今日の一曲!サカナクション「なんてったって春」
【追記:2021.1.4】 本記事は「今日の一曲!」【テーマ:春|卒業/別離】の第三弾です。【追記ここまで】
「今日の一曲!」は、サカナクションの「なんてったって春」(2013)です。6thアルバム『sakanaction』収録曲。
今月末にはベストアルバム『魚図鑑』(最大で3CD)が発売予定ですが、「図鑑」のコンセプトに合わせて各ディスクに深度が設定されているという面白い試みが見られるようですね。【浅瀬 → 中層 → 深海】の三区分が提示されており、「なんてったって春」はDISC2の「中層」に収められることになっています。
前回の記事にも書きましたが、再リニューアル後の「今日の一曲!」は「春」や「卒業/別離」をテーマに書いています。ゆえに「なんてったって春」を取り上げるわけですが、同じく春にフォーカスしたダンスミュージックとして第一回で紹介したねごとの楽曲、これに対して抱いた感想と近いものをこの曲に対しても抱いています。
僕が「春」に対して思っていることや、その状況下に於ける「ダンスミュージックの効能」的なことに関する記述があるため、別アーティストの記事とはいえ参考になるであろうことからリンクしました。同じようなことを再度書く必要もないでしょうしね。ということで、情緒的な感想の補足はリンク先の記事に任せるとします。
感想として近いものを覚えたとはいえ、こちらは男性目線で描かれた春ですし、一口に「ダンスミュージック」と言っても、エレクトロやビッグビートの趣が強かったねごとの楽曲とは異なり、こちらはテクノやミニマルのマナーに沿ってアレンジされているという印象なので、アプローチやアウトプットの違いを意識しながら、「なんてったって春」の魅力に迫っていきたいと思います。
まず全編を通して言えることは「ベースが格好良い」ということです。「弾性がある」とでも言いましょうか、擬音にすれば「ボヨン」或いは「グニョン」と表現したい歪んだサウンドで、それ単独でもグルーヴを生み出せる能力を備えています。これが曲の前半(~2:47)に於いては、後半のダンサブルな展開の布石になっていると言えるかもしれません。
シンプルなドラムパターンに存在感のあるベースが乗るという、それだけでも電子音楽として成立するぐらいに骨子がしっかりとしているせいか、その隙間を埋めるように挿入される装飾音の諸々も最低限といった感じで、前半はストイックな魅力を宿しているところが好みです。
使用楽器の同定に関しては全く自信が無いと断っておきますが、ディレイしつつ左右にパンするおそらく撥弦楽器由来の音(素直にギター+エフェクターか?)や、"明日は雨予報"の部分から鳴り出す暖色系のシンセ、サビバックで浮遊感を演出しているパッドに、上に書いたバウンスなベースもそうですが、何れも「春の曇天」を思わせるサウンドスケープを持っているので、その高い表現力に脱帽します。以下、その補足。
今日は再び寒くなってしまったので実感しにくいかもしれませんが、春の嵐を齎すような暖かく湿った空気に覆われたことで、冬の冷たく重い空気が押さえ込んでいた人いきれや草いきれが街に漂い始めた頃の、快適とも不快ともつかないあの微妙な纏わり付くような空気感を、音にしたらこんな感じだろうなという意味で、「春の曇天のサウンドスケープ」と表現しました。どの音も清澄と汚濁の中間に存在しているというか、質の異なるものが混ざり合ったような趣があり、まるで冬と春の空気が鬩ぎ合っているかの如くです。
この感覚が、[な]での頭踏がリズミカルな"南南西から鳴く風/なぜか流れた涙/なんてったって春だ"という歌詞によって更に補強されます。冷たい冬の空気に春の暖かい空気が流れ込むことで低気圧が発達し、その気圧差が強風を発生させるように、冬から春への移行というのは激しくて暴力的なものですよね。"南南西から鳴く風"という短い表現でもって、方角からわかる客観的な風の性質(上に書いたようなもの)と、「吹く」ではなく"鳴く"としているところから察せる主観的な印象(体感風速や風声との距離感)が、それぞれイメージ出来るようになっているのが技巧的だと思います。
後半(2:47~)から俄に曲の印象が変わりますが、ここからのアレンジがまた一段と格好良いです。ワンフレーズでゴリ押す展開になるので作りはミニマルなのですが、ダンスミュージックとしてストレートな味が出てくるので陶酔感はアップ。また、フレーズは同じでもサウンドは常に変化を続けていて、ベル系の音から始まり、徐々にシンセらしいピュンピュンした音にシフト、更にフィルターの掛け具合によって場面場面で異なる顔を覗かせてくるので、ドラスティックな変化よりも段階的な変化に重きを置いているところは、とてもテクノ的だなと思います。
歌詞の世界観にあわせるなら、後半のこの展開は"明日"の表現だと思います。つまり"雨予報"の日、それも春雨なんて可愛らしいものではなく、暴風を伴った春の嵐だと解釈しています。"だんだん君は大人になっていった"(2回目では"僕も")と、隔たりを思わせる一節が出てくるパートでもありますが、季節を変えるほどの暴風雨と共に"君"の存在も"僕"の存在も掻き消えていくという、時の流れの残酷さに対して"流れた涙"、それをして"多分 春だ"と結ばれているのを見ると、「春は別れの季節」ということを思わずにはいられませんね。
最初にベースに言及したので最後もそうしますが、後半で歌がインしてくるタイミングでベースのフレージングがアクセントのあるものに変わり、歌に負けじと自己主張をしてくるところが地味に好きです。クロージングも任されていますし、やはりこの曲の主役はダンサブルなベースであるとまとめておきましょう。
「今日の一曲!」は、サカナクションの「なんてったって春」(2013)です。6thアルバム『sakanaction』収録曲。
今月末にはベストアルバム『魚図鑑』(最大で3CD)が発売予定ですが、「図鑑」のコンセプトに合わせて各ディスクに深度が設定されているという面白い試みが見られるようですね。【浅瀬 → 中層 → 深海】の三区分が提示されており、「なんてったって春」はDISC2の「中層」に収められることになっています。
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前回の記事にも書きましたが、再リニューアル後の「今日の一曲!」は「春」や「卒業/別離」をテーマに書いています。ゆえに「なんてったって春」を取り上げるわけですが、同じく春にフォーカスしたダンスミュージックとして第一回で紹介したねごとの楽曲、これに対して抱いた感想と近いものをこの曲に対しても抱いています。
僕が「春」に対して思っていることや、その状況下に於ける「ダンスミュージックの効能」的なことに関する記述があるため、別アーティストの記事とはいえ参考になるであろうことからリンクしました。同じようなことを再度書く必要もないでしょうしね。ということで、情緒的な感想の補足はリンク先の記事に任せるとします。
感想として近いものを覚えたとはいえ、こちらは男性目線で描かれた春ですし、一口に「ダンスミュージック」と言っても、エレクトロやビッグビートの趣が強かったねごとの楽曲とは異なり、こちらはテクノやミニマルのマナーに沿ってアレンジされているという印象なので、アプローチやアウトプットの違いを意識しながら、「なんてったって春」の魅力に迫っていきたいと思います。
まず全編を通して言えることは「ベースが格好良い」ということです。「弾性がある」とでも言いましょうか、擬音にすれば「ボヨン」或いは「グニョン」と表現したい歪んだサウンドで、それ単独でもグルーヴを生み出せる能力を備えています。これが曲の前半(~2:47)に於いては、後半のダンサブルな展開の布石になっていると言えるかもしれません。
シンプルなドラムパターンに存在感のあるベースが乗るという、それだけでも電子音楽として成立するぐらいに骨子がしっかりとしているせいか、その隙間を埋めるように挿入される装飾音の諸々も最低限といった感じで、前半はストイックな魅力を宿しているところが好みです。
使用楽器の同定に関しては全く自信が無いと断っておきますが、ディレイしつつ左右にパンするおそらく撥弦楽器由来の音(素直にギター+エフェクターか?)や、"明日は雨予報"の部分から鳴り出す暖色系のシンセ、サビバックで浮遊感を演出しているパッドに、上に書いたバウンスなベースもそうですが、何れも「春の曇天」を思わせるサウンドスケープを持っているので、その高い表現力に脱帽します。以下、その補足。
今日は再び寒くなってしまったので実感しにくいかもしれませんが、春の嵐を齎すような暖かく湿った空気に覆われたことで、冬の冷たく重い空気が押さえ込んでいた人いきれや草いきれが街に漂い始めた頃の、快適とも不快ともつかないあの微妙な纏わり付くような空気感を、音にしたらこんな感じだろうなという意味で、「春の曇天のサウンドスケープ」と表現しました。どの音も清澄と汚濁の中間に存在しているというか、質の異なるものが混ざり合ったような趣があり、まるで冬と春の空気が鬩ぎ合っているかの如くです。
この感覚が、[な]での頭踏がリズミカルな"南南西から鳴く風/なぜか流れた涙/なんてったって春だ"という歌詞によって更に補強されます。冷たい冬の空気に春の暖かい空気が流れ込むことで低気圧が発達し、その気圧差が強風を発生させるように、冬から春への移行というのは激しくて暴力的なものですよね。"南南西から鳴く風"という短い表現でもって、方角からわかる客観的な風の性質(上に書いたようなもの)と、「吹く」ではなく"鳴く"としているところから察せる主観的な印象(体感風速や風声との距離感)が、それぞれイメージ出来るようになっているのが技巧的だと思います。
後半(2:47~)から俄に曲の印象が変わりますが、ここからのアレンジがまた一段と格好良いです。ワンフレーズでゴリ押す展開になるので作りはミニマルなのですが、ダンスミュージックとしてストレートな味が出てくるので陶酔感はアップ。また、フレーズは同じでもサウンドは常に変化を続けていて、ベル系の音から始まり、徐々にシンセらしいピュンピュンした音にシフト、更にフィルターの掛け具合によって場面場面で異なる顔を覗かせてくるので、ドラスティックな変化よりも段階的な変化に重きを置いているところは、とてもテクノ的だなと思います。
歌詞の世界観にあわせるなら、後半のこの展開は"明日"の表現だと思います。つまり"雨予報"の日、それも春雨なんて可愛らしいものではなく、暴風を伴った春の嵐だと解釈しています。"だんだん君は大人になっていった"(2回目では"僕も")と、隔たりを思わせる一節が出てくるパートでもありますが、季節を変えるほどの暴風雨と共に"君"の存在も"僕"の存在も掻き消えていくという、時の流れの残酷さに対して"流れた涙"、それをして"多分 春だ"と結ばれているのを見ると、「春は別れの季節」ということを思わずにはいられませんね。
最初にベースに言及したので最後もそうしますが、後半で歌がインしてくるタイミングでベースのフレージングがアクセントのあるものに変わり、歌に負けじと自己主張をしてくるところが地味に好きです。クロージングも任されていますし、やはりこの曲の主役はダンサブルなベースであるとまとめておきましょう。