今日の一曲!山崎まさよし「全部、君だった。」
【追記:2021.1.5】 本記事は「今日の一曲!」【テーマ:雨】の第九弾です。【追記ここまで】
「今日の一曲!」は山崎まさよしの「全部、君だった。」(2003)です。14thシングル曲で、アルバムとしては6th『アトリエ』(2003)にバージョン違いが、何枚か出ているベスト盤にオリジナルが収録されています。
久々のブログテーマ「その他」の更新です。好きなアーティストを列挙した記事の中に山崎まさよしの名が入っていないのは、スタジオアルバムを全て所持しているわけではないからですが、中学生の頃には好んで聴いていたので、いくつかの作品は今でも愛聴しています。
中でも今回紹介する「全部、君だった。」は、氏の音楽を好きになったきっかけの一曲であり、思い出深いと同時に思い入れもあるため、その良さを語るのに何ら支障はないとの認識です。
楽曲愛が溢れて「今日の一曲!」としてはかなり長くなってしまいましたが、気に入っているポイントは大きく分ければ2つに絞れるので、まずはテーマ「雨」にも関連する歌詞の素敵さから見ていくとしましょう。
"いつのまにか降りだした雨の音"で幕を開け、導入部から雨降りの状況が示されます。続く"急ぎ足で行く季節の終わりを告げている"で雨の性質に具体性が付与されるので、非常に情緒纏綿です。この雨をきっかけとして"君のこと"を思い出すというのが主題ではありますが、それについては後程ふれるのでここでは一気に終盤まで視点を飛ばしますね。
"やがて雨音は途切れはじめて"で雨上がりが近いことが示されるのですが、これだけでも状況の説明としては充分であると思います。しかし、これに続く形で補足の役割を果たしている表現の数々が、実に丁寧で細やかな趣を持っていて感動させられたのです。"街がにわかに動きはじめる/雲がゆっくり滑りはじめて/部屋は明るさを取り戻してく"。雨上がりの情景をマクロ視点で捉えていると言いましょうか、単に「雨が上がった」でも実質的な意味は同じであるところに、ここまで鮮やかな情景描写を畳み掛けられると、山崎さんの詩人っぷりに惚れ惚れしてしまうばかりです。
この後に続く"風が"から最後にかけての歌詞も素晴らしいのですが、その良さを説明するには主題部分にも目を向けなくてはならないため、今度は"君"に纏わる歌詞について掘り下げていきましょう。
有り体に言えば「別れた君を想う内容」で片付く話ではありますが、こちらも雨の場合と同様に描写に奥行があるので、特に素晴らしいと思っている箇所を引用します。まず共感を覚えたのは、"互いのぬぐいきれない淋しさを/冷めた朝の光の中でうやむやにしてきた"という一節です。別れ際あるいは別れた後にそういえばと振り返って実感する類の感情との認識ですが、根源的な不安要素を敢えてぼかすことで関係性の維持に努めた経験に、思い当たる節がある方も多いのではないでしょうか。
次に紹介したいのは、至言としてもいい程に心に深く刺さったフレーズ、"時は静かにかけがえのないものを/遠ざかっていくほどあざやかに映しだす"です。一分の隙もない完璧な言葉繰りであると大絶賛しますが、歌詞(特に別れの歌)に於いては万能薬的な扱いをされることが多い気がする「時/時間の経過」を、残酷な面も含めてありのままに描き出すことで、一層のリアリティが感じられるようになっている点を高く評価しています。他アーティストの楽曲になりますが、やなぎなぎの「砂糖玉の月」(2017)をレビューした記事で書いた「遠近感と質感の表現」や「不可逆のライン上」という形容も、共通のエッセンスから出たものかもしれません。
その他の部分の歌詞も全て素敵ゆえに全て引用したいぐらいですが、限がないので後悔と不器用さを滲ませた内容が涙を誘うとまとめて、飛ばしてしまった最後の2スタンザに言及します。
"風がやさしく頬をなでてゆく/全部、君だった"と、"雨も雲も街も風も窓も光も/全部、君だった/冷めた朝も夜も微笑みも涙も/全部、君だった"の2つですが、これほどまでに見事な伏線回収があるだろうかというくらいに、ここまでの歌詞内容を総括した秀逸なクロージングですよね。周囲のもの全てに君を見出すようになると逃げ場がなくなるので、失恋から立ち直ってない状態で本曲を聴くのは危険であるとさえ思います(思いっ切り泣きたいのであればむしろおすすめ)。
さて、察しのいい方は気付いていたかもしれませんが、ここまでの文章はある制約の下に書いていたことを白状します。普段のレビューでは多用している表現を敢えて使わずに書いていたという意味ですが、それが何かと言うと「Aメロ」や「サビ」などのメロディの区分を指す単語です。
その理由はずばり楽想に求めることが出来ます。要するに「ここがAメロでここがサビ」といったような、明確な分け方を拒むプログレッシブな展開を持った曲だからこその回避というわけです。wikipediaにはソース無しでこのことを裏付ける本人コメントが紹介されていますが、確かに当時僕もインタビューか何かで知った覚えのある内容だったので、おそらく正しいのではないかと補足しておきます。
参考までに個人的な区分を披露しますと、まず考えられるのは【A→B→サビ→A→B→サビ→C→変則B→変則サビ1→変則サビ2】という構成です。わかりにくいので歌詞に照らして頭文字だけを表示すると、【い→些→今→互→心→今→時→ど→や→雨】となります。表題である"全部、君だった"が含まれる箇所をサビと規定した考え方です。変則Bというのは、強いて言えばBが元になっている旋律かなと思っただけで、納得いかなければDもしくはCの一部としても構いません。
もう一つ考えられるのは【A→B→C→A→B→C→D→サビ→変則C1→変則C2】という区分で、歌い方も含めて最も熱量が増加する"どんなにやるせない気持ちでも"のパートだけをサビと規定した考え方です。上掲2つの折衷案として【A→B→サビ→A→B→サビ→大サビ(C+D)→変則サビ1→変則サビ2】と考えるのがいちばん据りがいい気がしますが、いずれにせよこれで楽想の複雑さはご理解いただけたかと思います。ともかく全体に対して言えるのは、どの旋律もA/Bメロとする程弱くもないし、かといってサビ程強くもないと感じるということで、これがメロディラインの肝なのでしょうね。
メロディとアレンジの良さについても言及したいので、便宜的に折衷案の区分に従って以下表示しますが、ギターの音色が心地好くうっとりする程のメロディアスさを携えたA/Bメロ、旋律自体は控えめながらも募る想いを隠しきれないといったポテンシャルを秘めたサビ、その潜在的熱量が激しさを増すストリングスと共に爆発する大サビ、ピアノの優しさによって火照りが徐々に引いていくような癒しの変則サビ1、哀しくも美しいコーラスが君の居ない現実に侵入してきて過去の記憶をリフレインさせる変則サビ2と、何処を取り立てても美しいというほかありません。ベタですが、2番からビートがドロップしてくるところもお気に入りです。
「今日の一曲!」は山崎まさよしの「全部、君だった。」(2003)です。14thシングル曲で、アルバムとしては6th『アトリエ』(2003)にバージョン違いが、何枚か出ているベスト盤にオリジナルが収録されています。
久々のブログテーマ「その他」の更新です。好きなアーティストを列挙した記事の中に山崎まさよしの名が入っていないのは、スタジオアルバムを全て所持しているわけではないからですが、中学生の頃には好んで聴いていたので、いくつかの作品は今でも愛聴しています。
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中でも今回紹介する「全部、君だった。」は、氏の音楽を好きになったきっかけの一曲であり、思い出深いと同時に思い入れもあるため、その良さを語るのに何ら支障はないとの認識です。
楽曲愛が溢れて「今日の一曲!」としてはかなり長くなってしまいましたが、気に入っているポイントは大きく分ければ2つに絞れるので、まずはテーマ「雨」にも関連する歌詞の素敵さから見ていくとしましょう。
"いつのまにか降りだした雨の音"で幕を開け、導入部から雨降りの状況が示されます。続く"急ぎ足で行く季節の終わりを告げている"で雨の性質に具体性が付与されるので、非常に情緒纏綿です。この雨をきっかけとして"君のこと"を思い出すというのが主題ではありますが、それについては後程ふれるのでここでは一気に終盤まで視点を飛ばしますね。
"やがて雨音は途切れはじめて"で雨上がりが近いことが示されるのですが、これだけでも状況の説明としては充分であると思います。しかし、これに続く形で補足の役割を果たしている表現の数々が、実に丁寧で細やかな趣を持っていて感動させられたのです。"街がにわかに動きはじめる/雲がゆっくり滑りはじめて/部屋は明るさを取り戻してく"。雨上がりの情景をマクロ視点で捉えていると言いましょうか、単に「雨が上がった」でも実質的な意味は同じであるところに、ここまで鮮やかな情景描写を畳み掛けられると、山崎さんの詩人っぷりに惚れ惚れしてしまうばかりです。
この後に続く"風が"から最後にかけての歌詞も素晴らしいのですが、その良さを説明するには主題部分にも目を向けなくてはならないため、今度は"君"に纏わる歌詞について掘り下げていきましょう。
有り体に言えば「別れた君を想う内容」で片付く話ではありますが、こちらも雨の場合と同様に描写に奥行があるので、特に素晴らしいと思っている箇所を引用します。まず共感を覚えたのは、"互いのぬぐいきれない淋しさを/冷めた朝の光の中でうやむやにしてきた"という一節です。別れ際あるいは別れた後にそういえばと振り返って実感する類の感情との認識ですが、根源的な不安要素を敢えてぼかすことで関係性の維持に努めた経験に、思い当たる節がある方も多いのではないでしょうか。
次に紹介したいのは、至言としてもいい程に心に深く刺さったフレーズ、"時は静かにかけがえのないものを/遠ざかっていくほどあざやかに映しだす"です。一分の隙もない完璧な言葉繰りであると大絶賛しますが、歌詞(特に別れの歌)に於いては万能薬的な扱いをされることが多い気がする「時/時間の経過」を、残酷な面も含めてありのままに描き出すことで、一層のリアリティが感じられるようになっている点を高く評価しています。他アーティストの楽曲になりますが、やなぎなぎの「砂糖玉の月」(2017)をレビューした記事で書いた「遠近感と質感の表現」や「不可逆のライン上」という形容も、共通のエッセンスから出たものかもしれません。
その他の部分の歌詞も全て素敵ゆえに全て引用したいぐらいですが、限がないので後悔と不器用さを滲ませた内容が涙を誘うとまとめて、飛ばしてしまった最後の2スタンザに言及します。
"風がやさしく頬をなでてゆく/全部、君だった"と、"雨も雲も街も風も窓も光も/全部、君だった/冷めた朝も夜も微笑みも涙も/全部、君だった"の2つですが、これほどまでに見事な伏線回収があるだろうかというくらいに、ここまでの歌詞内容を総括した秀逸なクロージングですよね。周囲のもの全てに君を見出すようになると逃げ場がなくなるので、失恋から立ち直ってない状態で本曲を聴くのは危険であるとさえ思います(思いっ切り泣きたいのであればむしろおすすめ)。
さて、察しのいい方は気付いていたかもしれませんが、ここまでの文章はある制約の下に書いていたことを白状します。普段のレビューでは多用している表現を敢えて使わずに書いていたという意味ですが、それが何かと言うと「Aメロ」や「サビ」などのメロディの区分を指す単語です。
その理由はずばり楽想に求めることが出来ます。要するに「ここがAメロでここがサビ」といったような、明確な分け方を拒むプログレッシブな展開を持った曲だからこその回避というわけです。wikipediaにはソース無しでこのことを裏付ける本人コメントが紹介されていますが、確かに当時僕もインタビューか何かで知った覚えのある内容だったので、おそらく正しいのではないかと補足しておきます。
参考までに個人的な区分を披露しますと、まず考えられるのは【A→B→サビ→A→B→サビ→C→変則B→変則サビ1→変則サビ2】という構成です。わかりにくいので歌詞に照らして頭文字だけを表示すると、【い→些→今→互→心→今→時→ど→や→雨】となります。表題である"全部、君だった"が含まれる箇所をサビと規定した考え方です。変則Bというのは、強いて言えばBが元になっている旋律かなと思っただけで、納得いかなければDもしくはCの一部としても構いません。
もう一つ考えられるのは【A→B→C→A→B→C→D→サビ→変則C1→変則C2】という区分で、歌い方も含めて最も熱量が増加する"どんなにやるせない気持ちでも"のパートだけをサビと規定した考え方です。上掲2つの折衷案として【A→B→サビ→A→B→サビ→大サビ(C+D)→変則サビ1→変則サビ2】と考えるのがいちばん据りがいい気がしますが、いずれにせよこれで楽想の複雑さはご理解いただけたかと思います。ともかく全体に対して言えるのは、どの旋律もA/Bメロとする程弱くもないし、かといってサビ程強くもないと感じるということで、これがメロディラインの肝なのでしょうね。
メロディとアレンジの良さについても言及したいので、便宜的に折衷案の区分に従って以下表示しますが、ギターの音色が心地好くうっとりする程のメロディアスさを携えたA/Bメロ、旋律自体は控えめながらも募る想いを隠しきれないといったポテンシャルを秘めたサビ、その潜在的熱量が激しさを増すストリングスと共に爆発する大サビ、ピアノの優しさによって火照りが徐々に引いていくような癒しの変則サビ1、哀しくも美しいコーラスが君の居ない現実に侵入してきて過去の記憶をリフレインさせる変則サビ2と、何処を取り立てても美しいというほかありません。ベタですが、2番からビートがドロップしてくるところもお気に入りです。