酷い事件がまた起こっている。

 

こんな事件が起こるその度に、

どうしたらいいものかと報道されており、

昔から道徳観念について考えていた私としては

個人的に思うところがいくつかある。

 

ひとつは道徳感について。

 

日本は昔から既成宗教や道教の影響が多く残ると

学校で習ったおぼえがある。

でも今は既成宗教も儀礼中心となってしまい、

教えを説くような存在ではあまり無くなってしまった。

道教の教えもいまや無くなってしまっている感じがする。

学校の道徳学習も、現状を見る限りでは

役に立っている様にはみえない。

 

何か方法はないかと長年考えていたのだが

一つは迷信の様なものは使えないだろうか。

 

「夜に笛を吹くと蛇が出る」→実際には、近所迷惑になるから。

「夜に爪を切ると親の死に目に会えない」→暗いところですると危ないから。

 

このような迷信は小さい子供にとって、

未知のものや神秘的なものに感じて怖さを覚え、効果的に思う。

しかもこの縛りは比較的大人になってからも有効で、

好んでする人はあまりいないように思う。

 

こんな迷信を使うなら宗教的な要素も少なく効果があるように思う。

人を傷つけると○○になる。とか迷惑をかけると○○になるとか。

個人だけで考えると説得力に欠けるので広められるようなものを

考えるのもどうだろうか。

 

神秘的な日本らしくて、

大人になって親の思いや優しさも感じられるのではないだろうか。

ほんの気まぐれでテレビをつけたら

不法滞在者の取締りのテレビをやっていた。

 

なぜか違和感を感じてしまった。

優しくないのが理由の違和感ていうやつだ。

 

不法滞在者にもいろんな人達がいて

もちろん良からぬ人達もいる事は事実だと思う。

 

でも先日、別のニュースで

日本語学校か就労かで来日したが

学校か会社の手続きミスで

結果滞在できず、どうしたらいいのかと

悩む外国人が報道されていた。

(調べたがソースを確認できなかった。)

 

それが事実かは別として、少なからず

何らかの事情でどうしようもなく

そのような事態に至っている人達はいると思う。

 

これから労働者人口が何千万人も減るといわれている

この国で、必ず移民の選択はこれからも増える。

 

そんな中、単純に不法滞在者という言葉から

みんなの外国人への偏見を

さらに生んでしまいやしないか。

 

とにかく何でも良い悪いで判断して

ざっくり斬ってしまうのはどうも違和感が残る。

 

違法というからにはもちろん違法だろう。

それは理解できる。

 

ただ何か優しさがまた足りない気がしてしまう。

フェアも大事だけど優しさもね。

 

 

正しい正しくない、
良い悪いで物事を判断せず、

好き嫌いで判断して
優しさがある選択をしたいと
いつも思う。


正しい正しくないとか、
良い悪いとか、
それは実は場所や時代に
左右される可能性が高い価値観。


人を殺める事さえ、
歴史上のその時期では容認されたりする。
所詮、誰かがその立場でその時期に
判断した考え方。

つまりそこまでそれは判断においては
実はあまり意味のない価値観。

親に植えつけられる価値観も
個人的な価値観で同様。


ただ、その常識的価値観を
完全に無視は出来ない。

団体行動たる社会に参加している以上、
そのルールを守る事は、
義務とは思わないが、
多少なり守らないとリスクは伴うから。

自分の目的の脚を引っ張らない程度には
頭にあったほうが損はしない。


とはいえ、何でも物事を
良い悪いで人を批判している世の中の
流れ。
その根底にある「思い」を
忘れてはないだろうか。

それは愛や優しさから来るものが
ほとんどであり、
その「思い」を無視するのは
どうもいただけない。


断罪や処分をする事は簡単だが、
優しさまで、分断してしまうのは
本当にみんなが望む世界なのか。



何時も思う。

理屈は正しい、間違ってはいない。

でも果たしてそれが幸せとは思わない。

もっと優しさを残したい。