
今日の一曲!フジファブリック「Fire」~キーボーディストのトラックメイカー的自我がどう働くか~
レビュー対象:「Fire」(2013)
今回取り上げるのは、洋楽の影響を感じさせつつも日本人ならではの解釈を押し広げることでロック好きに止まらず大衆の心をも掴み、曲毎にキャッチーだったりマニアックだったりの幅広い音楽性を誇る、フジファブリックの「Fire」です。
ご存知の通り同バンドは今年の2月から活動休止に入っており、2009年の志村正彦さんの急逝という奇禍にも折れずに続いていたキャリアに一先ずポーズが入ったことの侘しさについて、触れるなら今年の内だろうということで遅蒔きながら記事のテーマに選びました。
今秋はしつこい残暑によってやや後ろにズレている体感ですが、この時期になると「赤黄色の金木犀」(2004)の記事に対するページビューが増えるのが更新年からの恒例です。アクセス解析から季節の移ろいと人々の意識の連動を感じられるのが音楽レビューブログの面白いところのひとつと言えるけれど、ことフジに関して今年は例年以上に寂しいものがあります。
収録先:『VOYAGER』(2013)
本曲の収録先は7thアルバム『VOYAGER』です。バンドメンバーに変更がある度に第n期と区分される彼らにとって、志村さん亡き後唯一の期であり現状で最後の期にもなってしまった第6期のディスコグラフィーに於いては2作目に位置付けられます。
当ブログではこれまで基本的に第5期までの楽曲にしかフォーカスしたことがなく、例外は過渡期の第5-6期にあたる5th『MUSIC』(2010)のレビューか、或いは楽曲提供という形の中島愛「サタデー・ナイト・クエスチョン」(2017)のレビューです。後者の本文中には「第6期の作品には手を出していない」旨を明かしているほどですがそれは過去の話で、現在では第6期まできちんと網羅しています。
その証拠に例によって自作のプレイリストを用いますと、20*3で全60曲編成のうち第6期からは26曲を登録しており、過渡期からは4曲をリストインさせていることを考慮すれば、第5期以前とほぼ半々になるためバランスは良好です。最上位帯のみ曲名を挙げると、「Fire」「JOY」「LET'S GET IT ON」「Mystery Tour」「SHINY DAYS」「Water Lily Flower」「カンヌの休日 feat. 山田孝之」「夏の大三角関係」「光あれ」「フラッシュダンス (Album Version)」の10曲が、第6期でとりわけのフェイバリットと言えます。
このラインナップから今般は「Fire」を取り立てる理由は、勿論殊更に高く評価しているからというのもあるのだけれど、活動休止の契機となった金澤ダイスケさんが制作面でも演奏面でも中核をなすナンバーである点がダメ押しとなりました。というわけで普段のフォーマットならここから詞曲編の順でレビュー対象を掘り下げていくのですが、本曲についてはアレンジから語ったほうが話を進め易いと判断したため、次いで作曲面を語って最後に歌詞に触れる構成にします。
アレンジ(編曲:フジファブリック)
上掲したのはバンドの公式サイト内にある『VOYAGER』のスペシャルサイトで、そのコンテンツのひとつにスタッフによるライナーノーツという少し変わった趣旨の文章が掲載されており、取材・インタビュアー兼ライターがスタッフといった内輪の印象を受けるものの、アーティストに身近な第三者の視点から間接的に語られた本人談は寧ろ貴重です。
曰く金澤さんの「『個人的に趣味で』作っているエレクトロやテクノ的な曲のモチーフ」のデモを基にバンドのスタイルにアダプトさせたのが本曲で、エンジニアとして関わりの深い高山徹さんの手に成るプログラミングの力も借りながら、「出来上がった曲はエレクトロでもテクノでもないし、『なんと形容していいのか(笑)』」と制作サイドですら驚きのジャンルレスな帰結を見せています。
この所感はリスナーとしても同意で、イントロ~Aメロ1にかけての(個人的にはbjörkの「Pluto」(1997)を彷彿させた)インダストリアルなオケにいきなりバンドサウンドからの逸脱を察し、"撒いて"の母音[e]が残響した果てに鳴り出すシンセ[1:13~1:36]に少しはフジらしさが過るも、Aメロ2~Bメロは依然ランダムなビートメイキングと忙しないシーケンサーが絡み合う電子的なつくりが優勢です。
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しかし[2:01~]はリズム隊の働きによって俄にバンドらしい音像を得て、とはいえベースは別としてドラムスはBOBOさんのプレイを素材化して起こした打ち込みだそうなので、生音を使いはしても有機的になり過ぎるのを防ぐこだわりが感じられます。後に歌詞の項で語りますが、これには作詞上の温度変化に応じた意図があるように思いました。
曲中盤では金澤さんの手腕家ぶりがトラックメイカーからキーボーディストのそれへとシフトし、すわソロかと期待を寄せた[2:25~2:36]が意外と跳ねなくて消化不良感を覚えたのも束の間、[3:01~3:24]に発展形のソロが来て絶頂するそのカタルシスたるや半端ないです。ビートと相俟って何処となく祭囃子のスケープに聴こえます。
落ちメロの静謐はオルガンの神聖性が担って、再びアグレッシブな勢いを取り戻したまま突き抜けていく[~4:24]の展開には、歌詞通りの"気体に変化するだろ"の上昇気流を幻視しました。[4:25~]はやや長めのアウトロで、パンニングに確かなセンスを滲ませながら徐々に音数が減っていく電子音楽のマナーが心地好いです。
メロディ(作曲:金澤ダイスケ)
まず楽想についてというかメロディの区分に関して、前項でA/Bメロの表記はしてもその後のメロについて明確なワードを宛がわなかったのは、何処がサビかを規定し難かったからに他なりません。実験的なアルバム曲にはありがちな複雑性から来る問題です。
"突風になって"~も"それでどうする"~も共にサビっぽいので、前後は問わず一方をサビとして他方をCメロとするか、もしくは両者共にサビと見做して前半と後半に分けるかが取り敢えずの区分として想定されます。だけれど1度目の"それでどうする"~にはバックコーラスとしてBメロが重なり、2度目の"突風になって"~には歌詞上で後置されている新たなメロ("君もどう?"~)がこれまたバックコーラスとして重なるのが構造をややこしくしており、スタンザ毎に見ると実は完全に同一のメロディラインは存在していないのです。
いっそのことサビという用語は排して通時的に書き連ね、【"本当に"~をAメロ1(基本) → "ちょっぴり"~をAメロ2(短縮) → "メラメラ"~をBメロ → "突風に"~をCメロ1(基本) → "それで"~をDメロ1(+Bメロの発展) → "突風に"~をCメロ2(+Eメロの発展) → "それで"~をDメロ2(基本) → "君も"~をEメロ】とするのが、いちばん据り良いような気がします。ともかく先のライナーノーツでも「次々に展開していく複雑な曲構成」と述べられている通りの込み入り方なので、以降の説明には上記のA~Eメロを用いるとお含み置きください。
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Aメロ1はビートの荒々しさに反して頼りない音運びが対照的で、歌詞に鑑みて虚空に揺蕩うような存在感の薄さが翻って意識の上です。Aメロ2はそのままBメロへと接続するために短縮形となり、こちらも歌詞に照らして「兆し」に奮えるような自己陶酔ないし自己暗示をシンプルなリフレインのBメロが下支えしています。
一転してCメロ1は言わば試練の旋律なので突然のエッジィなラインにも得心が行き、しかしそれを受けるDメロ1はそのややコミカルな進行にフジらしさが好く顕れていて、吹き荒ぶ寒風を飄々と受け流していく強かな主人公像の提示には充分です。Bメロが重なるコーラスワークにも伏線を聴くなら、心中の炎熱で以て過酷な環境を生き抜けとの啓示でしょうか。従ってCメロ2は喩えて試練を乗り熟している(乗り越えるとまでは言わない)旋律で、Eメロを先出しして重ねる技巧性も加わってCメロ1よりも自信に満ちて響いて来ます。
Dメロ2は落ちメロとして振る舞っているがゆえにDメロ1とは雰囲気が異なり、少し弱気なというかセンチメンタルなメロディアスさです。とはいえこれは後向きな変化ではなく、冷静且つ具体的な覚悟を極めるまでの祈りの如くに聴こえます。そして満を持して全貌が明らかになるEメロは持続的な音価が特徴で、一足先に高みへと進んだ覚醒者からの余裕を感じさせる勧誘に、思い切って乗ってしまうには打って付けの鷹揚さです。
歌詞(作詞:加藤慎一)
作編曲を語る際にも抽象的な説明に於いては歌詞の世界観を援用したので、比較しつつお読みいただければ幸い&一部記述の重複をご寛恕願いまして、全体の流れとしては燻っていた心の火が再び大きく燃え上がるまでの、またはその熱によって凍っていた心が解れていくまでの一連の流れが描かれていると言えます。
最初は"ほんのり消え入るよう"だった風前の灯火が、文字通り"ちょっぴりくすぶり出し"て、"メラメラ燃やしてほら火照る"の状態まで勢いを取り戻すも、"突風になって 凍りそうだ"と試練の寒風が吹き荒れ、しかし"大切なのは イマジネーション"と心の力でそれに抗い、相転移して"気体に変化する"ところまで心が解れに解れて、不可視の存在になって"君もどう?"とリスナーに誘い掛けて来るという熱心さを獲得するのが着地点です。
さて、ここで相転移という言葉を使った以上"気体"は良いとしても歌詞中の"溶解"について、本当は「熔解(=融解)」を指したかったのではないかとの疑問が浮かびます。違いを忘れてしまった方に向けて補足すると、三水のはdissolveで火偏のはmeltの別現象です(厳密には熔解と融解も使用分野が異なる)。何にせよ「昇華」を持ち出せば"溶解"の件はスキップ出来るところで、きちんと時間経過に忠実なところにステップバイステップの丁寧さが感じられます。
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そも本曲では"何か溶解"の形で表れることのほうが肝で、ここから連想される別の表記「何か用かい?」に絡めた一種の駄洒落として、"それがどうした"に続く形で試練を意に介さない強者の姿勢が示されているのだと思います。"気体に変化するだろ"も、「期待」に置き換え可能ですよね。
ここで読み解きの方針をガラっと変えて俗っぽい解釈を許すならば、"メラメラ燃えたらほら火照るでしょ"に「ホテル」を、"君もどう? OKよ"に「道化」を見出して、「夜明けのBEAT」(2010)が主題歌だったドラマ『モテキ』よろしく色恋沙汰に戸惑う草食系男子のビジョンも浮かんで来ます。
最後にアレンジの項で後述するとした「作詞上の温度変化に応じた意図」について言及しますと、[2:01~]の生音ドラムスすら打ち込みという「有機的になり過ぎるのを防ぐこだわり」は、歌詞の趣旨的に着火したら燃えっ放しではなく外部要因によって温度が下がる場面もある点に由来していて、気を抜くとその無機質な危うさに戻ってしまうことへの戒めではないかとの私的な解釈です。
妄想逞しいですが、ライナーノーツでも「サウンドにも意味を持たせたかのような摩訶不思議な歌詞」と、リンクが示唆されているとフォローしておきます。歌詞だけを読めば前向きな結ばれ方をしているけれど、長く続く電子音楽らしいアウトロには不穏な向きがあるところもこの聴き解きを補強する要素です。
本記事のタイトルには副題として「キーボーディストのトラックメイカー的自我がどう働くか」との、ある意味で議論を呼びそうな言い回しを敢えて採用しました。これは本曲がまさにその発露によって完成した傑作であるとの絶賛と、それゆえにバンドの枠組みに収まらなくなる(=遣り切ったとして脱退の申し出に繋がる)ことへの懸念を、何方も事実として活動休止後の時間軸から観察ないし推察したものです。
