ホロドモール/ウクライナの強い民族主義はどこからきたのか?スターリンのウクライナ人絶滅計画
2022年3月17日
(ソース:Harano Times 2022/03/16)
「しかし、飢えで死ぬというのは、本当に恐ろしい事なんです。
例えば、食べる物がなくなった村では、人肉食が頻繁に行われました。
自分の子供を食べる人までいたんですよ。」
皆さん、こんにちは。今回皆さんに、ホロドモールに関連する動画を紹介します。
ホロドモールは、1932年から1933年に掛けて、ウクライナ人が住んでいる各地域で起きた人工的な大飢饉です。※ホロドモール - Wikipedia
この事を聞いた事がある方も多いと思いますが、何となく知っている方が大半ではないかと思います。今回の動画で、当時ソ連のウクライナに対して行った計画的な飢餓で、1千万人以上が亡くなった歴史を紹介します。
この動画は二部構成です。
前半はドキュメンタリーな形で、当時の状況をシンプルに分かり易く説明をします。後半は、アメリカの歴史学者ノーマン・ナイマーク博士が、あるインタビューでの、その歴史に対する説明です。
ナイマーク博士は、その歴史の分野を特に研究している方で、スターリンのジェノサイドという本を書いた事があります。日本語版も発売されています。このインタビューは去年のインタビューで、その発言は今回の戦争の影響を受けていない為、バイアスがなく、一学者としてその歴史を語っています。
今の国際政治に存在する色んな事を除いて、この戦争を知る為に、ウクライナとソ連の間に何が起きたのか、何故ウクライナ人は当時のソ連、そのソ連の主体を引き継いだロシアに警戒心を持っているのか、等を知る必要があります。
この戦争の事を全面的に知りたくて、実際に侵攻しているロシアの言い分もしっかり理解すべきと思っている方なら、ウクライナの歴史で何が起きたのかも知りたいと思っているはずです。
この動画も、前回皆さんに紹介したオデッサの悲劇の動画も、歴史と今起きている事の一部になります。これらの点を繋げて考えれば、もっと立体的な認識を得る事が出来ると思います。
これから必要な所で、又、説明を入れていきます。では、どうぞ。
<ナレーション>
1922年12月30日、新しい国家が誕生した。
軍事力と革命によって、数百の民族や文化を統合した、ソビエト社会主義共和国連邦(USSR)だ。
この連邦国家は、別名「諸民族の牢獄」と呼ばれた。
共産主義は、この新しい国家の指針、思想、宗教、文化となった。
そして、いつのまにか、何百万人もの国民を殺す口実になってしまった。
経済政策の一環として、この新国家は、集団農場化の道を選んだ。
「地上の楽園」を創造するという触れ込みは、実際には、個人農家を強制的に組織化し、国家に所有される集団農場という形で「実現」した。
(共産主義思想では)ユートピアが実現すれば、人々は、自分の土地と家畜を自主的に放棄する様になるはずだった。
人々は個人財産を全て国家に譲り、毎日集団で働き、生産した物は全員で貢献度に応じて分配するはずだった。
スローガンはこうだ。「働かざる者、食うべからず」
しかし、ソ連政府の真の目的は、ウクライナの村々を収奪し、破壊する事だった。
農民にとって、自分の土地を所有し耕す事は、幸福の基盤であり、家族の繁栄の拠り所だった。
土地を手放すという事は、将来の生活の保証と、自らのアイデンティティを手放す事と同じだった。
これは、数十年掛けて苦労して手に入れた物を全て手放し、価値観もイデオロギーも全く異質な国家に、それを委ねる事を意味した。
そして人々は、労働日数の実績に応じて、毎年末にみすぼらしい食糧配給を報酬として受け取る事が許された。
当時、ウクライナ人の10人中9人近くは、村に住んでいた。彼らの殆どは、自分の農場を所有していた。
個人農場主である事を放棄して、食糧配給の為に働く「奴隷」にはなりたくはなかった。
その為、1930年代初頭にウクライナの農民たちは、ソ連邦政府の方針に反対して、4千件以上の抗議運動を起こした。
自分たちの子供が何も食べられないのに、荒唐無稽なイデオロギーを実現する為に労働させられる事を、拒否したのだ。
ソ連邦政府にとって、個人主義思想や民族アイデンティティは、人々を「集団天国」へ導く際に邪魔な物だった。
その為、1932年にはウクライナに対して非現実的な穀物調達計画が立てられ、3億5,600万プードの穀物割り当てが課された。
1プードは約16.38kg。よって、約580万トンの穀物に相当する。
如何に、非現実的な数字であったかが分かるだろう。
この計画を正式に承認する為に、スターリンの側近であるカガノーヴィチとモロトフは、ハリコフに到着した。
2人は、スターリンがどんな犠牲を払ってでも既存の反対勢力を壊滅させようとしている事を、よく分かっていた。
特にウクライナの於いて、集団化政策が開始されて暫くすると、農民たちは集団農場(コルホーズ)を離れ、自分の農機具、牛、穀物を取り戻し、一斉に反対運動を開始した。
1932年8月7日
「国営企業、集団農場、協同組合の財産の保護、公的(社会主義的)財産の強化について」
という決議案が採択された。
この文書は、「穀物収穫割当法」としてよく知られている。
集団農場の財産を盗んだ場合、犯人は銃殺刑に処せられた。情状酌量が認められれば、最低十年の禁固刑で「許された」
「穀物収穫割当法」では、収穫時に地面に落ちた穀物を拾い集める事さえ、違法とされた。
同時に、特別巡回部隊が村の家々を回って、個人が持っている穀物を全て没収していった。
モロトフの「熱意」は留まる所を知らず、1932年11月18日には、ブラックリスト:所謂「黒い掲示板」を導入した。
(生産活動を遅滞させ、改善努力を怠り、地域の生産活動を危険に晒したとされる村は、ブラックリストに加えられた)
ブラックリストに載った村は、陸軍部隊に包囲され、村の出入り口を封鎖された。
塩、マッチ、灯油等の必需品は、全て店舗から持ち去られ、食糧は全て没収された。
つまり、人々をじわじわと餓死させる為の包囲である。
この様な管理体制が導入されたのは、ソ連邦内でもウクライナとクバーニ地方だけだった。
いずれも、ウクライナ人が多く住んでいた地域である。
スターリンとモロトフが署名した「ソ連共産党中央委員会・人民委員会決議」は、ウクライナとクバーニ地方の外に出て食糧を調達する事を禁じ、ウクライナ人を孤立させた。
1933年の春から初夏にかけて、この地域で史上最高の死亡率が記録された。
ソ連邦内の他の自治区や共和国では、この様な事は一切行われなかった。
大量の死亡者数を誤魔化す為に、スターリンは意図的に統計を改竄した。
1930年代初期に於けるソ連邦の出生率が高かった事を示すデータが、世界に示されたが、ウクライナの人口の壊滅的な減少に関する事実は一切隠蔽された。
生き残った人たちは、何十年も沈黙を守った。そうしなければ、自分自身や家族、友人の安全が脅かされたからだ。
そして、ソ連が勝利した。
立ち向かった者は破滅させられ、住民たちの反対運動は壊滅させられた。生き残った者は常に脅かされ、声を上げる者には何が起こるか、よく分かっていた。
殺す為に武器は必要なかった。飢餓で十分だったのだ。
<インタビュー動画>
ナイマーク博士:集団化政策は大失敗でした。多少余裕のある自営農家たちは、富農(クラーク)と呼ばれましたが、実際は別に裕福ではありませんでした。トタン屋根と牛があれば、誰でも富農と見做されたんです。
何も財産を持っていない人も、集団化政策に反対すれば富農とみなされました。
つまり、富農が何百万人もいた事になるんですよ。
ウクライナが、どういう地域だったか考えてみて下さい。
ご存知の通り、非常に農業が盛んな地域で、農民たちは田舎に住んでいました。
そして、集団化政策に苦しめられ、抵抗した。ロシアの農民よりも激しく抵抗しました。
時には自分たちの家を燃やし、自分たちの家畜を殺して抵抗しました。
農民たちは、時にはその場で銃殺されました。その上、何万人もの人々が追放されました。
だから、田舎で大火事が起きたんです。
その結果、ウクライナではひどい飢饉が起こりました。
ソ連全土で飢饉は発生していました。しかし、ウクライナでは農民が抵抗した事もあり、特に酷い飢饉が起こりました。
1932年~1933年に起こった事について話しましょう。
スターリンは元々、ウクライナ人に対する反感を持っていたのですが、更に強く反感を抱く様になるのです。
まず第一に、ウクライナ人は集団化政策に抵抗しています。
第二に、スターリンの期待通りに、彼らから穀物を徴収できていません。
そこで彼は、穀物を収奪する為に人を送り込み、農民から穀物を取り上げるのです。
警官、都市部のチンピラ、共産党員、貧しい農民等からなる暴力集団が村に入り、ウクライナの農民から穀物や動物を強制的に奪い取ります。
この様な事は、1932年にソ連全土で起こりました。
1932年12月、1933年1月~2月、スターリンはウクライナの農民に、誰がボスであるかを思い知らせる必要があると確信しました。
「ウクライナ人は穀物を引き渡さず、暴力集団にも抵抗して穀物を隠している。」
「ソ連に忠誠心を持たず、売国奴の様に振舞っている。」と考えていました。
そして、カガノーヴィチも言っていた様に、「ソ連を脱退してポーランドに加わる準備をしている。」とも考えていました。
つまりスターリンは、ポーランドがウクライナを狙っていると考えていたのです。
そこで、ウクライナの農民たちを、徹底的に弾圧する事にしました。
弾圧の方法として、ソ連邦の他の地域では行われていない収奪プログラムを実施するのです。
つまり、彼らが持っている物、全てを奪うという事です。
新しい法律が導入され、穀物を盗んだり、畑から何かを取ったりすると、子供であっても死刑に処されました。
食糧を探し回っている人は、誰でも射殺される可能性があったのです。
そして、ソ連邦の他の地域では導入されていない措置を、ウクライナに導入しました。
ウクライナの農民は、村から出る事が出来なくなりました。
(説明)
飢餓で亡くなりそうになり、外に行って食べ物を探しに行く人を、村の中に封鎖する事をやったもう1つの組織は、同じ様な共産党組織、中共です。
中共の共産主義政策で、大飢饉が起きた時、共産党はそれを隠す為に、農民が村から離れて食べ物を探す事を禁止し、多くの村を閉鎖しました。
当時3年間で、1,500万から5,500万人が亡くなったと言われています。
共産主義国家の政策は、貧乏や飢餓を生みます。
(本編)
ナイマーク博士:物を調達する為に、町へ行く事が出来なくなったのです。
ウクライナの農民が、ハリコフやキエフの街の歩道で死んでいる写真を見た事があると思いますが、彼らは、何とか村から抜け出して都会に出てきた農民です。それさえも出来なくなりました。
ウクライナからベロルシア(今のベラルーシ)やロシアに行って、食糧を手に入れる事も出来ないのです。
その上、ウクライナへの救援物資も遮断しました。
ポーランド人を含む多くの人々、そしてバチカンも救援を申し出ましたが、スターリンはウクライナへの救済を許さないどころか、ウクライナに飢饉がある事も認めませんでした。
数年前に亡くなった私の同僚、ロバート・コンクエストの言葉を借りれば、ウクライナは「広大な収容所」になってしまったのです。至る所に死体が横たわっている、そんな光景が拡がっていたのです。
飢えで人々が死んでいくのです。
ご存知の様に、私は、ジェノサイドの歴史研究に多くの年月を費やしてきました。
私が知る限りでは、飢え死により残酷なモノはないと思います。
酷い死に方をする人はいますよね。しかし、飢えで死ぬというのは、本当に恐ろしい事なんです。
例えば、食べる物がなくなった村です。
人肉食が頻繁に行われました。自分の子供を食べる人までいたんですよ。
スターリンはこの事を知っていました。
繰り返しますが、スターリンには、反省や哀れみの気持ちは微塵もありませんでした。
普通の人が持つ様な人間的な感情を、全く持っていなかったのです。
ソ連はウクライナを憎んでいましたし、ウクライナの民族主義を心底嫌っていました。ロシア人は、今でもウクライナの民族主義を嫌っていますけれどね。
ソ連は、ウクライナの民族主義を嫌うと同時に、恐れていました。
スターリンは、「こいつらに勝たせてしまったら、ウクライナを失う事になる。」と書いています。
つまり、ウクライナの民族アイデンティティと民族主義を、分離主義的な勢力として徹底的に弾圧するという長期的な決意があったのです。
(説明)
ここで彼は、ウクライナの民族主義について話をしましたが、それについて詳しく話をしていませんでしたので、補足説明したいと思います。
当時スターリンが、集団化政策を執りました。つまり、ソ連に参加した国は、自分の民族、文化等を否定して、ソ連という集団の一部にならないといけませんでした。
共産主義は、他の文化、宗教、民族等を否定する傾向が強いです。違う思想を持つ人は敵です。今の中共が、特殊な文化を持つ所謂少数民族に対してやっている事を見ると分かります。
ソ連が行った集団化政策に反対した国や民族は、ソ連から見て、民族主義に見られます。例えば、今のグローバル化の中で、自国優先、又は自分の民族の文化を守る為に活動すると、民族主義思想が強いと言われます。
では、この民族主義は元々存在したモノでしょうか?
違うと思います。もし、1つの民族がずっと自分の世界で生きて、他の文化と接点が無かったら、彼らには民族主義は存在しないと思います。
何故なら、自分には特別のモノがある、他の民族と違う事に気付かないからです。例えば、日本人が初めて日本以外の民族を見る前、日本はこの大きな世界の中で特別な存在である事を知らなかったはずです。
この視点で考える場合、ソ連のウクライナ人に対する統治、ウクライナ人の元々の生活スタイルを変えて、無理矢理コントロールしようとした事が、ウクライナ人が自分を守るという民族主義を引き立てた事になります。
その民族主義が、ソ連にとって脅威になり、ウクライナ人に対して酷い事をする様になりました。
ですので、ウクライナの民族主義が強い事は、当時のソ連の影響、今の隣のロシアの影響によって、強くなったと考えられます。
当時、各国の間に色んな接点があったので、ウクライナ人は自分のアイデンティティを認識していたはずです。ソ連のやり方が、それを強くしてしまったという理解が、より正しいと思います。
この歴史に対する記憶は、今のウクライナが必死に戦っている理由の1つです。これは、私の解説(解釈)になりますので、違う意見のある方は是非コメント欄で皆さんと共有して下さい。
ナイマーク博士:ウクライナは、ヨーロッパの穀倉地帯です。
「この穀倉地帯が、どうして私のモノにならないんだ?」
「この穀物を海外に売って、新しい工場を建て、都市部の労働者の支援に回したいのに。」
そういう苛立ちが、スターリンにはありました。
そして、全てが上手くいかなくなると、これはスターリンの典型的な態度なんですが、それを他人のせい、個人ではなく特定のグループのせいにしました。
【動画】
本当にホロドモールを知っていますか?ウクライナの強い民族主義はどこからきたのか?スターリンのウクライナ人絶滅計画
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※これは、とても勉強になる動画でした。
共産主義者たちは、ソ連時代の失敗:「ソ連のウクライナ人に対する統治、ウクライナ人の元々の生活スタイルを変えて、無理矢理コントロールしようとした事が、ウクライナ人が自分を守るという民族主義を引き立てた。」の経験を活かして、無理やりではなく、時間をかけて教育(プロパガンダ)で人々を洗脳し、伝統・文化・信仰・民族意識を破壊して、何の疑問も持たせずに"彼ら"の目的を実現する方法を考え出して、実行しているように思います。
今の日本も、かなりの部分で、伝統・文化・信仰・民族意識は破壊されています。全ては経済(お金)のためにグローバル化が正しい方向だ、欧米の思想(考え方)が正しいことだと思わされています。そして、これは止むを得ない時代の流れですが、皆が積極的に集団農場(≒現代の会社)で働くことを選んでいますね。