僕がまだ子供の頃、
「フォークソング」や単に「フォーク」と呼ばれる音楽の潮流が世界的に勢いと、文化に対する大きな影響力を持っていて、
アメリカでいえば
ピーター・ポール&マリー(Peter, Paul & Mary)や
サイモン&ガーファンクルには昔から興味があったのですが、
(Hangman - アルバム"See What Tomorrow Brings"収録)
ジョーン・バエズさんについては、
その高い知名度の割に、
「ドナ・ドナ」や「勝利を我等に(We Shall Overcome)」など、教科書や歌集に載っているような有名な曲を除くと
どんな曲を歌って来られたかの知識がこれまで僕になく、
日本の洋楽番組などでも取り上げられることが少ないように感じていて、
ふと興味を持って調べてみました。
バエズさんは、1941年ニューヨークStaten島生まれ
父親は、メキシコ生まれで幼い頃アメリカに移住し、メソジスト派(プロテスタント)の牧師の息子として育ち、物理学者となった方で、母親は、スコットランド・エディンバラにある聖公会の大きな教会の司祭の娘として生まれ、やはり子供の頃、アメリカに移住して、二人は高校でのダンスの際に知り合ったそうです。(これだけでも数奇な縁を感じるロマンチックなストーリーですね。ちなみにお母さんは2013年に100歳で亡くなっていますが、亡くなる少し前に書かれた、家族や友人宛ての短いメッセージは感動的です。 下のリンクの英文記事でも読めます)
お父さんは、X線反射顕微鏡の共同開発者としても知られる方でしたが、軍需産業での地位を断り、MITなど多くの大学に勤務し、ユネスコにかかわる仕事にも取組みました。
バエズさんは、13歳のときに観たピ-ト・シーガーのコンサートをきっかけにフォーク音楽に傾倒し、1959年及び翌年のニューポート・フォーク・フェスティバル参加で注目を浴び、1960年11月に1stアルバム"Joan Baez"がリリースされるなど、次々に大きな成功を収めて行きました。
1961年には、ボブ・ディランに出会い、その後、ライブ、ツアーで共演したり、ディランの曲をアルバムに積極的に採り入れるなど、大きな関わりを持つようになります。
(With God On Our Side アルバム"Joan Baez in Concert, Part 2"他収録)
ディランの曲で、神の名の下に戦争や抑圧が正当化されてきた歴史について歌われています。
(アメリカに限らず、日本でもそれに近いような時代がありましたし、21世紀に入ってからの世界を見ても、
時代を超えたメッセージ性を持つ歌だと思います。)
バエズさんは、活動の初期からアメリカの公民権運動やベトナム反戦運動に深く関わって行きます。
(The Night They Drove Old Dixie Down アルバム"Blessed Are..."他収録)
ザ・バンドのカバー曲で、1971年にシングルとして発売され、Billboard Hot 100で週間3位を記録しました。
南北戦争の南軍側で働いた貧しい男性の悲哀を描いた骨太な曲ですが、この曲自体はどこかで聴いた記憶はあるものの、バエズさんの歌声だと知って驚きました。サビの男女混声によるコーラスも非常に効果的で、ヒットシングルとなったのもうなずけます。
バエズさんは、一応の区切りとなった2019年の"Fare Thee Well"ツアーに至るまで、世界各地へのライブツアーを重ね、60枚以上のアルバムを発表する一方、人権や非暴力などに関する社会活動を車の両輪の他方として精力的に活動され、最近においてもfacebookで多くの弾き語りを投稿されるなど、その常に前向きな姿勢には敬服の念を禁じ得ません。
まだバエズさんの足跡をたどるには、ほんの入口の段階ではありますが、僕は特に初期の音楽活動で採り上げられた、トラディショナル音楽の楽曲に強い感銘を受けたので、何の基礎知識もありませんがインターネットと感覚を頼りに次回以降、少し詳しく見てみたいと思います。