山の声を聴け -3ページ目

学徒出陣

 86のおばあちゃんの自伝のような本をつくっているんだが、戦前の話はなかなかおもしろい。だが、ちょっと困る問題もある。
 学徒出陣の壮行会といえば、昭和18年の10月に雨の中で神宮外苑で行われた壮行会を思い浮かべる。映像に残されていて、テレビで何度も放映されているので見覚えのある人も多いだろう。文部省が主催して派手に行われたものだ。
 おばあちゃん自身も出席し、旗をもって先頭に立って行進したという壮行会は、その前年、17年の9月に行われたというのだ。しかも陛下も臨席しているというのだから、信じがたくて、何かの勘違いか、18年の壮行会と混同しているのだろうと思ったが、そうではないという。このおばあちゃん、皇居近くの新橋の生まれで、子どもの頃から陛下の顔よく見ているので、間違うはずがないというのだ。彼女は86という高齢だけど、まったくぼけてはいない。記憶もしっかりしている。だけど、17年の壮行会の記録は見あたらない。
 当時の侍従長の日記とか、新聞まで当たらなきゃいけないと思っているのだが、なかなか時間がなくてねえ。

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最近、内山節のいうローカリズムという思想がええなあと思っている。それで「ローカルな場所で」という文章を書いて芥川だよりに投稿した。こんな感じ。


 家の近くに八幡神社がある。創建は十二世紀末、鎌倉時代にさかのぼる。鎮懐石という男根石がご神体だ。
 参道を横切るように、北国街道が善光寺へのびている。社殿が建てられてまだ数年しか経っていないころ、流罪地の越後から常陸に向かう親鸞はここを通っている。どのような姿で、どのような思いをいだいて、この神社の側らを通りすぎていったのだろう。師法然の、神祇不拝という教えにしたがって、神社に手を合わせることなく、横目に少し視線を向けただけで立ち止まらずに善光寺へと急いだのだろうか。そんな想像をはるか昔に広げてみる。
 四月末、年に一度の例大祭をむかえるにあたって、早朝から氏子が集まって境内の大清掃をした。小学生くらいの子どもから八十を超えていると見られるお年寄りまで三〇〇人を超える氏子たちが、鎌や熊手を持ちよって、雑草を刈り、ゴミを集めて燃やす。子どもたちは奇声をあげながら走り回っている。笑い声が絶えない。
 その日の昼、僕の班は花見会をした。毎年恒例の会にもかかわらず、僕だけは初めての参加だった。近所の人たちと食事をし、盃を酌み交わしながら話をするだけなのだが、こういうコミュニティはたいせつにしなければいけないなと思った。この地区の歴史、人々の暮らしぶり、野菜のつくり方……などなど、この地区のローカルな話題ばかりだ。これが哲学者内山節のいう[里]というものなのだろう。
 近代は「自然や歴史、地域や共同といった関係のなかで生きる人間の世界をこわし」てきた。そういう世界を回復させる場所をもたなければならない。それが過去の自然や人間の営みが見える場所、[里]である。いま自分が生きる場所には、そこにしかない自然があり、歴史がある。そういう肌で触れあうような関係性のあるローカルな世界からすべてを組み立てなおす必要があるのではないかと内山はいう。
 二十世紀の終わりには、われわれは市場経済のなかで暮らすことに疲れ、戦争を産みだす社会の一員として生きることに倦み、かつては光り輝いていた平和とか反戦とか繁栄、科学、技術という言葉が色あせて見えてしまう。かといって、それに変わる新しい価値を見いだせない。
 現実の世界はいまグローバリズムにどっぷりと呑み込まれている。グローバリズムとは世界のアメリカ化だ。ソ連崩壊以後、唯一の超大国になったア
メリカは、アメリカ型市場経済を世界に押しつけ、アメリカ型システムで世界を統合しようとする。そういう一元化になじまないローカルなシステムはアメリカに反撥し、衝突することになる。それが顕著なかたちになってあらわれたのが、二〇〇一年の九・一一テロである。
 アメリカのおしすすめるグローバリズムは、建国前のアメリカ大陸でおこなわれた西部開拓と重なる。近代文明で武装したアングロサクソンは、アメリカ大陸という新たなフロンティアを開拓していくのだが、そこには数千年の昔から暮らしているアメリカインディアンと呼ばれた先住の民がいた。彼らにとって「開拓」とは、先祖伝来の土地への侵略であり、生活の破壊、文化の破壊であった。アングロサクソンは、先住民が幾世代ものなかで築きあげてきた文化、価値観や信仰をローカルなもの、劣ったものと卑下する。それは彼らの尊厳を踏みにじることである。アングロサクソンの理不尽な開拓にたいして、誇り高いインディアンは命がけで抵抗するのは当然であった。
 アメリカの文明を支える原理は普遍的価値があり、世界にもその原理を広げていくのが正義だと信じているのだろうが、じっさいは世界に貧困を生み、テロを生みだすことになった。「正義」に抵抗するものは武力で対抗する。アフガン戦争でもイラク戦争でもアメリカにとっては「正義」の戦争である。武力は平和をもたらす有力な手段だと考えているのだ。平和を実現するための戦争は肯定される。初の黒人大統領が誕生したが、アフガン政策を見るかぎり、武力による平和主義は変わらないように思える。平和主義といっても、非戦を前提とする日本の平和主義とはまったく異なる。
日本のアメリカ化は、世紀が変わって登場した小泉という、アメリカに従順な変人首相によって一気にすすめられた。彼は「自民党をぶっ壊す」とか「改革」「小さな政府」という言葉を連呼した。小泉の強調する「改革」によって、新しい日本が生まれ変わるような印象を国民に与え、漠然とそんな幻想を抱かせた。
その実態は、アメリカ型の新自由主義経済原理をとりいれ、大企業よりの政策をすすめ、格差社会を創出させることだった。自衛隊をイラクへ派遣するという憲法違反までして、アメリカの要望どおりに日本を「改革」した。これほどアメリカに従順な小泉政権をマスコミは支持し、国民もあつく支持した。批判する人たちはパージされた。その傲慢な手法は、アメリカが武力を背景に「正義」を押しつけるやり方と同じである。


最悪の事態

 ウルムチで起こった暴動は、ウイグル対漢族という民族対立に発展した。150人を超える死者まで出した武力弾圧は、昨年起こったチベット暴動を想起させる。当局は、海外に拠点を置く独立派や亡命ウイグル組織があおったものだという非難も、チベット暴動のときと同様である。
 中国にとって、ウイグルやチベットの独立は絶対に受けいれられない。自治の拡大というかたちにせよ、妥協するわけにはいかないだろう。国家が解体に向かうことをもっとも恐れるからだ。
 僕は20年以上前にウルムチ、カシュガルに行ったことがある。登山のために通過しただけだが、バサールの中に入っておどろいた。ここは中国じゃないんじゃないかと錯覚してしまうほどだったからだ。青い目、金髪、わし鼻のウイグル人を中国人と呼ぶのはためらわれた。チベットにはじめて訪れたときも同じ感慨をもった。
 今回のウイグル暴動の背後には、チベットの場合と同じように、ウイグル人に対する漢族のぬぐいがたい差別、蔑視があるのは間違いないだろう。それは中華思想からくるのだろうが、そういう意識が強ければ強いほど共存共生はむずかしい。
 とくに宗教に対しては、共産党員はすべからく迷信にすぎないという認識だから、宗教を信仰する人間を一段低く見下す。チベットで人々が仏を拝む姿を嘲笑する漢族をどれほど見かけたことか。
 カシュガルの中心部に右手を捧げた巨大な毛沢東像がたっている。偶像崇拝を嫌うイスラム教徒にとって、醜悪そのものであろう。
 19世紀、北の熊(ロシア)が南下し、南の獅子(イギリス)が北へ膨張し、中央アジアにおいて熊と獅子がせめぎ合うグレートゲームのさなか、1866年、ヤクブ・ベクによって清の軍勢が東へ追い払われて、タリム盆地にカシュガリアという独立国が誕生した。ロシアもイギリスもカシュガリアと親密な関係を築こうとして、また互いの監視のために領事館を置いた。両国とも主たる目的は貿易ルートの拡大であって、版図に治めようという野心はない。イギリスは、自国の工業製品とインドの茶の市場が新しく開拓されることを期待した。ところが、清は違った。領土の奪還である。1877年にカシュガルを占領にした清は、タリム盆地の領土を回復して、この地を新疆(新しい領土の意)と命名する。これが、中国が不可分の自国領土と主張する根拠である。ただ20世紀前半に、独立運動によって東トルキスタン・イスラム共和国と東トルキスタン共和国が成立するが、数カ月あるいは一年あまりの短命に終わっている。
 こういう歴史をもつウイグルを中国が不可分の祖国といくら主張しようが、ウイグル独立の火種は消し去ることはできないだろう。今回のように武力をもって弾圧すればするほど、逆効果ではないかと思う。だが、中国は容赦なく武力をつかってウイグルの動きを封ずるであろう。
 ウイグルにせよチベットにせよ、漢族中心の中国に対する激しい反発は、世界のアメリカ化というグローバリズムに対して世界のいたるところで起こっている反発と同根のような気がする。一つの価値観を押しつけていくというやり方だ。
 民族対立は、20世紀末期に起こったバルカンの民族紛争が示すように、憎悪が増幅して残虐な事態に発展しやすい。ウイグル対漢族という民族対立を中国はどのようにおさめるのだろうか。やっぱり、ウイグルを武力で徹底的に押さえ込み、それを隠蔽するんだろうかねえ。

川勝平太

 どうもパソコンが思うように動いてくれない。とつぜんInternet Explorerやソフトが開かなくなるのはどういうわけかねえ。

 もうすぐやってくる総選挙をうらなう前哨戦として、静岡県知事選と都議選があるが、静岡知事選のほうは、6月に入ってから立候補した川勝平太が民主党の支援も得て、優位に立っているようだ。
 10年ほど前に川勝は『文明の海洋史観』で注目され、僕もいくつかの論文を読んで、たいへん興味深く感じ、彼の考え方に共鳴したものだ。
 2005年の何月号かは忘れたが、月刊『文春』で、小泉の次の首相に誰を推すかというアンケートに対する著名人の答えが掲載されていた。川勝平太の名もあった。彼の答えを見たとき、僕は唖然とし、川勝に対する好印象が一気に瓦解した。川勝の推したは「櫻井よしこ」である。川勝のとなえる海洋史観の根っこは復古史観なんだと思った。新しい歴史教科書をつくる会の賛同者でもある。
 けっきょく安倍晋三が首相になるのだが、川勝は安倍政権の「美しい国づくり」プロジェクトの委員になるし、教育再生会議のメンバーでもあった。ようするに安部のブレインだのだ。そもそも「美しい国」なんていうスローガンも川勝の入れ知恵だと僕は思っている。もっとも、川勝自身もいっていることだが、「美しい国土の創造」という目標は、橋本内閣のとき第五次全国総合開発計画がかかげた「二一世紀の国土のグランドデザイン」のなかにある。
 安部のブレインである川勝が、静岡知事選では民主党の推薦を受けた。不思議でも何でもないが、あのソフトイメージの裏には安部と同じ超タカ派体質があるということは忘れずにおこう。

目から鱗の身体繰法

 以前に簡単にふれたが、昨年「古武術クリニック」という講習を受けた。講師は、最近テレビにも登場し、いまや広く知られる武術研究家の甲野善紀さんだ。著書は20冊を超える。彼は30年間日本に伝わる武術を研究し、その身体繰法をよみがえらせようとしている。
 古武術の身体繰法は、格闘技に限らずいろいろなスポーツに応用がきき、日常生活にも、たとえば歩き方や重いものを持ち上げるときなど、さまざまな局面で活かすことができる。古武術の技ができると、体の操り方次第でこんなことができるのかと、目から鱗が落ちる思いなのだ。そして楽しい。
 甲野さんも指摘することだが、明治以前は体育、スポーツというものはなかった。明治にはいると、欧化政策によって、ヨーロッパで行われていた身体運動や近代スポーツが採り入れられるようになる。それを受けいれ実践したのは軍と学校である。ラグビーやボートや登山やスキーといったスポーツは、近代青年にふさわしい運動文化として奨励され、明治の終わりごろには定着する。と同時に、明治以前の、武術あるいは生活文化から編みだされた身体繰法は、近代以前のおくれたものとして廃れてしまった。
 明治以前では、体をつかうといえば仕事をするのときが中心だ。仕事の効率をあげるために、わざわざ腕立て伏せや腹筋やスクワットをして体を鍛えあげるなどということはしなかった。そんなしんどい思いはせずに、より楽に体を操って仕事をしようと考えていたにちがいない。武士にかぎらず民衆も、歩き方にせよ、走り方にせよ、物のもちあげ方にせよ、体の操り方は現代人とはだいぶちがっていたようだ。
 たとえば、ナンバ走り、飛脚の走法である。丹田に重心をおとして、体幹をねじらずにすり足のように走る、スプリンター末續選手が採用した走り方である。
 江戸時代までの日本人は、歩くとき、同じ側の足と手を同時に出して歩いていたというが、それは体幹をねじらないためだ。そのほうが楽に歩くことができたのだ。山でバテると、自然とそういう歩き方になる。(つづく)

パンデミック

 十日ほど前に豚インフルエンザの警戒レベルが、パンデミック=世界的流行を意味するフェーズ6に引き上げられた。感染者ががばたばたと死亡するような毒性の強いウイルスではないが、世界中に感染者が広がりつつある。新型インフルエンザは、波状的に感染が広がるのが特徴のようだ。だから、感染の広がりがおさまったからといって、安心はできない。
 豚インフルは弱毒性だが、怖いのは毒性のつよい鳥インフルだ。今のところ鳥からヒトへの感染にとどまっているが、このウイルスがヒトからヒトへ感染する新型インフルへ変異するとたいへんなことになる。豚と違って、鳥は空を飛ぶ、渡り鳥には国境などない。この新型の鳥インフルエンザウイルスの誕生はいつ起こってもおかしくない状況にあるらしい。
 過去に起こったインフルエンザのパンデミックの例としてよく取り上げられるのが、大正7年(1918)に世界中で猛威をふるったスペイン・インフルエンザだ。当時は「スペイン風邪」といわれた。日本でも多くの犠牲者がでたにもかかわらず、この天災は近代史に記述されていないし、年表にものっていない。なぜかわからないが。
 スペイン・インフルエンザについては歴史人口学の速水融さんがくわしい。犠牲者は4千万人にのぼり、第一次大戦の戦死者の4倍である。記録のある限りでは人類の歴史上最大の人的被害である。日本では、速水さんの推計では45万人にのぼる。この死者数は、日本で最大の病死者数であろう。関東大震災の犠牲者数でも10万である。当時の人口5500万人のうち半数は罹患したと速水さんは推測する。
 日本には3段階に分けてやってきた。第一波は1918年5月から7月で、高熱で寝込む者はいたが、死者は出ていない。第二波は、1918年10月から翌年5月までで、26万6千人の死者がでた。11月がもっとも猛威を振るい、死者は翌年1月に集中した。第三波は、1919年12月から翌年5月までで、死者は18万7千人である。このようにインフルエンザは流行を繰り返すということを、速水さんは警告する。
 かなり高い確率で近未来に起こるであろう新型鳥インフルエンザのパンデミック……、そうとう深刻な事態に陥ることはまちがいないだろう。感染者の死亡率は50パーセントという高さなのだ。