世界の人口は82億人で、そのうち、ユダヤ教、

キリスト教、イスラム教の信者を合わせると

44億人くらいで、54%にもなる。


たまに見ている配信者の方が、世界はそのような信者の理論で動いているという話をされていた。


たしかに改めてその数には驚くし、

戦争、紛争にも多大な影響があり、

日本の生活にも影響を与えている。


普段の生活様式や社会が、

宗教に完全に支配されるような感覚のない

日本人にはなかなか理解できない。

でも世界はそんな感じの様だ。


つまり宗教観を知れば先の世界を知ることが

できるはずなのだ。


個人的に情報から真実を見つけ出す時、

1番大事にしている事は、

出来るだけ沢山の情報を集め、

しかもあらゆるジャンルの人

(評論家、学者、医者、心理学者、宗教家等)が

話す内容を吸収して、ただ集めた情報を

そのまま吸収せず、それを疑う前提で

並べて、複数のジャンルや思想の人が

言っている中から、同じ事を言っていて、

さすがにこれは真実だろうと

思う事をカケラとして拾いあつめて

真実のあたりを付けていくのが

正解だと思っている。


真実の多数決とも言うべきこの方法は、

情報を吸収するジャンル、思想の幅をどれだけ

広くするかがポイントである。


つまり冒頭の宗教の話も、

宗教が自分達が思う以上に

多大なるバイアスをかけている

という真実だけは確かに感じるし、

未来に与えるバイアスも、

見ておく必要を感じるのである。











ここ最近Youtube等、動画を見ていると、

未来や将来といったワードが大好きな私に

色んな情報や見解が入ってくる。

 

ワールドカップを見ても感じる

テレビからネット動画への時代の変化。

随分前から言われていた事だが

ますます現実化が進んでいる。

 

現在の学生たちがテレビを見ないのは間違いなく現実で

実際チューナー無しのテレビが売られている事からも

テレビは衰退の一歩を辿っている。

 

恐らく現在のテレビは近い将来

今のラジオのように、

テレビ世代の人達だけが見るメディアになる。

 

広告収入が得られないテレビ業界は、

完全有料化になるのか、

それともラジオ並みに予算をかけずに

同じスタジオかロケのみの生放送メインのメディアとなり、

ある程度年齢の高いタレントさんによって行われ、

その間の時間帯にはアナウンサーが読み上げるニュースと天気予報、

後は時間を埋めるために、

過去ドラマやYoutube等ネット動画の人気タイトルを

今の時代劇再放送のように流し続けるだろう。

 

完全有料化であれば、クオリティは上がるのかもしれないが

恐らくネットの放送の大手程のレベルにはならないだろうし、

ネット業界と結合して、動画配信者の生配信メディアに

なる可能性もある気がする。

ただ恐らくあくまでもそれらのサブの位置付けだ。

 

某公共放送さんは、民放が完全有料化になれば、

価格競争を強いられるのでいよいよ高額な受信料を保てず

値下げか義務化出来なくなる可能性もある。

 

完全なる個人的意見を挟むと、

公共放送なんていうのは、災害や有事の際の為に必要という考え方が

一般的にある様に思われるが、

実際には歴史上、有事の際には国のプロパガンダに使われるのが

当たり前なのでそこの必要性には疑問を感じてしまう。

 

さらにテレビというツールから考えると、

拡張現実を使えるような映像を映し出すようなメガネまで

増えてくると、果たしてテレビチューナーすら

必要なのかさえも疑問に思えてしまう。

土地が少ない日本にとってテレビの場所さえ無駄に感じてしまう。

 

この事から、どうでもいい話を今思いついたが、

科学技術の進化を考えると、更にどんどん家の中から物が無くなり、

簡素化され、家さえもはや必要でなくなり自然回帰していけば、

幼い頃の自分から見れば、もはやその技術は

何も持たないところから現実が動く、超能力であり

よく空想した宇宙人もそんな感じなんだろうと思ってしまった。

 

話がぶっ飛んだが、こんなど素人でも

もちろん沢山の知識や見解を借りながらでも

未来の想像ができるのだからとても面白い。

 

さあ未来はどうなるのだろうか。

 

SNSが普及し、良くも悪くも全てが晒されるようになった。

ある意味フェアー、ある意味余裕のない時代になった。

 

 

いろんな団体が隠してきた物事が公になり、

汚かった部分や、夢のあるファンタジーの部分も

全て明らかになってきた。

 

 

何かが暴露される度に、マスコミとは違う実際の世論が

SNSで幅を利かせて、政治家までもが

それに気を使うようになった。

 

 

昔から時間に厳しい日本人が、

更に時間を重要視するようになり、

若者はYouTubeまでも倍速で見るようになった。

 

 

位置特定や行動データによって、

心の余裕を維持する怠けや誤魔化しが許されず、

若気の至りと言うべき間違いも、

過去に渡りネットに晒される。

 

 

 

まるで常にミスなしに、常に前進せよと言う様に。

 

 

 

これが時代の変化なのかなと思いながらも、

自分は老害なのかなと思いながらも、

あの頃は、許される社会で良かったなと

アナログの時代を思い出す。

 

 

 

じゃあ何故、

今まで全て出てこなかったんだろうか?

 

 

何故、

もっと真実や現実を見抜けなかったんだろうか?

 

 

 

年功序列で支配されていた社会、

学生の時代から全員が同じような教育を受け、

受験の波に乗り、いい会社に入れば安定すると言われ、

そこから外れると一気に地獄に落とされる。

これが経済格差を生んだ一つの原因だろう。

 

 

恐らくこれは元々壮大なファンタジーであり、

余裕のある一部の人々に

社会をコントロールされていた証拠で、

社会に余裕がなくなった途端、

当然、わかりやすく崩壊し始める。

 

 

 

年金、後期高齢者負担、少子化等。

そう、当然社会の弱い部分から被害が出始める。

これは陰謀論でも何でもない事実である。

 

 

 

実質の労働力が低いと言われる日本。

世界最高水準から既に落ち、下がり続けている。

もちろん、情報により化けの皮が剝がされていくのだから、

日本円は更に下がって行くだろう。

 

 

 

これを恐らく「未来が無い」と言う。

 

 

 

これを解決するには新しい技術や将来の展望で、

新しい投資を受けて価値を上げて行き、

再び壮大なファンタジーを作り出すか、

 

 

もしくは今おそらく向かっている、

完全に個人主義で経済を作り上げるしか

方法は無いのだろう。

 

 

 

まるで個人店舗が集まった

商店街を作り直すように。

 

 

 

「全てがフェアな社会と、

もしくは言葉が多くなくても、気持ちが通じ合う社会、

どちらが進んだ資本主義国家なんでしょうね。」

 

 

どこかの学者さんがテレビで言っていた言葉を思い出す。

 

 

 

これが私が最近よく思う社会のジレンマである。

 

 

 

どんな社会でもいい、

ただ、このままでは優しさが欠けていると思う。