NHK-FM「ベストオブクラシック」

新ダヴィッド同盟 演奏会
初回放送日:2025年3月18日
【案内】高山久美子

 

 

ベートーヴェン:

弦楽三重奏曲ハ短調作品9-3
庄司紗矢香(Vn)、磯村和英(Va)

スティーヴン・イッサーリス(Vc)
 

フォーレ:

ピアノ三重奏曲ニ短調作品120
庄司紗矢香(Vn)、スティーヴン・イッサーリス(Vc)

小菅優(P)

シューマン:

ピアノ五重奏曲変ホ長調作品44
庄司紗矢香(Vn)、池田菊衛(Vn)、磯村和英(Va)

スティーヴン・イッサーリス(Vc)、小菅優(P)


(2024.12.1, 紀尾井ホール)

 

 

らじる★らじるの聞き逃し配信が終了する前に聴くことができてホッとする。(間に合った)

 

フォーレ以外は初めて聴く曲。何かの雑誌で、庄司紗矢香がカミュやドストエフスキーの本を読んでいるということを知ってから、日本人のヴァイオリニストというと、すぐに庄司を思い浮かべるようになった。CDも結構持っていた方だと思う。(メータとかチョン・ミュンフンとかテミルカーノフとかと共演していたアルバムなどだ)

 

勝手な想像であるが、内なるパワーがすごそうな雰囲気のする人である。ケルンの大学で学んだという経歴からも、なにかしら重めの思想を感じてしまう。

 

YouTubeで聴かれるインタビューの受け答えなんかも、とても誠実で、それなのに途轍もない意志を感じる。ひとことで言って、すごくかっこいい。

 

 

 

 

僕は(例によって)オケの入っていないクラシックは、あまり聴かないタチから、今回の放送のような弦楽三重奏というのはとても新鮮な聴取体験だ。

 

弦楽器の音というのは、このくらいの編成だととてもよく「マイクに乗る」ような気がする。ダイナミックな大編成オケなんかだと、ソロは埋もれてしまうか、埋もれなくても貧弱な薄っぺらい音に聞こえてしまう。生のコンサートでは、けっしてそんなことはないのに。

 

ベートーヴェンは、弱音で終わるイメージがなかったので、この曲はとても新鮮。弦楽器の美しさも十分に愉しめた。

 

フォーレとシューマンには小菅優のピアノが入っている。いま急に、小菅優のリサイタルに過去に行ったことがあることを思い出した。何を演奏したのか、どこのホールだったのか、だれに誘われたのか、一つも思い出せない。印象に残らなかったというのではなくて、僕がいかに器楽曲に疎いかの証である。

 

今日の3曲の中ではシューマンが一番良かった。シューマンの作品の中でも人気があるというのは納得である。ハッとする場面やフレーズがいくつか出てくる。

 

新ダヴィッド同盟は、水戸芸術館のユニットだという。そして庄司が声をかけたアーティストで構成されているのだそうだ。いつか生で聴いてみたいと思う。

 

 

 

 

 

 

NHK-FM「音楽の泉」

モーツァルトのピアノ協奏曲第23番
初回放送日:2025年3月16日
奥田佳道

モーツァルト:

ピアノ協奏曲第23番イ長調K.488
内田光子(ピアノ・指揮)

クリーヴランド管弦楽団
(2008,DECCA)

 

 

連休初日の朝は奥田佳道さんの番組に委ねることにした。久々の響き=「連休」。無駄な時間は作るまい。

 

 

内田光子とクリーヴランド管弦楽団によるモーツァルトのピアノ協奏曲第23番。Apple Musicで検索して、再生する。

 

きっかけはラジオ、聴くのはロスレス配信。ここんとこ、こういう鑑賞スタイルが板についてきた。

 

らじる★らじるとApple Music(ロスレス)の音質の違いは、結構よくわかる。「ながら聞き」では判別不能だが、ちゃんとリスニングすると、やはり違う。

 

このような曲で顕著なのは、「らじる」の高音のヴァイオリンの音が潰れていること。余韻がないから平面的でその位置から少しも動かずにへばりついている。Apple Musicで聴くと音が解れていって、広いホールにパーッと拡がっていく。

 

あとは、低音の輪郭感。

 

独奏のピアノは、芯がありながらもさらさらな肌触りで放射されていく間接音がリスナーを包み込む。

 

曲は、短調になる第2楽章が、やはり、好き。この世の短調作品は、すべてモーツァルトの模倣なんじゃないかと勘繰りたくなるほどの普遍性。

 

良い朝を迎えられた。

 

 

 

グリーグ:

ピアノ協奏曲イ短調作品16

シューマン:

ピアノ協奏曲イ短調作品54

ラドゥ・ルプー(ピアノ)

ロンドン交響楽団

アンドレ・プレヴィン 指揮

(1973,LONDON)

 

LPレコードを聴くことの「良さ」は、レコードを初めて聞いた時の「感動」を心に呼び覚ますことができることにある。

 

ウォークマンを聴いて感動した人は、いつまでもヘッドホンとテープメディアでの鑑賞スタイルを最上のものと思うだろう。或いは、SPレコードをモノラルで聴いて感動した人なら、「モノラル鑑賞こそ至高」とのたまうであろう。

 

だから、アナログが良いかデジタルが良いか、なんて議論はナンセンスである。

 

LPをかけては「パチパチとノイズが入ってめんどくせー」とウザったく感じていた人が、1982年にCDに出会って「感動」的な体験をしたなら、その人は生涯CDを愛することになるであろう。

 

各人の若き頃の体験とその後の音楽鑑賞のスタイルは結びついている。オーディオ機器とて、それは同じだろうし、よく聴く音楽ジャンルにしても、そのような傾向はあろう。

 

僕の世代は、小学校の時の音楽室での鑑賞はレコードだった。つまり「LP体験」が先行していたのである。そして、中学の時にCDが出た。CDの手軽さとS/N比の高さ、ノイズのなさには「感動」したが、遡って小学校低学年の時に、LPレコードを友人宅の高級オーディオコンポで聴いた時の「感動」に比べたら、それは小さなものだったのだと思う。

 

だから、僕はいまでもLPを聴く。

 

逆に、デジタルの方が音が良いという人は、おそらく、それまでLPでノイズだらけの音で聴いていたのが、「CD体験」により、より高次な次元に上り詰めた如くに「感動」した、というような体験を有しているのではあるまいか。

 

その人の心理も、僕の心理も、とどのつまりは同根である。少年期の感動体験が、その後の鑑賞スタイルを既定してしまうという意味において。

 

ラドゥ・ルプーは、「ヴァン・クライバーン」と「リーズ」の両方の国際ピアノコンクールの覇者である。これはすごいことであるらしい。センシティヴでロマンティックなピアノのタッチが心を揺さぶる。ロンドン・レーベルの録音技巧の妙味と相俟って、50年前の名演がこうして聴ける喜びを噛みしめている。

 

 

 

 

NHK-FM「音楽の泉」

ドビュッシーの弦楽四重奏曲
初回放送日:2025年3月9日
奥田佳道

ドビュッシー:

弦楽四重奏曲ト短調作品10
アロド弦楽四重奏団
(2023,ワーナー)

 

 

この番組では新しい録音を紹介してくださるので、Apple Musicで次なるリスニング曲を決める指標とすることができる。

 

 

今回は2023年録音の当作品。まあ、とにかく新しい録音なんで、その楽器の音の瑞々しさと言ったら、これまで聴いたことのないほどだ。

 

曲想が曲想だけに、アグレッシブな雰囲気を始終醸し出しているが、しかし、こういう鮮明な録音なのに、昔みたいに耳に刺激を感じなくなったのは、僕の加齢(耳)のせいなのかもしれない。

 

にしても、ホンモノみたいな弦の音を自室で愉しめる文化というものは、なんて素晴らしいんだろう。「オーディオ」さまさまである。

 

放送ではなかったが、ラヴェルの弦楽四重奏曲も同アルバムにはカップリングされている。そして、驚きは、ベンジャミン・アッタイル(Benjamin Attahir)の弦楽四重奏曲。アッタイルは1989年生まれという。「1989」という数字にシンクロニシティ的なものを感じてしまい、ちょっとブルってしまう。

 

フランス革命が「1789年」に始まり、その100周年記念で「1889年」にパリ万博が開かれた。エッフェル塔も建った。その万博に出展されたのが日本の浮世絵(錦絵)やジャワのガムランで、ドビュッシーはそれらに影響を受けて自身の音楽に投影した。

 

 

アッタイルは、それからさらに100年後の「1989年」に生まれた。曲は、恒常的に不安にさせる音楽。世紀末から21世紀にかけて成長してきた作曲者の視点が、当然作品に表れているのだろう。果たして、100年後にこの音楽が演奏され続けているかは誰にも分からない。ドビュッシーの弦楽四重奏曲だって、初演時の批評は酷かったようだ。

 

ちなみに、フランス革命からちょうど200年後の「1989年」は、日本では「平成元年」。僕が大学に入学した年でもある。が、これは単なる偶然である。

 

 

NHK-FM「ベストオブクラシック」

チェロ協奏曲の名曲 (5)

ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲
初回放送日:2025年3月14日
【案内】田中奈緒子

 

シュスタコーヴィチ:

チェロ協奏曲第1番変ホ長調作品107
ソル・ガベッタ(チェロ)

フィルハーモニア管弦楽団

サントゥ・マティアス・ロウヴァリ 指揮
〔2024.6.6, ロイヤル・フェスティバル・ホール

(イギリス・ロンドン)〕

 

 

チェロ・コンの最終回はショスタコーヴィチ。ロンドンの公演で、録音はBBC。

 

ロストロポーヴィチのために捧げられた曲で、初演はムラヴィンスキー指揮/レニングラード・フィルハーモニー交響楽団。

 

リズミカルで諧謔的な冒頭から、すぐにショスタコーヴィチとバレちゃう曲だ。ショスタコーヴィチの笑いには爆笑や失笑はなく、常に「ほくそ笑む」とか「嘲笑する」とかいったニュアンスの笑いが含まれていると思う。でもそれが好き。

 

ショスタコーヴィチ自身のポートレートの如くに。

 

今週のチェロ協奏曲特集だが、しんがりのショスタコーヴィチが最も好みに合っていたと思う。曲も演奏もである。丁寧に正確に弾く演奏者が、やっぱり僕の好みなのかなあ、などと。

 

シリーズを毎日聴き続けたのは初めてだったが、最高の一週間となった。

 

この演奏会の最初に演奏されたリスト作曲(ドップラー編曲)の《ハンガリー狂詩曲第2番》も、とても愉しい演奏だった。ヴァリエーション豊かな楽曲は指揮者の采配でいかようにも変幻自在なのが面白い。

 

ソル・ガベッタ。番組最後の余った時間で、シューマンの《幻想小曲集》(ピアノ:エレーヌ・グリモー)がかかった。検索したら、ちゃんとApple Musicにもある。

 

 

昔なら、翌日に勇んでCD屋に奔ったものだが、いまはApple Musicがあるから、たいへん有難い。

 

 

NHK-FM「ベストオブクラシック」

チェロ協奏曲の名曲 (4)

ドボルザークのチェロ協奏曲
初回放送日:2025年3月13日
【案内】田中奈緒子

 

 

ドヴォルザーク:

チェロ協奏曲ロ短調作品104
ゴーティエ・カプソン(チェロ)

ジョルジュ・エネスコ・フィルハーモニー管弦楽団

クリスティアン・マチェラル 指揮
〔2023.8.27, グランド・パレス・ホール

(ルーマニア・ブカレスト)〕

 

公演の録音はルーマニア放送協会。エネスコの故郷ということで、楽団の名前に「ジョルジュ・エネスコ」の名が入っている。

 

ドヴォルザークは、1892年から95年までニューヨークの音楽院の院長として赴任しており、その間に書かれた楽曲である。アメリカ先住民の音楽や黒人霊歌に影響を受けているという。また、初恋の女性が倒れたという報を聞き、第2楽章に彼女の好きだった歌曲の旋律が用いられている。

 

冒頭から勢いのあるオケだと思った。とにかく前へ前へと出てくる。慎ましやかさよりも、いかに音を届けるか、ということに意を注いでいるようだ。アンサンブルがぴったり合っているわけじゃないのだけれど、「何十人もいりゃ、そう巧くはいかないよ」と、笑って許せてしまうような「何か」がある。

 

僕はそういう心を大切にしたいと思う。

 

テンポが速めだからか、音の塊がすべて前進しているように感じる。

 

昔、ある公民館の男子トイレに、「人生は一歩前進! ここでは一歩前進!」という張り紙があって感心したことがある。小便器の周辺を汚されたくなかった掃除係氏のアイディアであったのだろう。いま、なぜかその張り紙を思い出した。

 

「いつも綺麗に使っていただいてありがとうございます!」という張り紙もあちこちで見かける。

 

肯定語はいいよね。

 

「汚さないでください」「ツバを吐かないでください」「ガムを便器に捨てないでください」……

 

いま国内からどんどん店舗が消えている某スーパーのトイレの張り紙である。クレヨンしんちゃんにも似たような名前のスーパーが出てくる。

 

相手の否定語が先に来ると、かえってムッとなって「知るか!」と思ってしまうのは僕だけ?(天邪鬼?)

 

負のスパイラルという言葉があるが、「もうじきこの店舗も撤退かなあ…」なんて社員が考えていると、自然と上掲のような張り紙となって、また新たな「負」を生んでいくのだろう。

 

僕も注意しよう。

NHK-FM「ベストオブクラシック」

チェロ協奏曲の名曲 (3)

サン・サーンスのチェロ協奏曲
初回放送日:2025年3月12日
【案内】田中奈緒子

 

サン・サーンス:

チェロ協奏曲第1番イ短調作品33
マルツィン・ズドゥニク(チェロ)

ポーランド国立放送交響楽団

パオロ・ボルトラメオッリ 指揮
〔2024.2.22, ポーランド国立放送交響楽団

コンサート・ホール(ポーランド・カトウィツェ)〕

 

 

公演の録音はポーランドラジオ。チェロ協奏曲の特集が組まれた一週間なので、当然サン・サーンスの曲を目当てにしていたのに、冒頭に演奏された《ロサンゼルス変奏曲》に度肝を抜かれた。作曲者はエサ・ペッカ・サロネン。あのサロネンである。指揮だけじゃないの、曲も作るの。

 

不安にさせる響き。情動。パーカッション、愉しそう。ゴイスー。

 

この後に聴くサン・サーンスは、だいぶ不利である。いや、平和である。落ち着く。これぞクラシック! これぞチェロ・コン! 浪漫的!

 

ポーランド・ラジオっていうのはラジオしか放送してない局なのだろうか。だとしたら、こういう生録番組には、その専門性が最大限に生かされていることであろう。弦の響きが立っていて、カラッとしている。日本の放送の場合は、これよりもだいぶ湿っぽく聞こえる。気候のせいばかりじゃないだろう。

 

後半のメイン、ドビュッシーの《海》も良かった。聴いて得した! と思った。この曲の発表時(1905年)のスコアの表紙に、葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」が印刷されていたという話は有名。でも、いま調べたら、この表紙には富士山が描かれるべきところにその姿はない。(下の写真)

 

 

僕はいつも、京浜東北線や東海道線で「横浜」―「東神奈川」間を通ると、この錦絵を思い出してしまう。今の「横浜駅」は、江戸時代には海中。

 

現在、京急線の神奈川駅がある辺りから右に逸れ、私学会館の方へ上がっていったあたりが「神奈川宿」。その沖合の波の描写なんだろうと思う。

 

ポーランド国立放送オケはうまい。先日、「エガちゃんねる」で江頭2:50が、「うまい棒」を初めて食す、という企画をやっていたが、エガちゃんは「うまい!」を連発していた。

 

思うに、うまい棒のネーミングの妙味は、自分で「うまい」と言っちゃってるところだと思う。この際、ポーランド国立放送オケは「うまいオケ!」として売ったらどうだろうか。

 

団のホームページに自ら「うまいオケ」とか書いちゃだめかなあ、やっぱ。

NHK-FM「ベストオブクラシック」

チェロ協奏曲の名曲 (2)

シューマンのチェロ協奏曲
初回放送日:2025年3月11日
【案内】田中奈緒子

 

 

シューマン:チェロ協奏曲イ短調作品129
トルルス・モルク(チェロ)

スイス・イタリアーナ管弦楽団

ダーヴィト・アフカム 指揮
〔2024.3.14, ルガーノ・アルテ・エ・クルトゥーラ

(スイス・ルガーノ)〕

 

今日の公演の録音はスイス放送協会である。これまた、昨日のスウェーデン放送協会に続いて、CDレコーディング・レベルの素晴らしい録音。

 

こうして聴いてみると、やや硬質で、ドライなホールのトーンを活かして収録しようとするのが、ヨーロッパの放送局の特長かもしれない。

 

日本の放送協会の録音は柔らかい。今日のようなチェロ独奏を日本の放送協会が録ると、音がまるっこくなってしまって、弦が振動している感じ(俗に言う松脂の飛び散るような表現)が出ていないなあ…と思うことが多い。

 

シューマンのチェロ・コンも僕は大好物だし、最高の放送となった。

 

いやあ、木管も綺麗に録れてるよねー。すごいなあ。

NHK-FM「ベストオブクラシック」

チェロ協奏曲の名曲 (1)

ハイドンのチェロ協奏曲
初回放送日:2025年3月10日
【案内】田中奈緒子

 

ハイドン:

チェロ協奏曲第1番ハ長調
アンドレアス・ブランテリド(チェロ)

スウェーデン室内管弦楽団

アンドルー・マンゼ 指揮
〔2024.3.6, ベルワルド・ホール

(スウェーデン・ストックホルム)〕

 

 

愉しみにしていたスウェーデン放送協会が録音した放送音源。やはり、期待通りの高音質で感動。らじるらじるでの聞き逃し配信なので、「高音質」というのは間違った表現かもしれない。しかし、音質自体は低ビットレートでも、おそらく録音の際のマイクセッティングなどの考え方が日本とは違い、本当に臨場感のある「高音質」に聞こえる。

 

「空間をよく捉えたセッティング」を目指しているのだと分かる。

 

チェロの音色も、ずっと聴いていたいような心地よさのまま収録されていた。

 

ハイドンのチェロ・コンも良かったが、後半のシューベルト作曲、交響曲第4番《悲劇的》も素晴らしい演奏だった。シューベルトの交響曲は《グレイト》と《未完成》しか普段は聴かないので、とても楽しめた。

ブラームス:

交響曲第1番ハ短調作品68

シャルル・ミュンシュ 指揮

パリ管弦楽団

(1968, Angel)

 

偶然入手したレコードだが、名盤だそうである。非常に楽しみ。1968年没のシャルル・ミュンシュ最晩年の録音で、国立パリ管を任せられたレジェンドの矜持を感じるとの評もあるようだ。

 

重々しいスタート。音のバランスも下の方に重心を置いていて録られているし、テンポもゆったりだ。

 

そんな中でも管楽器に明るさがあるのは、やはり「フランスらしさ」という括りになるのだろうか。

 

フランスらしさ、ドイツらしさという話でいえば、シャルル・ミュンシュ(カール・ミュンヒ)という人は、ドイツ統治時代のストラスブール(シュトラスブルク)に生まれた。

 

小学校の教科書に載っていた(中学だったかな?)ドーデ作『最後の授業』のストーリーを地で行くような少年時代があったのだろうか? (状況的に独仏が逆ではあるが)

 

ミュンシュはドイツ式のウムラウトを嫌って、「Münch」の綴りを「Munch」にしていたという話もある。

 

音楽とはまったく関係ないが、近所の商店街に「Strasbourg」というこの辺じゃ有名な洋菓子屋がある。僕はずっとその店のことを「シュトラスブルク」だと思っていて、家人にそう発音したら、「ストラスブールだよ」と言って笑われてしまったことがある。

 

それもこれも、すべては普仏(独仏)戦争のせいなのである。

 

おっといけね、終楽章が終わりそうだ。素晴らしい気合。これはパリ音楽院からパリ管に「昇格」した時の「選抜」メンバーによる演奏と思われる。ミュンシュもボストンから帰ってきて、さぞや祖国での国立オケの指揮を喜んでいたことであろう。

 

そうしたことがすべて見えてしまう演奏。名演の裏には特別なストーリーがあるのだな、と思わされる。