A Flood of Music -26ページ目

今日の一曲!椎名林檎「月に負け犬」

 

レビュー対象:「月に負け犬」(2000)

 

 

 今回取り上げるのは本日ニューシングル『芒に月』(2025)をリリースした椎名林檎の「月に負け犬」です。同じ「月」を冠する楽曲として25年前のナンバーに敢えて今フォーカスします。収録先アルバムの発売直前インタビューが掲載されている『ROCKIN'ON JAPAN.』(2000, vol.14, no.6)が手元にありますので、必要都度に引用しつつその魅力を語る所存です。以降「雑誌」と書いたらこれを指すとお含み置きください。

 

 

 

収録先:『勝訴ストリップ』(2000)

 

 

 本曲の収録先は2ndアルバム『勝訴ストリップ』です。上掲リンクがマケプレのものですみませんが、僕にとってはこのピンクのスリーブケースこそがSSの見慣れたプロダクトデザインなので、黒い通常盤のそれを埋め込みたくありませんでした。

 

 初期の代表曲「本能」を筆頭に同日リリースで話題となった「ギブス」に「罪と罰」と大ヒットシングルばかり3曲を擁する全13曲で、1stアルバム『無罪モラトリアム』(1999)が未だチャートにインし続けているという快挙の最中に発表されたまさに飛ぶ鳥も落つ勢いの一枚です。

 

 

 同盤からは過去に「闇に降る雨」をレビューしており、曲名にシンメトリーが意識されている点に照らすと「月に負け犬」はその対に位置付けられます。他にはこの東京事変の記事に「浴室」への、ドビュッシーの記事に「弁解ドビュッシー」への、the telephonesの記事に「ストイシズム」への、『逆輸入 ~航空局~』(2017)のレビューに「依存症」への言及があり、折に触れて参照先にしていました。

 

 

歌詞(作詞:椎名林檎)

 

 書き出しの"好きな人や物が多過ぎて 見放されてしまいそうだ"は余りにも好きな一節で、椎名さんが紡いだ言葉の中でいちばん共感を覚えたものかもしれません。当ブログの話で今般の約半年実質一年ぶりの更新再開もそうであるように、ここ数年はその間隔が躁鬱じみた軌跡を辿っています。長期の空白を作ってしまう理由は時々で様々とはいえ、その度に当該の歌詞に表れているような見捨てられ不安に駆られがちです。

 

 メンタルヘルスの場で使われるような表現を持ち出しておいて何ですがそこまでネガティブな含みを持たせたいわけではなくて、"好きな人や物"についてのアウトプット欲こそが僕がブログを書く原動力でそれは今のところ無尽蔵であるため、それを満たせていない期間の長さに連れて増大するフラストレーションをどうにかしたいなと、毎度飽きもせずもどかしく思う最早習性を看破されたような痛快さを感じています。然らばこの焦燥感の正体は何なんだということを明らかにせんとしてみましょう。

 

 この歌い出しについては雑誌中でも話題となっており、直接的に曲名が出てくるのは[p.54]だけれど話はそれ以前から長く続いているものです。これまでインタビューやラジオ等で問いに対して拒絶せず真面目に回答してきたと省みるところから始まり、仮令インタビュアーの誘導尋問でも望む答えを返していたのではないかとの分析が入り、しかしそれは嘘や適当を述べているわけではなく質問者側に一理でもあれば賛同出来てしまう性分からではと考察され、ゆえにインタビュー後に自分で思いもよらなかった気付きを得ることがありそれが負担になっているとの苦悩が語られています。

 

 上記は僕がかなり圧縮した要約であり使用語彙も原文と殆ど異なるという点にご留意願いましてここから直接引用です。「うん。だから〝月に負け犬〟の歌い出しっていうのは、むちゃむちゃ的を得てると思うんですよ。あたし否定する事を知らないんですよ、実は。アンチテーゼの固まりみたいに言われる事が多いけど、何かに抵抗するパワーなんて自分には感じてなくて」と、当時21歳の椎名さんが自他間のギャップについて述懐しています。その後このスタンスは如何なものかと話は続き、「肯定し続ける事の苦しさっていう方がわかりにくいというか。人を憎む事の疲れってあるけど、『ずっと肯定し続けるっていうのもよっぽどだな』って思ったんだよね」と、ここに"見放されてしまいそうだ"の恐怖の根源が垣間見えます。

 

 自分でも時を経る毎に苦しむ点ですが、"好きな人や物が多過ぎ"ると特定の人と人ないし物と物とで衝突を起こすことがありますよね。Aを褒めるとBを貶すことになってしまう…でもBも好きなんだよ解るんだよといった具合に。これを何とかアウフヘーベンしてしたり顔でいたら新たなCが前提から覆してくるみたいなエンドレス。"上手いこと橋を渡れども/行く先の似た様な途を 未だ走り続けている/其れだけの/僕を許してよ"にそうだそうだと首肯して、冷静に考えれば"好きな人や物が多過ぎ"るのは幸せなことじゃないか?と納得しかけるも、"明日 くたばるかも知れない"と人生は有限だからこそ取捨選択の正義を放棄するかのような全肯定が罪深く思えてしまうのです。

 

 こうなると現実逃避の向きもあって"だから今すぐ振り絞る"必要に迫られるのだけれど、その対象が多過ぎると時間も熱意もとても足りませんから何処かで破綻する予感を覚えて、"だから手の中の全てを/選べない 日の出よりも先に 僕が空に投げよう"と一切を手放したくなる心理に共感出来ます。しかし結びの"吐く息が熱くなってゆく"は繰り返しを示唆しているように思え、負け犬に付き物の遠吠えが虚しく熱を帯びているとの情景描写に止まらず、再び全肯定の熱意が湧き上がってくるというどうしようもない性分が匂わされていると解釈したいです。そしてまた書き出しに戻って燥いで時間経過で熱が冷めて"何時も身体を冷やし続けて無言の季節に立ち竦む"に至って――と、何度も同じ轍を踏んで負けた儘でも生きてゆけるなら少なくとも月はただそこに在ってくれます。

 

 

 ちなみに本曲の一人称が"僕"である点に関しても雑誌中で語られており[p.45]、ここまでがかなり長くなってしまったので詳細は買って読んでくださいねと割愛しますが、Wikipediaの「勝訴ストリップ>収録曲>楽曲解説>月に負け犬」のところに特設サイトをソースに書かれていることとおそらく同様のエピソードが披露されているとだけ明かしておきましょう。他に[p.55]にも曲名が登場し、あくまで時期的なマーカーとして出てくるだけに過ぎないものの、制作当時10代の頃の予感めいた日記の記述を窺えて興味深いです。

 

 

メロディ(作曲:椎名林檎)

 

 Aメロは旋律それ自体は切なくもやや軽やかな印象を受けるけれど、直後のハードなサウンドプロダクションが雄弁に背景情報を語ってくるため、"虚勢を張る気は無い"や"取分け怖いこと等ない"の達観ぶりに反して努めて無敵感を装っている風に聴こえる悲しいメロディと表します。

 

 比較的長く展開するBメロは蓋し"河"ないし"途"を思わせるうねったラインが特徴的で、儚い音運びの前半部から次第に輪郭線が太くなっていく後半部とナラティブに進行していくのが技巧的です。

 

 サビメロは純粋に音だけを追っていくと結構シンフォニックだなという気がしますが、声質や歌い方の妙か純粋にアレンジのお蔭かロックナンバーのそれらしく旋律性が絞られてコードに溶けていくような変質を感じます。

 

 

アレンジ(編曲:亀田誠治・椎名林檎)

 

 演奏のクレジットは次の通りです。声ヴォイス/椎名"マゾヒスト"林檎小娘、酸欠ギター/名越"ラムネ"由貴夫遅刻王、悩殺ベース/亀田"ハレンチ"誠治師匠、乱闘ドラム/朝倉"アサチャン"弘一親方。本曲の荒々しくどっしりとしたバンドサウンドは、確かに「酸欠・悩殺・乱闘」で過不足なく説明出来ていると思いました。笑

 

 亀田さんは説明不要なので扨置くとして、後の名越×朝倉ワークスには「重金属製の女 "The Heavy Metalic Girl"」があり、『逆輸入 ~航空局~』の記事でレビューしています。今思えばリンク先ではASA-CHANGさんの参加を驚くより前に本曲を例示すべきでしたね。

 

 雑誌中ではアルバムの流れの中で本曲のサウンドについて言及されており[p.45]、インタビュアーの中本浩二さん曰くの「〝ストイシズム〟と合わせて、アルバム前半のムードをガラッと変えますね。凄い抜けてる感じというか。」は、通して聴いた時に通有の感想でしょう。もっと近視眼的に「ストイシズム」の後という一点に限っても、打ち込みと声ネタが主軸のエクスペリメンタルな短いトラックの次に置かれたストレートなロックはガツンと響くに決まっていますからね。

 

 

 
 

(偶々家にあった)参考文献

 

 

 僕が持っているロキノン(ジャパン)の中では最も古い一冊です。前にこの記事の中で「以前から『ソロ名義でオリジナルアルバムを出すのは3枚まで』という噂が実しやかに存在していたのもあって(若い頃の本人談?)」と書いていたのですが、その辺りの考えもインタビュー中に明かされていました。そもそもは『ギブス』『罪と罰』の頃から各所で言い出していたらしく[p.52]、端的にまとめるなら純度の高い椎名林檎像を維持できる限界が自分に取ってもリスナーに取ってもその辺りだろうといった目算がゆえらしいです。詳細は購入の上ご確認ください。