悪夢ふたたび(2)
アメリカやフランスは、事故後数日で自国民に避難勧告を出した。それは四号機の爆発によって放射能が拡散し、東京までもが汚染されるからだ。外国人が関西に避難し、それに促されるように金持ちが移動した関西では、ホテルの満杯状態が続いた。四号機の危険については日本国民には知らされていなかった。政治家もジャーナリストも一部しか知らなかっただろう。今も多くの国民は知らないかもしれない。
四号機が爆発しなかったのは、神のはからいとしかいいようがない。二つの偶然が重なって爆発を免れたのだ。それは、四号機で行われていた工事が遅れて、本来水のないプールに満々と水がたたえられていたからであり、そのプールの水が、たまたまずれていた仕切り板のすきまから隣の使用済み核燃料の部屋に流れ漏れていたからである。その水によって1500本を超える使用済み核燃料が冷やされ、爆発しなかったのだ。爆発していれば、放射能が広範囲に拡散し、東京は福島に見られるようなゴーストタウンと化し、いまの日本はない。
こんな状況に立ち至っていたにもかかわらず、この地震多発国で原発を再稼働しようとか、新たな原発をつくろうなどと考えるのは正気の沙汰ではない。昨年暮れの総選挙で大勝ちした自民党は、過去の反省のないまま原子力村温存、原発推進が本音である。
死票が多く、民意が議席数に反映しない小選挙区制は憲法違反じゃないかと思うのだが、昨年暮れこの国の人々は自民党政権を選んだ。争点は原発、消費税、TPPがあったが、人々は目先の経済政策を重視したようだ。格差社会受けいれ覚悟なのだろうか。
安倍は、メディアがはやし立てるアベノミクスとやらで景気を上向かせ、参院選で勝利して、いよいよ自らの最終目標、改憲へ向かおうと考えているのだろう。自衛隊を正規軍にし、集団的自衛権を行使して、アメリカとともに海外で戦争ができる国にしようというわけだ。
安倍は五年前と同じ「価値観外交」なる政策をやろうとしているようだ。自由、人権、民主主義という価値を共有する国々が連携していこうというわけだが、五年前にはこの政策を実行しようとして大恥をかいている。安倍がインドを訪れ、外相の麻生太郎がオーストラリアを訪れて、両国に断られ、おまけにアメリカからは、もっと慎重にやったほうがいいよとたしなめられる始末だった。この外交には価値の異なる中国は当然入っていない。むしろ封じ込める意図があり、アメリカも喜んで乗ってくれると考えたのだろう。性懲りもなく、同じような政策を打ち出している。こんどは東南アジアも加えて、中国封じ込めをますます強めようと考えているようだ。
改憲して、国家、公益のためには国民の自由や人権を抑制してもいいんだと考えている安倍や麻生が、何が価値観だ、笑わせるな。
小泉から安倍に変わり、福田、麻生と首相がころころと変わったのだが、OECD(経済協力開発機構)の諸国は三人をどのように見ていたかというと、「無能」である。あまりの無能さに欧米諸国の嘲笑を買っていたようだ。
五年前は選挙を経ていないが、今回の安倍、麻生の再登場は選挙の結果である。欧米諸国はこんな日本をどのように見ているのだろう。安倍自民党を大勝ちさせたこの国の人々はやはり愚民か。
悪夢ふたたび
六年前、自民党政権が郵政選挙で獲得した数の力で、強行採決を連発したのは記憶に新しい。教育基本法改正法、国民投票法など、憲法に関連する法案をはじめ、改正イラク特措法、教育改革関連法案などなど、つぎつぎに強行採決していった。そして改憲へと突き進もうとしていた。その先頭に立っていたのは、誰に教わったのか、「戦後レジームからの脱却」とか「美しい国」などと聞こえのいい言葉を使いながら、本音は日本を戦争のできる国へ改変しようとを目ざしていた、あのケーハク右翼・安倍晋三である。その後いろいろあって参院選で自民党は大敗し、政権を投げだした安倍の顔を見ることはもうないだろうと思っていた。
ところが、今秋、二度と見たくなかったケーハク安倍が自民党総裁に返り咲いた。そして、アメリカと財務省に魂を売ったか、洗脳されたか知らないが、ドジョウならぬ脳なしノブタが、自滅とも自爆ともいわれる解散、総選挙に打って出て、民主党は議席を四分の一に減らす大敗、自民党は衆院で再可決できるほどの議席数を獲得した。つまり強行採決を連発したときと同じ状況になった。
安倍は、間違いなく改憲へと強行するだろう。連立するであろう公明党は、平和の政党としてどのようにふるまうのだろうか。安倍としては、ソリが合わない公明党ではなく維新の会なんかと組みたいところだろう。その代表は、維新の会を乗っ取って、相変わらず好き放題の暴言をわめきちらす、あのチンピラ右翼、政治的無能力者だ。このチンピラは憲法改正のために自民党と連携してもいいといっている。チンピラとケーハクが手に手を取り合って、日本を戦争のできる国に変えてしまうことだけは何としても阻止したい。
戦争をできる国にするためには憲法の条文を変えなければならない。自民党の改憲草案を見よ。立憲主義とは真逆である。憲法とはそもそも、国民から国家権力に向かって発している法であって、守る義務を負っているのは権力のほうである。自民党の改憲案は、権力から国民に向かって、〝公〟のためには国民は権利や自由は抑制しなければいけないといっている。本来憲法というものは国家権力を縛るものだけれども、自民党の改憲案は国民を縛るものなのだ。
寺田寅彦の警告
「昭和八(一九三三)年三月三日の早朝に、東北日本の太平洋岸に津浪が襲来して、沿岸の小都市村落を片端から薙(な)ぎ倒し洗い流し、そうして多数の人命と多額の財物を奪い去った。明治二十九(一八九六)年六月十五日の同地方に起こったいわゆる「三陸大津波」とほぼ同様な自然現象が、やく三十七年後の今日再び繰返されたのである」(「津浪と人間」)
その七十八年後の今年三月十一日、大津波が東北の太平洋岸を襲った。いくつもの町や村が壊滅した。二週間経ったいまも死者不明者が増え続けている。
マグニチュード9という震度は日本が初めて経験する大きさだそうだが、明治のときも昭和のときもそうだったように、地震そのものの被害はあまり大きくない。阪神大震災よりもはるかに小さい。甚大な被害をもたらしたのは津波である。明治の津波は三十八㍍、昭和の津波は二十八㍍、今回は十四㍍だそうだ。「想定外の天災」などではない。
科学者、寺田寅彦はいう、「『自然』は過去の習慣に忠実である。地震や津波は新思想の流行などに委細かまわず、頑固に、保守的に執念深くやってくるのである。……科学の方則とは畢竟『自然の記憶の覚え書き』である。自然ほど伝統に忠実なものはないのである」。
記紀には、「地震(なゐ)」が起こったことがひんぱんに記されている。鴨長明の『方丈記』は元禄二(一一八五)年に都を襲った「大(おお)地(な)震(ゐ)」についてくわしく描写している。「山は崩れて河を埋(うづ)み、海は傾(かたぶ)きて陸地(ろくぢ)をひたせり。土さけて水わきいで、巌(いはほ)われて谷にまろびいる」というすさまじさだ。
新しいところでは、幕末の嘉永、安政年間に日本列島を揺さぶりつづけた大地震の連鎖がある。黒船が来航した嘉永六(一八五三)年二月に相模大地震、翌七年六月に近畿大地震、同年十一月四日に駿河、遠江、相模一帯を大地震が襲い、翌五日には西日本一帯で大規模な地震が発生した。そして翌年の安政二(一八五五)年に起こったのが、江戸で七千人を超す死者を出した安政大地震である。
日本列島では太古より、地震や津波が「頑固に、保守的に執念深く」襲ってくるのである。
では、理不尽に襲いかかる天災にたいして、日本人は手をこまねくばかりで、厄払いや祈禱にのみ頼っていたのかというと、そうではない。
関東大震災の被害の状況を調査した寅彦は、そのときの見聞をもとに次のようにいう。
「昔の人間は過去の経験を大切に保存し蓄積してその教えにたよることがはなはだ忠実であった。過去の地震や風害に堪えたような場所にのみ集落を保存し、時の試練に堪えたような建築様式のみを墨守して来た。それだからそうした経験に従って造られたものは関東震災でも多くは助かっているのである」「信州や甲州の沿線における暴風被害を瞥見した結果気のついた一事は、停車場付近の新開町の被害が相当多い場所でも古い昔から土着と思わるる村落の被害が意外に少ないという例が多かった事である。……旧村落は『自然淘汰』という時の試練に堪えた場所に『適者』として『生存』しているのに反して、停車場というものの位置は気象的条件などということは全然無視して官僚的政治的経済的な立場からのみ割り出して決定されているためではないかと思われるからである」(「天災と国防」)
昔の日本人は自然に従順で、自然に逆らうようなことはなかった。ところが、「文明が進むに従って人間は次第に自然を征服しようとする野心を生じた。そうして、重力に逆らい、風圧水力に抗するようないろいろの造営物を作った。そうしてあっぱれ自然の暴威を封じ込めたつもりになっていると、どうかした拍子に檻を破った猛獣の大群のように、あばれ出して高楼を倒壊せしめ堤防を崩壊させて人命を危うくし財産を滅ぼす。その災禍を起こさせたもとの起こりは天然に反抗する人間の細工であると言っても不当ではないはずである」。寅彦のこの言葉のつぶては、八〇年の歳月を超えてそのまま現代のわれわれを撃つ。津波堤防ひとつ思い起こしてみればいい。
もうひとつ、深刻な問題がある。寅彦の時代では予想を超えた魔物の登場である。今回の地震を契機に、ついにあの悪魔がその本性をあらわしたのだ。いままでなにくわぬ顔で、「安全でクリーンですよと」装っていたあの原発という、地球上でもっとも強力で最悪な毒をつくりだす悪魔だ。この悪魔は津波というムチのひとたちで、怒り狂ったように暴走をはじめた。放射能という猛毒をたれ流しながら。
「芥川だより」投稿記事より
五十肩
先月、朝起きたとき、締め付けられるような強烈な痛みが首筋から背筋、左肩胛骨にかけておおっていた。起きあがるだけでつぎの動作に移れない。これでは、お袋の介護はおろか、日常の生活ができないではないか。どうしたものか、悩んでいるうちに、これは五十肩であろうと思いいたった。
背中の左側に、たちの悪いアメーバがべったりと張りついて、俺の身体から生気を吸い取ったうえに、まわりがはやくて効き目の強い毒を注入しているといった感じだ。鋭い鈍痛というか、わけのわからん痛みだ。この痛みを起こしている元凶、アメーバを退治するにはどうすればいいか。そこで思いついたのは、灸だ。とくにきつーい灸を、俺の背中にへばりつくアメーバの背中にすえてやろうと思いたった。熱さがハードで長続きする無煙のお灸が手もとにある。まだ試みたことがない。これをためすときがきたようだ。
どのツボがいいかなんて調べている余裕がない。とにかくこの痛みを何とかしなければならない。手の届く範囲で、経脈上に指を滑らして、このへんだろうと思われるところにピンセットをつかって二つのお灸をすえた。30秒ほどすると、ジワーと熱くなる。熱さがさらに増してくる。赤く焼けた針を身体に刺しこまれているような熱さだ。とにかく、ガマン、ガマン。
熱さがおさまり、灸をはがすと、その部分の皮膚が赤く腫れあがっている。しばらくすると、水疱になった。
肩の痛みは変わらないままだ。ちくしょうと舌打ちして、この憎きアメーバにもっと灸をしてやろうと思ったとき、思い出した。『鍼灸の挑戦』(松田博公著、岩波新書)という本に、五十肩の特効穴が書かれていた。さっそく繰ってみるが、なかなか見つからない。
痛みはいっこうにおさまらない。痛みのある部分を指で押して、ここがツボだろうと思うところに、また一つお灸をする。熱さをこらえながら、本を繰りつづける。
「あった!」。五十肩の特効穴、「王穴」だ。このツボは、膝の内側の陰陵泉というツボのすぐ下の圧痛点であるというのだが、あまたの鍼灸の本を見ても、この王穴について書かれていない。肩とはかけ離れた膝などに効くのだろうか。しかも左右反対にとれという。つまり、俺の場合は左肩だから右膝にとれというのだ。
もう、この痛みを取りのぞいてくれるなら……、と躊躇することなく王穴に灸をすえた。はたして……、次第に痛みが薄れて、一時間ほどで、お袋の介護ができるようになった。王穴の灸が効いたのだろうか? わからん。だけど、完全に痛みがなくなったわけではない。
翌朝起きると、きのうと変わらない痛みに襲われるが、きのうよりは痛みの範囲が狭まってるような気がする。またきついお灸を据える。こんどは姉に手伝ってもらって、手の届かないところにしてもらう。
すると、アメーバが移動するようになった。三日目は肩関節、四日目は肘にまで痛みが移動してきたのだ。しかも痛みの範囲が確実に小さくなっている。アメーバ退治までもうすぐだ。もっと灸をすえたやろうと、肩や肘にきつーいヤツをやる。
最初、灸の熱さはじーっとガマンするものであったが、次第に、慣れるにしたがって、なにかしら、刺すような熱さが快感のようになってきた。もう一つ上のランクのつよいヤツを試してみようか、なんて思ったり……。危険水位を超えて、怪しい世界に足を踏み入れてしまったか。アブネー、アブネー。
アメーバは日に日に縮小し、10日ほどで痛みはなくなった。だが、どことなく痺れがある。力が入らず、フライパンで炒め物がつくれないのだ。
この痺れが解消するには時間がかかった。完全にもとの状態に戻ったのは発症してから一ヵ月後である。
お灸はつよければそれだけ効き目があるわけではない。かえって逆効果になってしまうことがある。危ない世界への誘惑もある。気をつけよう。
最近やたらと目にとまるんだが
人の目を引く通りの角なんかには各党の立候補予定者のポスターが並んでいるが、そのなかに「幸福実現党、党首大川きょう子」というおばちゃんのポスターが必ずといっていいほど含まれている。同じような印刷物が最近新聞のチラシにも入っていた。
母体が宗教法人幸福の科学であり、その政治的主張、チラシによれば北朝鮮先制攻撃とか、消費税/相続税をゼロにするというような、現実的とは思えない政策を大まじめに掲げているのには驚きだが、全国の選挙区、比例区の多くに、すべてかもしれないが、立候補をたてている。そこで思うに、これだけの選挙運動を展開するとなると、莫大な金がかかる。その金の出所はといえば、幸福の科学だろう。宗教法人は税を優遇されているが、優遇されすぎじゃないのかと思うねえ。これだけ国の財政が逼迫していて、税収不足といわれているんだから、坊主丸儲けみたいな宗教法人の課税システムを見直してもいいじゃないのかと思う。「平和と福祉の党」(お笑い)公明党が与党にいては無理だろうけどね。
いったい、なぜいま、幸福の科学が政党を立ち上げたのだろうか。公明党につづけとばかりに、この国の政権与党の一角を担う勢力になるつもりなのか、それどころか、第一党を本気で目指しているようでもある。政党を立ち上げた以上は、政権与党を目指すのは当然かもしれないが、こんな政党が国政に影響力をもつようになれば、幸福実現どころか、国を危うくすることは間違いないだろうね。
思えば、オウム真理教が真理党なる政党をたてて、麻原以下二十人あまりの立候補たてて総選挙にのぞんで、全員落選したことがあった。落選は当たり前だけど、当選を信じて疑わなかった麻原は、落選したのは国家権力の陰謀だとわめきたてた。オウムが排他的になってますます危険きわまりないカルト集団になっていったのは、あの選挙後だった。
