パキスタン地震募金

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現地の復旧の状況

お久しぶりです。

実は2月の1ヶ月ほど、家族でパキスタンの主人実家に滞在してきました。

厳密には主人は1週間ほどで日本に戻り、私と子供たちだけがしばらく残りました。

そんな状況やその他のこともあって、被災地からそう遠くはない実家にいたとはいえ、今回は支援活動も状況を調べる事なども残念ながら特にはできませんでした。

しかし見てきたことが多少はありますので、そのことを書きます。


以前にも何度か書いたA市。

被災地のひとつマンセーラなどから降りて来た被災者のための大きなテント村が何箇所かにありました。

テント村の上にはたくさんの電灯が設置されていて、夜も結構明るく照らされていました。

食事は毎回配られるとのことでした。

A市もマンセーラなどほどではありませんが被害があった町でもあり、崩れた建物やひびわれた壁などがあると聞いていました。

しかしそういった物は取り壊されて更地にされていたり修復がすっかりすんでいて、被害を直接見るということはありませんでした。震災のあったことを知らなければ、まるで何事もなかったかのようでした。ただしテント村だけは目につきますが。


首都イスラマバード。

こちらも郊外に多くあるテント村は目に付きますが、町はもちろん震災前と同じ様にきちんと機能していました。


一般のパキスタン人の間では、テント生活などをしている被災者が元の村や町に戻れるよう、山の方が暖かくなる4月ごろを目指して国がマンセーラやムザッファラバード、その周辺に家を建てている、という人が多かったです。それがどの程度すすんでいるのかは、誰も知らないようでした。


そんな中、同じ2月にフリーランスの報道写真家である中司達也さんが、被災地の山奥まで実際に行かれて状況を詳しくご自身のブログで報告されています。

「報道写真家から」

http://blog.goo.ne.jp/leonlobo/d/20060217


まだ国の軍関係者も他の国の報道機関も、各国の支援団体も、震災後から全く誰も訪れておらず、中司さんが始めての訪問者、というような地域のことまで詳しく載っています。

これを読むとまだまだ支援の必要なこと、その難しさなどがよく分かります。

ぜひご覧下さい。


追記;このブログの最初のほうの記事(『友人Fさんのこと』 http://ameblo.jp/msmsms123/day-20051011.html )で、私の友人でパキスタン在住のFさんのことを書いたものがあります。

山のほうに住んでいて地震のあと連絡が取れないが、と書きました。今回の滞在でそのFさんに直接あちらでお会いすることができました。地震そのものとは関係なく、たまたまその前後が様々な状況により連絡がつかないだけだった、ということが分かりました。また、地震の際には以前住んでいた山のほうではなく、イスラマバードに既に引越しされていたことも分かりました。

Fさんをご存知の方もそうでない方も、私の記事のせいで余計な心配をかけてしまって申しわけありませんでした。Fさん自身からは勝手に記事にしたのにも関わらず、私がこういう活動をしていることをその時知っていれば、現地から何かお手伝いできたかもしれないのにと優しいお言葉をいただきました。


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