とんでもなく切ない記事で終えてたのな前回……。

はい、結婚式が終わってから結婚後のことをあれこれ書こうと思いきや、アプリがうまく使えず、PCも本引越しでなかなか起動できず……のままなんだか旬が過ぎたり、そもそもTwitterの方がイン率が上がってしまったので、こちらが長いこと放置状態になっておりました。

当初は「ならば1年後に結婚式報告兼ねてなんか打てばええやろ」と思って内容思案してたものの、その当日になったらそれもまた微妙になり、放置、というね。

まぁよかろうて。過ぎたものは仕方なし。

 

 

 

さて。毎回恒例長い前置きはさておき。

本題。

一応日々の記録ということでつれーづれ書いてたこちらのブログ、今回をもちまして、さらに更新頻度を下げようと思います。

理由は主に2つ。

ひとつは、Twitterで事足りてるから(最初は文字数がどうかと思ったけど最近は長文のが難しい)

そして

この暗黒黒企業時代のことまで記録したものは「櫻自身の過去」として一区切りし、子どものことを含む最近のことはまたきっぱり別物として書こう、ただ、自分のことに特化した何かを書く時にはまたここを使おう、と考え、予備として残すことにし、別ブログを立ち上げようと決めました。

子どものことというか、妊娠中のこと色々長文で書きたいことがあるもので。それをするのにこのブログは向かん。Twitterもこことは無関係のつもりで呟いてるので。というか、個人特定しやすいくらいだだ流しが多すぎる。(こことの繋がりを特定しようと思えば結構簡単ではあるけどそれはまた別の話)

なので、新しいブログも、まだ立ち上げてもいないけど、立ち上げたとしてもここには連携しないつもりです。

オフ知人で新しいブログ情報を知りたい方はどうぞメールやTwitterで連絡を。準備出来次第連絡します。それ以外の方はどうぞご自身の力でお探しください。

 

 

では、以上、報告終わり。

また何かある日まで。

昨日の話。
夢の中に祖母が出てきて、結婚式の話をあれこれしたんだけど、その中で「嬉しいでしょ?」みたいなことを訊いたとき。

祖母が一言
「送り出すのは、せつねぇて」

ひどく切なくなって、祖母に抱きついて泣きわめいて


そこで目が覚めた。


夢にしては感触もはっきりしていて、でも祖母は結婚式に当り前のように参加することになってたのですわその中では。
現実には、祖母は8年前に亡くなっている。
起きた時は涙も流してないし、たぶん叫んでもいないと思うんだけど。


ただ、目を覚ました時間が


丑三つ時。


あれは、祖母の本心なんだろうか。何か伝えたいことがあったんだろうか。
ただの夢ならいいんだけども、なんかひっかかる夢であった。

それとは別に、うちの祖父母は存命なら99歳と98歳で、おそらく生きてたら式への出席も、式場の決定も、自由にはならなかったのではないかということも時々考える。
祖父は小学生の時に亡くなってるし、体調不良で認知症っぽくなってた節もあるので、あまり嫁に行くときに云々って考えたことはないのだけど、祖母に至っては90歳の時突然の発症(というか発覚)から4カ月ほどで急にいなくなってしまって、しかも直前までしっかり歩いたり言葉を交わしたりしてたものだから、もし今も生きていたらどうだったのか、出席してくれたか、今も動けたかと考えたことはある。
亡くなってしまった今、考えようによっては自由に動けるんじゃないかなと思って、それはそれでありなのかな、と都合よく解釈する方が大きいけども。
やっぱり生きてるうちに花嫁姿を見せてやりたかったな、というわがままに近い後悔もないわけではなく。
そもそも、まだ「祖母が亡くなった」ことを、整理できていないんだろうか、とか考えたり。
なんとなく、もやもやした未明のおはなし。

その夢の中で私、「花嫁の手紙なんか書けてねぇよ!」って逆ギレしてたので、はよ書こうな、て教訓は間違いなくあったと思われます。
その後の祖母の登場の方がインパクト強かったんだけど。
式まであと3週間ほどです。

 はい。妹のね。


さる8月吉日、妹の結婚式に東京までふっとんできました。
さて東京行くついでだついでーっと狙ってたブライダルインナー試着に行ったり、宿付近だからと前日に原宿にデザインカプチーノ飲みに行ったり表参道はポーター旗艦店に行ったり……と遊んだことはさておき。N先輩お会いできずすみませんでした。

ウェルカム小物だったりドレスだったりは前々から写真もらって確認したりしてたのだけど、会場と合わせるとこれまた雰囲気違ったり。
妹にねだられて姉と頭を悩ませながら発注したウェディングリースもその中にあって、実物は写真以上に良かったので喜びひとしお。ただ展示場所がさりげなさすぎて「え、あれ会場の備品じゃないの?」と言われた時には姉と「ちがうわーーっ」ってなりましたけど。


後から出てきた裏話だと、本当にこだわったらしく、会場は5軒回り、ホワイトドレスは何枚も何枚も試着を繰り返し、細部まで2週に1度くらいのペースでプランナーさんと打ち合わせしてたりして叶えたものらしくて、規模もさることながら当人らしい挙式でありました。
イメージが「海外挙式」だったそうな。
そういえば、かつて「ハワイのピンクのチャペルで挙式したい」と何度も何度も話してましたかね。

叶えていただきました。ピンクの祭壇
 

ゲストハウス的な会場だったので、ロフトをとおって、ブライズメイド&アッシャーを携えての入場とか、プール付きのガーデンでのブーケトスとかバルーンとか、なんかもう……「真似も参考も、無理です」ってレベルのものが仕上がっておりました。
とはいえ、海外挙式をお考えで実行が難しいと諦めているカップルには、良い事例が出来上がったのではないでしょうか。国内でも、いけます。

最たるものは、幼少期から姉妹3人とも習ったピアノの先生(地元在住)をお招きして、しかも要所要所で演奏をお願いするというなにその豪華な演出。よく先生お引き受けくださったな……と家族全員驚愕でした。先生ありがとうございました。

父の緊張も相当だったらしく。
挙式で新郎新婦退場後、神父の方から父に
「オ父サン…………完ペキデシタ★
と言われ、式場内大爆笑だったのに、「全く笑い声は聞こえなかった」というレベルだそうで。
ちなみに式場内、全出席者がいたので、まさかの立ち見が現れる100人規模だったんですが、その笑い声が聞こえないとは、父、相当だったな。
それでも、前の週から、入場や親族紹介をようつべで予習していたこともあって、心構えはできていたそうで、予習の効果は結構あったようです。新婦父のみなさん、どうぞご参考に。

余談ですが、今回の挙式も、ようつべにあがるらしいです。式場様のご依頼で。
どうぞご参考にー……(いつあがるかは、家族も本人たちも存じ上げません)。

規模もあって、親族席は一番見づらい場所であったので、写真はなかなかベストショットが見つからず。
ちょいちょいよく撮れたものを共有し、今はプロ待ちです。


初めての家族の結婚式で、素敵な世界を体験させていただきました。
どうぞお幸せに。


~~ハイライト~~
歓談中、姉妹での3ショットを撮った後
櫻「妹ちゃん綺麗~~」
妹「ありがとう。知ってる(ドヤ顔)

入籍して、苗字が変わりました。


ということを「苗字変わったから登録変更よろしく」と送ったら、いらん心配をかけてしまったようで「入籍でいいんだよね⁉︎」という確認が続きました。


そうねぇ、知ってるだけで「結婚」「離婚」「養子縁組」があったわ……。


皆さんにおかれましては私を他山の石としまして、ぜひ「入籍した」という一言をつけて苗字変更を報告していただければと思います。


メールやLINEで報告できるとか、楽でいい世の中になったなぁー。(考えすぎるのでお手紙苦手)
と姉に名づけられました。


タブレットだと更新が半端なく面倒くさくて(主にアプリが使いにくい、キーボード使うとなぜか変換候補が出ない……などなど)、でもタブレットがあるためにPCをなかなかつけない……という悪循環発生中のために、更新すっかり滞っております。
大丈夫。生きてるから!
(めぼしい友人にはツイッターでつたわっとる)


さて。1月の伯父の死去、8月の妹の結婚式に続きまして。
今度こそ11月に
櫻の結婚式、という予定をぶち込んだ次第。


まぁ、周囲には、うちの親を含めて
「結婚しまーす」よりも
「それに伴って、県外に引っ越しマース」の方が、インパクト強すぎてメインが入ってこない……ていう、ね(笑)


というわけで、遠距離恋愛状態が発生しまして、今に至っております。
式場成約に伴い、今後の予定を入れたファイルをいただいたのですが、これは地元にいる櫻が持ってることになってるため、先輩に手元情報がないっていう、ね。
あぁこれ……オレが頑張らないといけないやつだ……! っていう某4コマみたいなことになってるです。
あちらには新居を整えてもらうという方で
「あぁこれ……俺が頑張らないといけないやつだ……!」ってなってもらってるから、トントン?

んでもって、地元で動かなければならないやつは、向こうさんの帰省に合わせてドタバタ動いてるので、先日は27日に休みをいただき、職場が28日休みなので「わぁ櫻さん5連休~!」って言われながら「ちっとも休んでねぇよ……」て状況を生み出しました。
……今日は、よくねたなぁ……(※気づいたらあと10分で午後でした)。


というわけで、関係各所の皆様方。今後ともよしなに。
エイプリルフールのっけ損ねた!


えっと、Twitterで「遠距離恋愛セカンドすたーーーーーとっ!」って呟いてました。
最初は。


昨日呟いたものの何が嘘で何が真かは、想像にお任せ。
毎年好例「首の皮一枚期」が。


さ、今年はいつやってくるのかな
その昔、櫻さんが高校生だった頃。
新潟には「高校文芸」という、県内高校生を対象とした文芸賞のようなものがありまして。
「来年の全国高等学校総合文化祭の予選」状態で、「該当作品なし」をばっさりやっちゃうような、高校生向けにしてはシビアなイメージのあるものだったんですが。


ここの小説の部で言われたのが「ファンタジーはどれが面白いとかわからない」といったこと。


あくまで、受賞者を決めるのは選考委員の先生方であって、その先生方にとってファンタジー小説は「どういった作品が面白いものかがわからない」ものであり、差異が明らかにならない作品を上位にあげることは難しい、ということだったようです。
つまり、「高校文芸小説の部で受賞したくば、現代小説を書け」と。
んなもんだから、現代ファンタジー(?)とか書いて出してたわけですが。


これを経験してきたので、「賞が欲しくば、その賞に合わせた作品を出せ」という概念があります。
なかなかうまい例が浮かばなかったんだけど、例えば『姫ちゃんのリボン』全盛期の「りぼん」に『風の大地』投稿しても、「うちで掲載します」にはならんでしょ? てことかと。
これ、頭の片隅に「りぼん」と『こち亀』の共存を見たことがあるから、なんだよね。いい例浮かばないの。


んで、何が言いたいかというと。
芥川賞受賞を逃して、選考委員批判している人がいるらしいけど。
それ、「俺の作品を評価できないクズ委員」じゃないから。「芥川賞受賞に値する作品を書けなかった自分の技量」が問題なんだから。って思うのです。
この場合「どうしても賞が欲しいけど賞に合った作品を書けなかった自分が悔しい。次は賞に合った作品を書く」か、あるいは「そもそも自分の作品は芥川賞向きじゃないから、賞が取れなくたって当然。勝手にノミネートして勝手に落選させて評価落とすな」くらいの考えであるのが、プロ作家なんじゃないかと。好きに作品書いて、自分の作品を認めない人が悪い、ていうのは、同人作家の世界でしょう。
かつての受賞作品がどうあれ、貴方が出したのは「今回の賞」なんだから、というお話で。

これに関しては色々なこと考える人がいるだろうけど、櫻にとっては上記印象でありました。
Q.「新しい(あたらしい)」の対義語は?

A.「古しい(ふるしい)」


Q.「嫌がる」を新潟弁(地元付近)に言い換えてください

A.やだがる

Q.模造紙を何と呼びますか?

A.たいようし(大洋紙、大用紙など表記は不明)


……以上、本日小耳にはさんだお掃除スタッフさんのお話プラスアルファ。
落ち着くために、父と姉の発案で伯父年表を作りました。
いつ頃から兆候があったかな、という感じで。


まぁ、記憶ってあいまいで(笑)


そこでこの雑多な記録・ブログ様が結構役に立ちました。
多少ぼかしてあるんですが、本人が見れば何が起こった時のか大体わかると。
母のメールと櫻のブログ、父上の雑記帳、そしてそれぞれのあいまいな記憶を掘り起し、ある程度まとまりました。
3年前かー……。


そこで出てきた父の雑記帳ですが。
どうやら、櫻が先輩を連れてきたときのことを書いてたご様子。
「もう5年か! 長くないか!?」
と、話題を出すたびに目をそらしていた父の発言とは思えん発言を頂戴し……がふり。