嚳(こく)
上古中国神話上の帝王。名は夋・[夒-巳]。
辛に封じられ、高辛氏と称したと言われている。
五帝の一人で、顓頊(せんぎょく)の後を継いで、帝位に就いた。
『史記』「五帝本紀』によれば、
嚳の父は蟜極である。
蟜極の父は、黄帝の子である玄囂(少昊)なので、
嚳は黄帝の曾孫となる。
また、嚳が生まれながらにして自分の名を言うことができ、
聡明であったと記す。
また嚳の徳の高さと世がよく治まった様子を様々な言葉で称える。
娵訾氏の娘をめとって子に摯をもうけ、
陳鋒氏の娘をめとって放勲(堯)をもうけた。
彼らは嚳の死後に順に立って帝になった。
堯(ぎょう)
中国神話に登場する君主。姓は伊祁(いき)、名は放勲(ほうくん)。
陶、次いで唐に封じられたので陶唐氏ともいう。
儒家により神聖視され、聖人と崇められた。
帝としての事績
『史記』「五帝本紀」によれば、
嚳の次子として生まれ、嚳の後を継いだ兄の死後帝となった。
「その仁は天のごとく、その知は神のごとく」などと
最大級の賛辞で描かれる。
黄色い冠で純衣をまとい、白馬にひかせた赤い車に乗った。
羲氏の羲仲と羲叔、和氏の和仲と和叔に命じ、
天文を観察して暦を作らせた。
一年を366日とし、3年に1度閏月をおいた。
堯は大洪水を憂え、臣下の四岳に誰に治めさせるかを問うた。
みなが鯀を推薦した。
堯は「鯀は(帝の)命に背き、一族を損なっている」と反対したが、
四岳は試しに使い、だめなら止めればよいと言った。
そこで鯀を用いたが、9年たっても成果がなかった。
『十八史略』によれば平陽に都したとし、
質素な生活を送っていたとしている。
別の書物での堯の伝説として、羿(羿の字は羽の下に廾)を挙げる。
その頃の太陽は全部で十個あり、交代で地上を照らしていたのだが、
ある時に十個が一度に地上を照らすようになったために
地上は灼熱地獄となった。
堯は弓の名人である羿に何とかして来いと命令すると、
羿は九個の太陽を打ち落として帰ってきて、
救われた民衆は堯を褒め称え帝に迎えたという。
この時太陽の中には三本足の烏がいて(八咫烏)、
黒点を謂わんとするものであるという。
舜への禅譲
堯には丹朱と言う息子がいたが、臣下から推薦者を挙げさせた。
放斉は丹朱を挙げ、驩兜は共工を挙げたが、堯は二人とも退けた。
みなが虞舜(舜)を跡継ぎに挙げ、
性質がよくない父と母、弟に囲まれながら、
彼らが悪に陥らないよう導いていると言った。
堯は興味を示し、二人の娘を嫁した。
それから民と官吏を3年間治めさせたところ、
功績が著しかったため、舜に譲位することにした。
舜は固辞したが、強いて天子の政を行なわせた。
舜の願いにより、驩兜・共工・鯀・三苗を四方に流した。
20年後に完全に政治を引退し、8年経った頃に死んだ。
天下の百姓は父母を失ったように悲しみ、3年間音楽を奏でなかった。
3年の喪があけてから、
舜は丹朱を天子に擁立しようとしたが、
諸侯も民も舜のもとに来て政治を求めたので、
やむなく舜が即位した。
なお、堯舜の批判をした韓非は韓非子にて、
この禅譲に対して、
「堯が天下の王だった時は、
質素な宮廷で、粗末な食事を食べ、貧しい衣服を着ていた。
今の世の門番が貧しいとはいえ、これよりはましである。
これらのことから言えば、
かの古の時代の天下譲るということは、
門番の貧しい生活を捨てたり、奴隷の労役から離れるということだ。
だから天下を譲るといっても、たいしたことではない」
と評している。
鼓腹撃壌
堯の御世も数十年、平和に治まっていた。
堯はあまりの平和さに、
天下が本当に治まっているか、
自分が天子で民は満足しているか、
かえって不安になった。
そこで、目立たぬように変装して家を出て自分の耳目で確かめようとした。
ふと気がつくと子供たちが、堯を賛美する歌を歌っていた。
これを聴いた堯は、
子供たちは大人に歌わされているのではないかと疑って
真に受けず、立ち去った。
ふと傍らに目をやると、
老百姓が腹を叩き、
地を踏み鳴らしながら(鼓腹撃壌)楽しげに歌っている。
この歌を聴いて堯は
世の中が平和に治まっていることを悟った、とされる(『十八史略』)。
舜については以降に!!
2020年4月27日
哲学の日
紀元前399年4月27日に、
ソクラテスが毒杯をあおって刑死したことに由来。
ソクラテスの妻クサンティッペが
悪妻と言われていることから「悪妻の日」ともされている。
クサンティッペを悪妻とするエピソードには、以下のようなものがある。
●ある時クサンティッペはソクラテスに対して激しくまくしたて、
彼が動じないので水を頭から浴びせた。
しかしソクラテスは平然と「雷の後は雨はつきものだ」と語った。
●ソクラテスが語ったとされる言葉にこのようなものがある。
「セミは幸せだ。なぜなら物を言わない妻がいるから」。
●ソクラテスが語ったとされる言葉にこのようなものがある。
「ぜひ結婚しなさい。よい妻を持てば幸せになれる。
悪い妻を持てば私のように哲学者になれる」。
●「そんなにひどい妻なら別れたらいいじゃないか」と言った人に対し、
ソクラテスが語ったとされる言葉に次のようなものがある。
「この人とうまくやっていけるようなら、
他の誰とでもうまくやっていけるだろうからね」。
プラトンの描く哲人ソクラテス像とは別に、
当時の他の資料からはまともに働かず、
日がな一日おしゃべりに明け暮れる悪夫としての
ソクラテス像も存在する。
作家の佐藤愛子
(彼女自身も、元夫に頭から水を浴びせたエピソードが有名)が
『ソクラテスの妻』という小説を発表、後に
「ソクラテスのような男と結婚すれば、
女はみんな悪妻になってしまう」との旨を述べている。
悪妻?悪夫?どっちもどっちという事だろう!
今は特に夫婦仲良くステイホームを・・・・!!
午前中の散歩は北コースにして、
ベルシティー内に駐車して食材の買い出をするつもりだ!
先日、白山の麓にある天理教の叔母さんから、
タッパーに入った筍の煮物、分葱和えをもらった。
その時可愛らしい曾孫ちゃんにまた来てねと言われていたので、
今日は家にあった飴玉を全部持って(私にはダイエットの大敵)、
タッパーを返しに立ち寄ってから白山登山を!!