそらく「はらっぱ」とか「丘陵地」だろう、円仁上人は声明のルーツにしたいと言う考えでそう呼んだものとしか思えん。

そして声明つながりで三千院やその北側の勝林院などとも創建については関連があるのだ。

受付にはじいちゃんがいた。時間が4時を過ぎているので訊くと5時まで大丈夫という。こういう感じは良い。拝観料400円。パンフには順路も出ている。重文の梵鐘を見て、本堂に周る。

本堂は大建築ではないが勾配のゆるい屋根の曲線が美しい。この正面の写真はガイドで必ず出るが当然だろう。(大きい写真)スリッパが用意されているので履き替えて上る。他には拝観者なし。

堂内には薬師如来、釈迦如来、弥陀如来の重文三尊が鎮座する。撮影禁止とも出てないので撮る。ここでは願掛けもできる。用意されている木製の短冊に氏名住所を書いたかな。こういうのは他で見ないので早速実行。人間はいないがお釈迦さまは見ているからちゃんと「志」は備え付けの箱に入れる。今ごろ願いは届いている。

天井には彩色のある天女が舞っている。(写真5枚目)

記念スタンプもあるのでパンフに押す。堂内はそんなに広くないので短時間で観察終了。その後、順路に従って境内一周。

ジイチャンに挨拶して門を出た。いい感じだった。