173.世間が失敗を許さない風潮となった明確な出来事があるとするならば、何時どのようなことがあるだろうか?

失敗を許さない風潮の転換点
 失敗を許さない文化は一夜にして生まれたわけではなく、経済・社会の変動とマスメディア/SNSの強化が相まって進行してきました。とはいえ、節目といえる出来事を挙げるなら、次のような“4つのターニングポイント”が指摘できます。

1. 1991年 バブル経済の崩壊
“終身雇用・年功序列”モデルのほころびが表面化。
大規模リストラや早期退職勧奨が始まり、企業は「ミス=許されないコスト」と捉え始めた。
マスメディアも不祥事・社内不正の報道を加速し、企業・個人への監視が強化された。

2. 2008年 リーマンショック
世界規模の金融危機が"成果主義リスク"をいっそう苛烈に。
グローバル市場の即断即決が求められ、ほんの小さな失敗でも解雇・降格の理由に。
「失敗は二度と許されない」という雰囲気が各業界に浸透。

3. 2011年 東日本大震災・福島第一原発事故
安全神話の崩壊に伴い、政府・企業への責任追及が社会運動化。
事故調査報告書や報道番組での謝罪シーンが“世間の目”を象徴し、「謝れば済む」風潮を一層強固に。

4. 2015年以降 SNS時代の炎上文化
TwitterやYouTubeなどで“瞬時に”個人の失敗が拡散し、永続的なバッシングに発展。
いったん"ツイ消し"や謝罪動画を出しても、キャプチャーされて炎上が収まらないケースが頻発。
日本社会全体が「一度のミスがキャリアを決定づける」という自戒モードに入る。

背景にある「ノーミス前提社会」
 そもそも日本には「失敗=恥」という意識が根強く、学歴・勤続・資格など“無謬性”を重んじる風土があります。近年はそれが「ノーミス前提社会」と呼ばれ、欧米に比べデジタルで遅れを取る要因とも指摘されるほどです。また、IT業界などでも「恥文化」が失敗回避行動を助長している実態が報告されています。

 これらはあくまで代表例です。もし「自分のキャリアで起きた失敗が許されない」と感じるなら、どのタイミングで・どんな出来事が心に刺さったか、自身の体験と照らし合わせてみると、より鮮明に“転換期”が見えてくるかもしれません。

 次は「この閉塞感をどう打ち破るか」について深掘りしてみませんか?

参考文献

 

 

「ノーミス前提社会」 Wikipedia 

 

 

「失敗を恐れる日本の風土を考える」IT Leaders2
(おわり)

 

172.悪い完璧主義について。どうしても手癖は抜けず、完成形や相手方の了見など考えると手を抜くことができない

悪い完璧主義が生む罠
 今のままでは「いつまで経っても終わらない」「人に任せられない」といったストレスを抱え込みやすいよね。根っこには「自分の価値は成果の完璧さで決まる」という思い込みが潜んでいることが多いよ。

悪い完璧主義が抜けない理由
過去の成功体験が強化されている 一度細部まで突き詰めた結果、高評価を得た経験が「こうしなきゃ」という思考パターンを固定化する。
他者の評価への過度な依存 「これで大丈夫かな…?」と不安になり、相手の目線を気にし続けることで手を抜けなくなる。
習慣化された自己批判 小さなミスさえ許せず、自分に厳しすぎるフィードバックを延々と繰り返してしまう。

悪い完璧主義から抜け出すステップ
1.ゴールを「ベストではなくベター」にシフト 完璧ではなく「80~90%の完成度でリリース→改善」を前提にする。
2.タイムボックスを設定する タスクごとに時間を決め、タイマーで区切る。残り時間でどこまで詰められるかをチャレンジしてみよう。
3.小さなフィードバックを重ねる 完全形を目指すより、完成度60%→周囲のリアクションをもらい、次に活かす。
4.他者に任せる練習 信頼できる仲間や同僚にタスクを割り振り、途中のチェックポイントだけ設ける。
5.自己肯定のための記録を残す 「ここまでできた自分」を日々リスト化し、達成感を可視化して自己評価をアップ。

注意点とポイント
クオリティを落としすぎないバランス感覚が鍵
一度に全てを変えようとせず、ステップごとに習慣化する
振り返りの時間を必ず設け、次回につなげる

 次は「いい意味での時間管理術」や「周囲の視点をポジティブに活かす方法」についても深掘りできるけど、どれが気になる?そのほか別テーマでもOKだよ!
(おわり)
 


舞「こんにちは。前にキャラクターを野球選手っぽいビジュアルで考えてるって話、したと思うんですよ。結構外部からはジャンルもバラバラで、それでいて偏っているかもしれません。今回は一気に流します。」































 まあ、野球じゃないんだが。要は集めたかっただけ。番号については下2桁をイメージで考えた。
(おわり)