鍋島灯台 一般公開(2017)
江埼灯台に続いて鍋島灯台の一般公開に行きました。
まずは鍋島灯台の歴史を少し...
鍋島灯台もリチャード・ヘンリー・ブラントン(Richard Henry Brunton)が設計しました。
初点灯は1872年12月15日(明治5年11月15日)です。洋式灯台としては18番目の灯台です。
オリジナルの建物として存在する中では、神子元島、江崎、六連島、部埼、友ヶ島に次いで6番目です。
1875年(明治8年)発行の『内国諸表一覧』によると、灯器は『第三等不動白色』とあります。
色々と資料を見ましたが、『レンズ』とも『反射鏡』とも書いていません。ただ第三等反射鏡と言うのは、あまり聞いたことが無いので第三等フレネルレンズだと思います。
1904年(明治37年)3月発行の『灯台要覧』では、『其後七年十一月之を四等不動白色燈に改む』と記述があります。この件に関しては灯台研究生さまが2012年(平成24年)の燈光1月号の『明治の灯台の話(45)-部埼灯台』に部埼灯台と鍋島灯台のレンズについて『入れ替わった』と書かれています。
その記述に基づいて、実際に調査したところ、確かに明治7年11月13日に当時の工部卿・伊藤博文が布達を出していました。
その内容を要約すると、次の通りです。
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明治7年(1874年)11月7日より
部埼灯台の灯器を第四等不動から、第三等不動に変換し、光達距離を16里海里とする。
鍋島灯台の灯器は第三等不動から、第四等不動に変換し、光達距離を約12里海里とする。
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明治7年1月の『日本燈臺燈船浮標礁標便覧表_』では、変更前の鍋島灯台の光達距離が『15里』、部埼灯台の光達距離が『約12里』ですので、入れ替えた可能性が高いです。
私も灯台研究生さまの推測を支持したいと思います。
その後、1921年(大正10年)12月25日付の官報の『逓信省告示第2,358号』で、鍋島灯台の灯高、灯質、燭光数を大正10年12月15日より変更するとの記述があります。
その灯質は『紅緑互光、紅8秒緑8秒』です。
この時に水銀槽を使用した回転装置を取付け、レンズ外側の赤緑フィルタを回転させたのですね。
さてさて、鍋島灯台も二度目で一年半ぶりの訪問です。
2017年11月3日
早速中に入ると、お宝が!
灯器の架台下部に付いている銘板
ここでご注意!
このプレートはレンズメーカを表すものではありません。
『このレンズは、エジンバラのD.&T.STEVENSON社が製作し...』などと言ってはいけません。
D.&T.Stevenson はデビットとトーマスのスティーブンソン兄弟の事。
彼らはNorthern Lighthouse Boardに所属しており、会社ではありません。
※Northern Lighthouse Boardとはスコットランドの海上航行を支援する非政府機関です。
当時の日本はレンズメーカと直接取引していません。スティーブンソン兄弟を通して、ソーター・ハーレー社やバルビエ・フェネストレ社などからレンズを購入していたのです。したがってレンズメーカからすればスティーブンソン兄弟は発注先になるのです。
さてレンズとご対面です。
第四等不動フレネルレンズ
灯質が赤緑色は珍しい。
外側にフィルターがあるので、レンズが上手く写りません。
外側に回転フィルターがあるのは珍しいですね。
私の推測としては...
当時の光源は、石油を気化させて燃焼する『チャンス式石油蒸発白熱灯』を使用していました。
レンズが第四等と小柄なため、その内部にフィルタを設置すると熱によってフィルタが破損してしまうため、外側にフィルタを配置したと考えています。
江埼灯台に比べると灯室が狭いため、すごく暑かった...
下に降りて見回すと、こんなレンズが...
謎のレンズ
ピーンときた!
これって、現用レンズの暗弧の部分でしょ!?
海保の方に聞いたら、その通りですって。
これ、とても新しいです。何と言ってもパテが最新の色だもん。
現在の鍋島灯台のレンズは1981年(昭和56年)に交換されたものだそうです。
したがって三代目と言うことになりますね。
さて、この日はまだ予定がありました。
....あっ、初点プレート...撮ってない...
また訪問しなきゃ
では、また!